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あま市の七宝町辺りで七宝焼きの生産が初まったのは?

愛知県あま市の七宝町((旧)愛知県海部郡の七宝町)の辺りで、七宝焼きの生産が初まったのは、いつ頃からなのでしょうか? 愛知県あま市の七宝町((旧)愛知県海部郡の七宝町)の辺りで、七宝焼きの生産が初まったのは、いつ頃からなのかを教えてください。 また、この地域で七宝焼きが初まったのはいつ頃なのか? という事と、 この地域の地名に“七宝”とか“宝”とかが着くようになったのは、いつ頃からなのかを教えてください。

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  • D-Gabacho
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回答No.1

地名に「七宝」「宝」などがついたのは、明治23年(1890)10月1日、海東郡の安松村・遠島村・沖ノ島村が合併して宝村となったのが最初です。その後、明治39年(1906)に宝村、井和村、伊福村が合併して七宝村になりました。 この地域で七宝焼きの生産をはじめたのは遠島村の林庄五郎(1835~1896)です。時期的には幕末の1850年代~60年代だと思います。尾張七宝の創始者梶常吉(海東郡服部村)が製法を発明したのが天宝4年(1833)で、林庄五郎は常吉から製法を伝授された数人のうちの一人とされています。常吉は製法を他言しない旨の誓約書をとったうえで伝授したようですが、製法は林庄五郎から同村の塚本貝助(1828~1897)に伝えられ、貝助からその兄弟、息子たちをはじめ地元の多くの人たちに伝えられて、遠島村が七宝焼きの一大産地となりました。 海東郡 近世以降の沿革 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E6%9D%B1%E9%83%A1#%E8%BF%91%E4%B8%96%E4%BB%A5%E9%99%8D%E3%81%AE%E6%B2%BF%E9%9D%A9 「七宝焼―尾張地域における発展を中心として」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/sfj/70/5/70_242/_article/-char/ja/

noname#246591
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 とてもよくわかりました。 ありがとうございました。

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