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信じる
人間は何故「言いはる」のでしょうか? もう、あらゆるレベルで人間はなにかを信じ、主張しますが、こういう哲学というような疑う場(かどうかはよく知りませんが)においてさえも「自分の考えが正しい」と思っているひとは沢山いますよね。 人間は「自分を疑うことが出来る唯一の生き物」だろうと思います。 が、信じてしまうとどんなに間違っていてもナカナカそこから出てこない生き物でもあるようです。 これでは争いは絶えません。 どうしてなんでしょう? 「信念をサクサク更新するような融通性」には、なんか致命的な欠点があるのでしょうか?
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>「信念をサクサク更新するような融通性」には、なんか致命的な欠点があるのでしょうか? とても面白い問いかけですね。 致命的な欠陥があるかどうかはわかりませんが、 逆に、信念を曲げないことがどのような意味を持つのか、 考えてみるのも一つの手ではないでしょうか。 ということで、 「言い張る」ことを、心理学的に考えてみたいと思います。 まず、「言い張る」ことは社会生活上、 適応的なことが多いと考えられます。 ころころと意見を変える人間は、社会的に信用を失います。 逆に、一貫した意見を持つ人は信用されます。 この点について、社会心理学ではいくつかの実験があるのですが、 集団討論において、一貫した意見を自信を持って言い続ける人は、 集団内での信頼を勝ち取り、 その人の意見に同調する人が増えることがわかっています。 「12人の怒れる人々」と言う映画をご覧になったことはありますか? アメリカの陪審員制度を題材にした物語ですが、 この映画では、12人の陪審員のうち、 最初は11人が犯人の有罪を主張していました。 しかし1人だけ、犯人の無罪を主張する男がいます。 陪審制度では集団討論を通じ、 全員一致の評決を下さなければならないのですが、 1人の男だけ、無罪を強硬に主張していたため、 有罪の判決を下せずにいます。 彼がなぜ無罪を主張したのか? それは、彼が無罪であると言う確信を持っていたからです。 他の11人は、あまり強い信念は持たずに有罪を主張していました。 そして、討論を続けるうちに、 一人また一人と、意見が覆って行き、 最終的には全員が無罪を確信します。 この映画はもちろんフィクションですが、 心理学的に見て、非常によく出来た映画です。 集団内においては、自信を持って一貫した意見を述べ続けると、 他者の意見を変化させるだけの力を持ちうるのです。 (その意見が本当に正しいか否かは別問題です。) つまり、意見を「言い張る」事は、 自分の考えを反映させるためには有効なのです。 ただし、質問者さんもご指摘のとおり、 「言い張る」ことは必ずしも得策ではありません。 合理的に考えて、信念に間違いがあれば、 それは正すべきです。 ただ、人間はそんなに合理的な生き物ではありません。 人間には、自分の考えの正しさを否定するような意見に 耳を貸そうとしない傾向があります。 むしろ、他者の意見を曲解し、 自分の考えとって都合のいいように解釈する傾向があります。 このような認知様式については、 社会心理学では「認知的不協和理論」で説明可能ですし、 具体的な行動としては「仮説確証行動」として現れます。 仮説確証を簡単に説明すると、 「人が何かの考えを持ったとき、 それが正しいことを証明する証拠だけを探し、 それが間違っているかどうかを調べることはしない」 という行動パターンです。 このような情報の集め方をしていれば、 当然ですが、自分の考えがますます正しいものに思えてきます。 その結果、自分の考えの「正しさ」への信念を強め、 他の意見にますます耳を貸さなくなるのです。 >人間は「自分を疑うことが出来る唯一の生き物」だろうと思います。 とのことですが、私は考え方がちょっとだけ違います。 「人間は自分を疑う能力は持っているが、 自分を疑うことを好まない生き物」だと考えます。 先ほども書きましたが、 人間は確かに高度な思考能力を持っていますが、 決して完璧ではなく、感情などに容易に流されます。 人間の思考能力は、 合理的に物事を考えうるだけのポテンシャルはあるものの、 常に合理的でいられるほど、合理的ではないようです。 心理学の世界では、 人間が完璧に合理的になりうると言う考え方から、 1960年代ごろには、 人間の行動をコンピュータなどで予測する試みが多くありました。 しかし、これは全て失敗しています。 人間は計算通りには動かないのです。 逆に言えば、そのような不完全さが、 意見の多様性を生みだします。 意見の多様性は争いの元になることもありますが、 新たな知見を生み出す元になることもあります。 このような非合理的なところ、 言い換えれば「いい加減さ」こそが、 人間の面白さだと思うのですが、いかがでしょうか? 興味深い問いかけだったので、 ついつい長文になってしまいました。 ご容赦ください。
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- jupiter5
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#6です。 お礼及び補足を拝見しました。 前回の回答では主に「行動の社会的意味」を述べましたので、 今回は「行動の動機」について述べてみます。 「言い張る」以前に、 我々は何かしらの考えに沿って「発言」という行動をとります。 これは当然ですが、自分では正しいと思って発言するのです。 しかし、発言に対して反論があった場合にどうするのか。 もし相手の反論を認めるとすると、 自分の発言が間違いであったと認めることになります。 つまり、 「相手の方が自分よりも優れている」ということになってしまい、 「自尊感情」に対する脅威となるのでしょう。 心理学において、自尊感情の維持・高揚は、 人間の基本的な欲求の一つと考えられていますので、 われわれは、 自尊感情が下がるような状況を避けるように動機付けられます。 上記のシチュエーションで考えると、 相手の反論を容認してしまうことは自尊感情低下につながりますので、 これを拒否する行動が動機付けられるでしょう。 具体的には、自分の発言の正しさをより強く主張することによって、 自分が間違っていないことを他者に認めさせようとするでしょう。 このようにして自説を曲げることを良しとせず、 次第に「言い張る」ことを余儀なくされてゆくのではないでしょうか。 たしかに、自分でも何かを言い張るときには、 「負けたくない」と言う気持ちが働いている気がしますね。 次に、「母親が何度も同じ事を言う」ようなケースですが、 これは動機づけや行動の合理性で考えるより、 一種の「行動パターン」と考えるとわかりやすいと思います。 子供が小さいうちは、 親が怒れば子供は言うことを聞きます。 怖い顔で「片付けなさいっ!」といえば片付けるし、 「勉強しなさいっ!」といえば勉強します。 ところが、子供が中学生ごろになり、反抗期を迎えると、 親の言うことを聞かなくなってゆきます。 しかし、母親はそれまでの10年間、 子供をしかることでコントロールすることを繰り返しており、 その行動パターンが身についてしまっているのです。 これは、心理学で「オペラント条件づけ」と言われる学習パターンです。 このようにして条件付けられてしまった行動は、 そう簡単には修正できません。 こういった行動をとるとき、人間は、 いちいち冷静に考えながら行動しているわけではないので、 「わかってるんだけど、ついね」と言うことになってしまいます。 なくて七癖、といわれるように、多分われわれにも、 気付いていないパターン化された行動があるはずです。 もちろん、条件づけによってパターン化された行動は、 ほとんどの場合は生活の役に立っています。 ただ、ときどき、他の人の気分を害したりするなど、 弊害が現れることもあるのです。 ですから、そのような行動でつまずく人を見ても、 「お互いさま」と思ってあげてください。。。 ということで、いかがでしょうか? 私は心理学の専門家ですので、 哲学とは全く違う見方をしていると思います。 哲学カテの方々からみると、 面白みのない考え方かもしれませんね。 ま、そんな考え方もあるのだと思っておいてください。 追伸。 「12人の優しい日本人」ですが、 三谷幸喜のコメディーですよね。 私は見たことはないのですが、面白いらしいですね! ただ、「12人の怒れる人々」のリメークと言うわけではなく、 舞台設定を同じくした、全く違う話のようです。 「怒れる人々」はもっとくらーい雰囲気です。 集団討論の緊迫感が面白いんですが。
お礼
いやぁ心理学って面白そうですね。 ちゃんと勉強したことはないんですが、なんか曖昧で地に足が着いてない学問かな?とか、いま流行(なのか?)の「進化心理学」とか「脳科学」のほうが説得力あるなとか思ってましたが(スゲエ偉そう・・)jupiter5様のような文章をよむと「なるほどなァ」とやっぱイイなと思います。 「条件付け」! なるほどなァ。十年は長いっすね。 「自尊感情の維持・高揚」ですか!! なるほどなァ。 これは自分にも思い当たるふしがあります(あたりまえですが・・)。 「自尊感情の維持・高揚?そんなものとっくに超えてるよ!」みたいな心理、態度自体が、自尊感情の維持・高揚になってたりします・・・(^_^;)あはは。 この欲求からは逃れられないもんなんでしょうかね。 まぁ逃れなくてもいいとも思いますが。 勉強になりました。 ほんとにありがとうございましたm( _ _)m
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
参考程度に 「信念をサクサク更新するような融通性」には、なんか致命的な欠点があるのでしょうか? 融通性の良い方はそれだけで徳もちですね。だから得しても損はないですね。これは人間に二つある性質の1つだからですね。人には調和と進歩という二つの相反する方向性がありますね。調和を目指せば進歩が少し後ずさりし、進歩を前面にすれば調和が後退しますね。この調和型を言い換えれば融通性となりますね。この二つの方向のバランスなんでしょうね。例えばコロンブスが調和型の人間でしたら危険な航海までしてアメリカ大陸を発見しなかったかもしれませんよね。でも全員がコロンブスのような吾人でしたら国は存続できませんね。だれかがやればそれに従えばよいので一般的には融通型の方のほうがより幸福な人生ですよね。少し嫌われてもいいからノーベル賞なんかを狙うのであれば自己主張もすべきでしょうが、そこまではというのなら融通を利かせたいですね。
お礼
「調和と進歩」ですか。 なるほど! これですね! 欠点がどうというより、 どっちがお好みか?ですね。一長一短がある中で。 ぼくがおそらく「調和」(優柔かも)に傾いた人間だから、「進歩」に傾いてるひとをみて「もっとストレス少ないやり方があるのに・・」なんて思ってしまうのでしょうね。 mmky様ありがとうございましたm( _ _)m 参考になりました。
- Syo-ya
- ベストアンサー率31% (558/1780)
生理学的になりますが、例えば、猫がネズミを見つけた時は、一瞬で身構えて攻撃態勢に入ります。それが、もし、ネズミのオモチャでも関係無いんです。この神経の伝達の早さは一秒間に100m位だったと思います(ともかく速いんです) 何故ならば、それくらいの速さで伝達しないと、犬から身を守ることも(自衛)、捕食することも出来ないので、自然界ではスピードが命なんです。これは人間も同じです。 例えば「蛇だ!」と足元を指差されれば、一瞬「えっ?!」っと身構えます。まず、判断よりも身体反応が先で「戦うか? 逃げるか?」の状態に入るんです。これは生き残りの為の順番です。 で、通常は「本当に蛇か?」等々を一瞬で判断して、身体反応も収まるんです。(または本当に逃げるんです) で、議論とかの場合も、まず、身体反応の興奮(緊張)が先に出ると思います。ですからこの身体反応が解けない限り、融通性も生まれてこないんです。 物事の筋道や正邪、理屈ではないんです。 まず感情ありきなんです。 ですから、逆に、ちょっとしたキッカケで笑いが生じて、身体の興奮が覚まされると、急に、穏やかになって、融通性も生まれて、仲良くなったりもするんです。 で、緊張が強いほど、緩和された時の「差」が激しいですから、お笑い芸人というのも「強面」の人が多いんです。強面の人が面白いことをするギャップから、緊張と緩和の落差で、身体反応から解放されて、安心して、その人を好きになってしまうんです。落差による快感なんだと思います。 言い換えれば恐怖と緩和の自転車操業のようなものです。 ・・と、脱線しましたが。 これが致命的な欠陥といえば、そうだと思います。 こういう自分操縦法を体得すると、きっと、賢者と言われるような、沈着冷静な、人格者になれるんだと思います。
お礼
お礼欄に反対意見を書き込むのも変ですが・・・。 こういう話の時によく動物を例にして、人間も動物なんだから・・・というのをよく聞くんですが、ちょいと待ってくれと言いたいです。 関係ないとまでは言いませんが、それとこれでは違うんじゃないかな?とおもいます。 Syo-ya様もおっしゃってるように、人間は「ヘビだ!」に感情が反応したあと「本当かな?」とくるはずです。動物とは違います。 これは程度の違いではなく、決定的な違いでは? 「恐怖と緩和の自転車操業」「落差による快感」ってのはナルホドなぁと思いました。大変ですねー芸人も。 たしかに芸人さんの顔って「濃い」ですよねー。 瞑想とは言えないけど、僕は婆ちゃんの仏壇のまえに座ると「まぁ、いっかー」みたいな感じになりますねー(^-^) Syo-ya様 回答していただきありがとうございますm( _ _)m
耳が痛いですね、 でも、 >「信念をサクサク更新するような融通性」 こりゃ信念にならんでしょう。 頑固にいいはってみましょうか。 人間の感情とか本能とかのレベルは、わからないとか、コロコロ変化するのが嫌いなんですね。ひとまず、敵か味方か、善か悪かを判断しないで、何時までも考えつづけるとフリーズしてしまうのではないでしょうか。 さらに、人間の感官から言っても、変化に反応して、定常性の維持と言いますか、保守的なようですね、暑く感じれば汗を流すわけです。 このあたりが、「信念をサクサク更新する融通性」への障害ではないでしょうか。 タダの紙切れのお札で、いろんなものが買えますが、これも信じればこその奇跡ですね。 あまり参考にしないで下さい(笑。
お礼
fishbowl66様、いつもありがとうございます。 ああ、そうか。 信念にならんですね・・・(^_^;) 「信じる」ことや「定常性の維持」が必要不可欠な行為だということはよく解っているつもりですが、 明らかに、周りや自分に都合の悪い「場」や「時」にさえ譲れないというのは問題ではないかと思い質問してみました。 「そんな信念ならいっそフリーズしててくれ」 なんつって・・。スイマセン冗談ですm( _ _)m >タダの紙切れのお札で、いろんなものが買えますが、これも信じればこその奇跡ですね。 ですね(^-^)。凄いもんです。
- clef
- ベストアンサー率26% (39/146)
sowowさん、今日は! ちょっと宗教チックな答えかもしれませんが、 信じることで、人間は救われるのだと思います。 例えば、神に祈る(信じる)ことは救いが欲しいから、祈るのではなく、信じてるその時点で神に救われているとも考えられないでしょうか? >「信念をサクサク更新するような融通性」には、なんか致命的な欠点があるのでしょうか? 欠点というか、安定に欠くのだと思います。「更新」って言う言葉の使い方が面白いと思ったんですが、 人間の根本の部分は「更新」ではなく、「改善する」方向に自然に向かっていくものだと思います。 >どんなに間違っていても 「絶対的に間違っている」ことは存在しないのではないのでしょうか?絶対的に正しいものが存在しないように。だから、自分の信念の範囲内で、修正していくのが、人間であると思います。 以上。お答えになりましたでしょうか?
お礼
clef様こんにちわ。台風が近いですね。 >信じてるその時点で神に救われている 解ります。「何を?」と言うより、なにかを信じているという状態が重要なんですね。 >「改善する」方向に自然に向かっていくものだと思います。 解りません。自然に改善に向かってますか? >「絶対的に間違っている」ことは存在しないのではないのでしょうか? しないと思います。だからこそです。
- hamburabi
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個体の証明ではないでしょうか? 自分が自分である為の証明なのかもしれませんし、人間が進化した証であるのかもしれません。 他の個体と違う考えが出来るから人間は進化出来たと考えるのはどうでしょうか?
お礼
回答ありがとうございますm( _ _)m なるほどー。 「強力な思い込み」が進歩の重要な要素ということですね。 でも人間の進歩にかんしては、「融通」もいい仕事するとおもうんですが? そもそも「融通」こそが人間的特長では?と思います。
お礼
jupiter5様ありがとうございますm( _ _)m 最初下までスクロールして、正直「長いな・・」と思いましたが、いざ読み出すとひと息でした! 「12人の優しい日本人」という邦画なら観たことあります。あれも面白かったです。「怒れる~」のパク・・じゃないリメイク物ですかね。 「疑うことを好まない」!! ほんとそう思います。自分を疑ってみることに慣れてないというか、頑なですね。 でもあとで、「ひとりになったとき後悔したりしてる」とか打ち明けられると、そうなんだ安心します。 何かを成し遂げようとかいう気持ちの強いひとは「思い込む」とか「言い張る」ことが重要なんですね。 プロジェクトXですね。 「いい加減さ」!! これはちょうど、僕の今現在の興味の対象です。 個人的には「好い加減」がテーマですが。 いろんな方向からの説明とても楽しめました。 また宜しくお願いします。 ありがとうございますm( _ _)m
補足
<<全体的な補足>> 「信念」と大げさに言いましたが、そんな「生き様」みたいな大きな話しではなく、 私たちは、ほんの小さなことも「信じる」ことが基盤となって生活していると思われます。 そういう信念はどんどん更新されてしかるべきでは? と思うのです。 しかし物事につまずく人は大抵、その小さな信念の更新が苦手なようです。 例えば、母親なんかは同じこと(注意とか)を何度も何度もいいますよね(^_^;)。 あれは明らかに逆効果しかないと断言したいですし、何人かのお母さんに話を聞くと、みんな「わかってるんだけど、ついね。ハハハ」と、反省するどころかすこし誇らしげでさえあります(ちょっと誇張)。 ・・で我が子に「うるせぇババア!!」と心から罵倒され、まぢに凹むわけですが次の日また同じことを言う。 これは何故ですか? カテが心理学なきもしますが、お暇なかたおられましたら教えて下さい。