• 締切済み

和歌を理解するのに仏教知識は必要でしょうか?

夏の今、ちょっと気が早すぎますが、三夕の歌として知られる歌をよんでいました。中でも西行の、 心なき身にもあはれ知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ という歌の解説に、西行は西に西方浄土をみていた。西に沈む夕日にも沈みゆくわびしさと共に西方浄土へと向かう太陽に思い入れがあったのかも知れない。みたいな事が言われていました。 言われてみると、またこの歌に対する思い入れも変わってきました。 和歌を深く理解したいと思えば、仏教もある程度勉強しなければいけないのでしょうか? それとも、たまたま西行のような人もいるけど殆どの歌は必要ないのでしょういか?  西行の歌も、他の歌人の歌も、仏教観を知らなくても十分味わえますので、自分がいままで細部を見落としていたのかすら分かりません。 お詳しい方、教えてくださいませんか? 宜しくお願い致します。

みんなの回答

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10068/12613)
回答No.4

ごめんなさい、前便で2か所ほど誤植がありました。それを訂正して、再送いたします。 (再送分) >ご紹介いただいた4首をありがたく日々思いめぐらし、過ごそうと思います。 ⇒「スレ違い」にもかかわらず、優しいコメントをありがとうございました。 ところで、あちこちで「三部合唱」の観がありますね。お互い、周波数が近いからでしょうか。ま、それはともかく、以下のとおり、このお尋ねにお答えします。 >和歌を理解するのに仏教知識は必要でしょうか? ⇒確かに、仏教を考えることなしには、西行の歌や当時の世情・歌集を理解することはむずかしいと思います。しかしそれは、必ずしも仏教がすべての和歌の心に通底するという意味ではないかも知れません。 そうでなく、「和歌を味わうためには」、あるいは、さらに敷衍することが許されるならば、「よく生きるためには」その時々の特有の背景を知ることが求められる、ということではないでしょうか。それは、今の自分に引き寄せて考えれば、現代の我々もまさに現下の実情を等閑視しては、複雑奇怪な現代を生きることもままならない、ということを教えていると思います。 さて、西行のことです。 西行の出家事情は、自然に問うて、瞑想し、自省し、求道し、哲理・理法を探訪したいという願望から出たものと思われます。当時、人々は戦乱と災害に打ちひしがれ、末法の感を強くし、「仏教による救いを願い、社会全体が仏教帰依を求めていた」、ということを考え合わせれば、「うべなるかな」ですね。 旅の途上で和歌をたくさん(2100首とされる)詠んだのも、瞑想のincarnation(具現)のためであり、その結果でもあった、と言えるのではないでしょうか。 「さびしさは秋見し空にかはりけり 枯野を照らす有明の月」(山家集) は、どことなくそれを示唆しているように思えてきます。 彼の歌は、新古今和歌集(旅の部)にも多く採られていますが、上記の世情はこの歌集の特徴とも呼応していますね。つまり、一般に、「夜明けの美」(万葉集)や「白日の美」(古今集)に対し、「落日・たそがれの美」とされるのがこの新古今集に他ならない、と言われるからです。 西行の苦悩がおもに戦乱と災害に起因したとすれば、現代の我々の苦悩は、おそらく、「災害と人心の腐敗に起因する」といったところではないでしょうか。このコロナ禍の時代に求められるものは何かといえば、それは、 「科学+国際協調+共存・共生の哲学=総合人間学」 といった図式になるのではないか、と勝手に推測する次第です。 西行は、辞世の句とも見えるような歌を詠みました。 「願はくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」。 このように安心立命を願った西行に呼応して、私は空想の恋人に「安心活命」を託して、こう詠んでみました。 「いつまでも君と花野を駆けばやな 君がおぐしに野菊を添えて」。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >ところで、あちこちで「三部合唱」の観がありますね。 >お互い、周波数が近いからでしょうか。 周波数は近いと思います。詩も和歌も、いいですよね。 >確かに、仏教を考えることなしには、西行の歌や当時の世情・歌集を >(...)、その時々の特有の背景を知ることが求められる、 仰る通りですね、背景の学習がとても大切なのですが、毎回私はさぼってNakayさんのお世話になっております。 いつかNakayさんをビックリさせるくらい背景知識を披露できるようになりたいとは思うのですが、どうにもこうにも苦手分野というのはありますね。 欧州の歴史や、和歌の世界の歴史をと思いつつも苦手分野に苦労しております。 >西行の出家事情は、自然に問うて、瞑想し、自省し、求道し、哲理・理法 >を探訪したいという願望から出たものと思われます。 本当に求道し、探究したのだと思います。最近読みました解説によりますと、「西行は、誰よりも「あはれ」(美的理念)を捨てようと瞑想の静かな世界を求めたものの、それでも「あはれ」の心を消せなかった人。」(引用ではなくなんとなくそのような事が書かれていました。)だそうです。 チラチラみえるチラリズムな「あはれ」がまたいいですね。 >当時、人々は戦乱と災害に打ちひしがれ、末法の感を強くし、「仏教による救いを願い、 >社会全体が仏教帰依を求めていた」、ということを考え合わせれば、「うべなるかな」です 末法と言う概念も中々難しいものがありました。西行の時代が末法なら今は仏教的になんの時代なのだろうと思いましたら、、末法は1万年も続くので現代も末法なのですね!!! (ひどい、、、。) 結局西行が仏教になにか解決策を見出したのか、ちょっと不勉強なので分からないのですが、共産主義に理想を見出したネルーダ、仏教を求めた西行、もしかしたら共産主義も仏教もなんにももたらさなかったのかも知れませんが、どちらとも理想の道を探す途中で素晴らしい詩や歌を残してくれたように思います。 >「さびしさは秋見し空にかはりけり 枯野を照らす有明の月」(山家集) 確かに末法観を感じます。それと同時に「あはれ」のチラリズムも。 >「夜明けの美」(万葉集)や「白日の美」(古今集)に対し、 >「落日・たそがれの美」とされるのがこの新古今集 あんまり分析的に読まない私には大いに助かります。 他にも、「写生的な歌」(万葉集)、から「直喩」(古今和歌集)、そしてさらに奥深い「暗喩」(新古今和歌集)へと進化していったと、分類されいるのも聞いた事があります。 私は和歌すきながらも、そこまで分析できるほど踏み込めるていません。こういった分析もやはり読むときに大いに理解の助けになり助かります。 ありがとうございます。 >このコロナ禍の時代に求められるものは何かといえば、それは、 >「科学+国際協調+共存・共生の哲学=総合人間学」 私もその通りだと思います。 今まで以上に大切になってきますね。 >「願はくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」。 これかっこよすぎますよね! 西行と言えコレが思い浮かびます。 >「いつまでも君と花野を駆けばやな 君がおぐしに野菊を添えて」。 Nakayさんの文章力に憧れます。 私も自作の和歌をいつか詠めるようになりたいです。 本当に詩といい和歌といい先人は素晴らしいものを残してくれたものだと思います。 今回もありがとうございました。 またよろしくお願いいたします。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10068/12613)
回答No.3

「お礼コメント」をありがとうございました。 >ご紹介いただいた4首をありがたく日々思いめぐらし、過ごそうと思います。 ⇒「スレ違い」にもかかわらず、優しいコメントをありがとうございました。 ところで、あちらでも、こちらでも、「三部合唱」の観がありますね。お互い、周波数が近いからでしょうか。ま、それはともかく、以下のとおり、このお尋ねにお答えします。 >和歌を理解するのに仏教知識は必要でしょうか? ⇒確かに、仏教を考えることは、西行の歌や当時の世情・歌集を理解することはむずかしいと思います。しかしそれは必ずしも、仏教がすべての和歌の心に通底するという意味ではないかも知れません。 そうでなく、「和歌を味わうためには」、あるいは、さらに敷衍することが許されるならば、「よく生きるためには」その時々の特有の背景を知ることが求められる、ということではないでしょうか。それは、今の自分に引き寄せて考えれば、現代の我々もまさに現下の実情を等閑視しては、複雑奇怪な現代を生きることもままならない、ということを教えていると思います。 さて、西行のことです。 西行の出家事情は、自然に問うて、瞑想し、自省し、求道し、哲理・理法を探訪したいという願望から出たものと思われます。当時、人々は戦乱と災害に打ちひしがれ、末法の感を強くし、「仏教による救いを願い、社会全体が仏教帰依を求めていた」、ということを考え合わせれば、「うべなるかな」ですね。 旅の途上で和歌をたくさん(2100首とされる)詠んだのも、瞑想のincarnation(具現)のためであり、その結果でもあった、と言えるのではないでしょうか。 「さびしさは秋見し空にかはりけり 枯野を照らす有明の月」(山家集) は、どことなくそれを示唆しているように思えてきます。 彼の歌は、新古今和歌集(旅の部)にも多く採られていますが、上記の世情はこの歌集の特徴とも呼応していますね。つまり、一般に、「夜明けの美」(万葉集)や「白日の美」(古今集)に対し、「落日・たそがれの美」とされるのがこの新古今集に他ならない、と言われるからです。 西行の苦悩がおもに戦乱と災害に起因したとすれば、現代のそれは、おそらく、災害と人心の腐敗といったところではないでしょうか。このコロナ禍の時代に求められるもの、それは、 「科学+国際協調+共存・共生の哲学=総合人間学」 といった図式ではないか、と勝手に推測する次第です。 西行は、辞世の句とも見えるこの歌を詠みました。 「願はくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」。 このように安心立命を願った西行に呼応して、私は空想の恋人に「安心活命」を託して、こう詠んでみました。 「いつまでも君と花のを駆けばやな 君がおぐしに野菊を添えて」。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 こちらのままでも、打ち間違いには気が付いておりましたので、大丈夫でしたが、わざわざありがとうございます。 またよろしくお願いいたします。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 僕も探したサイトが消えていたのでここに失礼させていただきます。  うた  訓読 千万の 軍なりとも 言挙げせず 取りて来ぬべき 男とぞ思ふ.  原文 千萬乃 軍奈利友 言挙不為 取而可来 男常曾念.  現代語訳   ちよろづの いくさなりとも = 病の元がいくら強くても    ことあげせず  = とやかく言わないで、黙って   とりてきぬべき をのこ = 相手をやっつけて来てくださる医療関係の勇者   とぞ思う = という労いの思いをみんなに代わって空からブルーインパルス

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 すいません#1さんへのお礼コメントも書いたのですが、あの質問は質問した後に「何人ものお方がお亡くなりになったのに、お陰で和歌が、、、」と申しましたら、不謹慎だったかな?とだんだん心配になり、、削除してしまいました。 ちなみに、この仏教関連の質問も、ネルーダの魚と同時期に西行の歌を仏教観点から解説したものを聞いてしまったので、「(キリスト教はもうあきらめていますが)、仏教くらいは知っとくべきだろうか?」と思ったのでした。 ところで、ご紹介いただいた歌をよんで思いました。さすがSPSさんですね! 私なんかは一時期人生で初めて心の風邪を引いた人が処方してもらう「心が落ち着く薬」でももらわないと頭がどうにかなるのではないかと思っていましたが、優柔不断なので躊躇しているうちにとりあえず第一波は収まったようで、今は普通に過ごしております。 > 訓読 千万の 軍なりとも 言挙げせず 取りて来ぬべき 男とぞ思ふ. このご回答を拝見して、「そうだった! こう考えるべきだった!」と気が付きました! さすが、SPSさんは芯が強いですね! しかも、万葉集からの選びだすというのがすごいですね! 私もいろいろ和歌を読みますけど、やっぱりパッと脳裏に浮かぶのは、百人一首や、伊勢物語などの短いか物語性があるものです。 そして、この歌に込められた思いがまたいいですね!  そうなんですよ! 私なんかは、あたふたしていただけですが、医療関係者の方々は命を懸けて戦ってくれたんですよね。 本当に心の底から尊敬したいと思います。 そして、今後第二波が来ましても、この歌を暗唱し今度はあたふたせずに臨みたいと思います。 本当にいい歌にであえました。 今回も感謝いたします。 また、今後とも宜しくお願い致します。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10068/12613)
回答No.1

おっと、お答えしようと思って書いたのですが、ご質問文が…。取り下げられたのでしょうか。すみません、仏教と関係ありませんが、こちらに投稿させていただきます。 >コロナ禍のお陰で共感できるようになった和歌がありましたら、ご紹介いただけますでしょうか? ⇒明確に意識していませんでしたが、言われてみれば確かにコロナに触発されて意識にぼんやり上ってきた歌がいくつかあります。 それというのも、私は体が(頭も)弱いので、コロナにかかったらイチコロだと思います。それで、次のような歌を吟唱しながら、「身辺アラート」と「サバイバル意識」の一助にさせていただこうかなと考えています。 「心にも あらでうき世に ながらへば      恋しかるべき 夜半の月かな」(藤原清輔朝臣) 「ながらへば またこの頃や しのばれむ      うしと見し世ぞ 今は恋しき」(三条院) コロナ以前は、存在を知っていた程度でしたが、最近はやたらと脳裡をかすめます。この2首には、心なしか、共通語が3つもあります。すなわち、「うき世に≒うしと見し世」、「ながらへば=ながらへば」、「恋しかるべき≒恋しき」です。 「花の色は 移りにけりな いたづらに      わが身世にふる ながめせしまに」(小野小町) 「花さそふ 嵐の庭の 雪ならで      ふりゆくものは わが身なりけり」(入道前太政大臣) この2首にもまた、心なしか、共通語が3つずつありますね。すなわち、「花の色」:「花さそふ」、「わが身」:「わが身」、「移りにけり・世にふる」:「ふりゆく」です。 さて、不肖、私としては、当分の間、これら4首を日々愛唱歌とし、時に警告文と心得て愛唱・暗唱したいと考える次第です。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 すいません、あの質問は質問した後に「何人ものお方がお亡くなりになったのに、お陰で和歌が、、、」と申しましたら、不謹慎だったかな?とだんだん心配になり、、削除してしまいました。 >コロナ以前は、存在を知っていた程度でしたが、最近はやたらと脳裡をかすめます。 同じように共感していただけき、ありがとうございます。 >「心にも あらでうき世に ながらへば >     恋しかるべき 夜半の月かな」(藤原清輔朝臣) 私もコロナ以前には何にも感じられなかったかもしれません。しかし、今はこの歌を聞き美しい歌だと思います。 >「ながらへば またこの頃や しのばれむ >     うしと見し世ぞ 今は恋しき」(三条院) この歌には一番共感しました。 本当にコロナ禍で誰もが大変な思いをしていますが、長く生きればこれも「なつかしい思い出」になって欲しいですね。 >「花さそふ 嵐の庭の 雪ならで >     ふりゆくものは わが身なりけり」(入道前太政大臣) こちらの歌も本当にそうですね。 今まで他人事だった「ふりゆくもの」が他人事でもなくなってしまいました。 本当に今ある人生を大切にしないといけないと思います。 >「花の色は 移りにけりな いたづらに >     わが身世にふる ながめせしまに」(小野小町) この歌だけは、コロナ前から記憶に留まっています。 青春時代はあっという間に終わってしまったなあ、という思い入れがありますので。 本当に年取ってからの方が人生長いんですよね。(汗)(笑) >私としては、当分の間、これら4首を日々愛唱歌とし、 >時に警告文と心得て愛唱・暗唱したいと考える次第です。 私も、同じようにご紹介いただいた4首をありがたく日々思いめぐらし、過ごそうと思います。 そういえばNakayさんも和歌好きでしたね。 こちらでもありがとうございました。 また、よろしくお願い致します。