• 締切済み

「慣性力」を”見かけの力”と定義しているのは何故?

「慣性力」を”見かけの力”と定義しているのは何故なのでしょうか? 実際に車に乗っているときにアクセルを踏んで加速している時やブレーキを踏んで減速している時に,加減速に対する抵抗力,つまり慣性力を確かに感じるので,見かけの力ではなく実際に働いている力なのだとおもうのですが...振動モード解析で著名な長松氏の書籍にも,「振動している物体には抵抗力が働いていて,慣性力と弾性力と粘性抵抗力の三つであり,慣性力は物体の速度変化に対する抵抗力である」として説明されています. それとも,慣性力を実際の力と定義してしまうとニュートン力学が成り立たないから,あえて慣性力を見かけの力と定義しているのでしょうか?

みんなの回答

  • ddtddtddt
  • ベストアンサー率56% (179/319)
回答No.8

 #7です。 >・・・等価原理に則ると,(人工では無い)普通の重力も慣性力になりますよね.重力と慣性力が等価ということは,重力も見かけの力となってしまいませんか?  手強いなぁ~(^^;)。  アインシュタインは物理法則の不変性という事を重視しました。特殊相対性理論では、任意の慣性系で物理法則が不変である事が基本的な出発点です(特殊相対性原理)。一般相対性理論では、物理法則の不変性が等価原理を通じて加速度系にまで拡張されます。慣性力は、それに作用されてる観測者当人にとっては、発生源を持つ本当の力と見分けがつきません。本当の力と全く同じ物理効果をもたらすからです。これはニュートン力学でも同じですけれど、それを光と重力の関係にまで拡げた点は半端ないですよね。  見分けがつかないのは、慣性力が作用しているその場所を見てる限りにおいては、です。エレベーターの外を見ないと本当の力かどうかは不明です。外を見たら地球があったので、地球の重力による自由落下だったと気づくわけです。この点がニュートンの第一法則の本当の意味だと思います。力のあるなしは経験的に判定できるという、ほとんど注目されない暗黙の大前提です。  一般相対性理論においても加速度による疑似(?)重力と、質量を発生源とする重力は区別されます。加速度系における観測では、慣性力により一瞬で宇宙全体を無重力状態にしたり、逆に宇宙全体に同一の重力(加速度)を加えたりできますが、まぁ~常識的に考えてそれはないよねと(^^;)。これを大域的重力は、加速度による局所重力では消去できないとか言うそうです。やっぱり外を見てる訳ですよ。なので、自由粒子の運動方程式の解は等速直線運動だからニュートンの第一法則は不要だといったマッハの考えは、やはり「やり過ぎだ」と現在ではみなされています。この考えは力の概念を明確化するにあたって、歴史的に非常に重要な意義があったんですが。  面白いのは、慣性力は観測者当の本人にとっては本当の力と変わらない物理効果をもたらすので、少なくとも重力による運動に関しては、一般相対性理論では運動方程式が不要になります。重力によって曲がった時空を等速直線運動(?)するだけだと。もちろん特殊相対性理論に合うように拡張された相対論的力学の運動方程式を使ってもいいんですが・・・(^^;)。  余談ですが、自分も工学系です(^^)。

  • ddtddtddt
  • ベストアンサー率56% (179/319)
回答No.7

 #4です。 >・・・そもそもプリンキピアでは,その定義3において「物質の固有力」という言葉によって慣性力に相当する力を実在のものとして説明しているのは良く知られた事実である.」  事実です。たぶんこれだと思います。 「物質の固有力とは、各物体が、現にその状態にあるかぎり、静止していようと、直線上を一様に動いていようと、その状態を続けようとあらがう内在的能力である」  これを取ってきたのは以下のURLで、プリンキピアで具体的には何が行われているのか雰囲気を知るためには、非常に参考になると思います。   http://fnorio.com/0159Principia/Principia.html  ニュートンは、今日ニュートン力学と言われるものをつくったわけではありません。ニュートンはあくまで「ニュートンの力学」をつくったのであって、それに後年の解釈を加えたものが、現在のニュートン力学です。なので上記URLにある、次の解説は妥当だと思います。 「・・・これらの諸量は力学法則と表裏一体の関係にあり、それらを通してしか定義・認識できないものです。だから、これらだけを取り出して定義しても曖昧なところがあるのは仕方が無いことです。なにはともあれ、それらの量が法則の記述に必要なものであることが初めて認識され、特に重要な質量、加速度、力、運動量がここで初めて明確に導入されたのです」  「物質の固有力」に文句はありませんよ。これは「重い(質量の大きい)物体ほど速く動かせない(正確には加速度が小さい)」という経験事実について述べたものです。ただこれは「今日的な意味での力」ではないというのが、現在です。今だったら「物質の固有の能力」とでも言われ、それは運動方程式F=maと第一法則(慣性法則)に集約されます。  ではニュートン自身はどう思っていたのか?。ニュートンは「物質の固有力」を第一法則の根拠にしてました(現在では第一法則と第二法則である運動方程式を認めれば良いとなります(^^;))。上記URLには残念ながらのっていませんが、プリンキピア冒頭の総則に当たる部分で、ニュートンは次のような態度を取ります。 「私は自然の数学的関係だけについて述べる。なので私が衝撃とか圧力とか重力とか言っても、それらは全て現象を説明するための数学的用語であり、現実の物理力として重力などを導入したのではないという事を注意して欲しい」  これがニュートンの公式態度です。つまり慣性力も数学用語であり、それが実在するかどうかは問わないと。そもそも見かけの力かどうかという問題がない訳です(^^;)。しかしニュートンは最後の錬金術師・魔術師でもあります。「重力は神のエージェントが伝える」と思っていたのがニュートンだと、自分は思っています。神のエージェントとは天使の事です。翼の生えた綺麗な人というイメージとは、だいぶかけ離れますが。17世紀生まれのニュートンは、そうした己の信念が、既に時代にそぐわないのを認識し、注意深く本当に信じているところを隠していたと思われます。だからニュートンが、慣性力を実在の力と考えていた可能性は濃厚ではあります(^^)。  さて慣性力に対する今風の解釈ですが、前回言いたかったのは、慣性力に発生源は見当たらないが、その発生理由は明確ですよね?という事です。発生理由は、観測者が勝手に走り出したからです。でも観測者が勝手に走り出す事は、いつでも出来ます。そんな人間の恣意性に自然が左右されるわけない、という経験事実(もしくは思い?)を表すのが、「見かけの力」です。だって観測者がどんな状態にあろうと、観測される方の物理的状態が変わるわけないじゃないか!。特に観測される方は、慣性系にいるんだぜ。「見てるだけ」の観測者の物理的状態が、時空を越えて被観測側に伝わるとでもいうのか?、というところでしょう。  ところで慣性力の発生源もじつは明確なんです(^^;)。それは観測者の背負ってるロケットパックです。ただし現実に発生する力は、慣性力と同じ大きさで逆向きの力ですよね?。なので慣性力はやっぱり慣性力で、見かけ上のものだというのが今風の解釈です。  これと似た話として、遠心力の解釈があります。近代実証主義の開祖と言われるマッハ先生に関する逸話です(音速のマッハ単位で有名)。マッハ先生はもちろんニュートンの過激な信奉者で、経験事実が全てだと言います。観測できない推測などは無意味だ!と。  スペースコロニー上のアムロ君の感じる人工重力は慣性力なのですが、その発生源もはっきりしてます。それはスペースコロニーの回転に由来し、建設当初に回転初動を与えたであろうバーニアロケットの推進力が、その発生源です。ただし現実に発生した力は向心力であって、遠心力と逆向きです。それが角運動量保存則により、アムロ君の生きた時代にまで残ったわけです。よって遠心力は見かけの力と解釈されます。  ところがマッハ先生は言います。  「スペースコロニーとアムロ君が止まっていて、宇宙全体がぐるぐる回転したとしても、遠心力が発生しないとお前らは言えるのか?」 ・・・と(^^;)。もちろん誰一人として実証実験はやれないし、論理的な反証も不可能です。だからマッハ先生は言います。 「経験事実が全てだ。だから慣性力は実在する。といっても良いが、そもそも力が実在するかどうかなどという形而上学的問題に物理学者は関わるな。力とは質量×加速度で観測されるものだ。それだけだ。その発生源など問うてはいけない」 ・・・と(^^;)。ここまで過激な論理性を持っていたために、マッハ先生の言葉には絶対に無視しえない意味がありました。マッハ先生の遠心力は、その後明らかとなった、相互作用の伝搬速度の有限性という観点から現在では「やり過ぎだ」とみなされています。物理もしょせんは実証科学です。

octopass
質問者

お礼

丁寧にご解説頂きまして,本当にありがとうございます.すべて読ませて頂きました.つまりニュートン力学では”慣性力”ではなく”能力”なのですね.もちろん,慣性という性質であることは存じ上げておりましたが,能力という表現はとてもしっくりきました. また,この質問をするに至った経緯の一つに,物体を押したときに手に感じる抵抗力が確かにあって,その実際に感じる抵抗力は質量の大きさや加速度に比例するから,つまりそれは慣性力を実際に感じているではないか,と思った次第です.でも,思ったのですが,その実際に感じる抵抗力は慣性力ではなくて,単に,手が物体に作用する力に対する反作用力であるのかなと思いました. ただ,人工重力のことに触れられていますが,等価原理に則ると,(人工では無い)普通の重力も慣性力になりますよね.重力と慣性力が等価ということは,重力も見かけの力となってしまいませんか?

  • tgb
  • ベストアンサー率78% (32/41)
回答No.6

 訂正です。 >  これは車が走っている状態であることを除けば壁に力Fで押さえつけられたありふれたケースと同じです。 >>  壁に押さえつけられるというのは接触力によるもの(通常は)ですが、走っている車から押さえつけられる時の力である慣性力は質量力です。この点も微妙に違いますね。  座標変換によって生じる慣性力は全て質量力です。  ついでです。  背もたれから押されて加速すると押さえつけられるように感じますが、自由落下のように重力により引っ張られて(適切な表現ではない気もしますが・・・)加速する場合は押しつけられるような感じはしないと思います。当然引っ張られるような感じもしません。しかし、いずれの場合も加速度系から見た見かけの力は全く同様に作用しています。  生理的な感覚としては多少影響があるかもしれないものとして水槽モデルで考えるとわかり易いかも知れません。つまり、背もたれの場合は水槽内が静水圧分布になるのに対して自由落下の場合は一様水圧分布になります。  但し、この水圧分布の違いは押さえつけを感じるか感じないかに関する本質的な問題ではありません。押さえつけられるということがどういうことなのかを注意して考えてみればすぐ分かると思います。

  • tgb
  • ベストアンサー率78% (32/41)
回答No.5

 質問者さんは文献「力と運動に関する因果推論理論」を紹介していますが、これを読んで慣性力が実在の力ではないかと考えたということでしょうか。  私も興味を感じて見てみたのですが、慣性力が実在の力であることの主張が主体ではないようです。力学学習者への説明を因果関係に基づくもので貫こうという意図のようで、見かけの力が因果関係に関与しないという考えから見かけの力を使った説明を排しようと考えているようです。  この文献では確かに「慣性力」が実在の力であると主張していますが、その定義は一般の定義と異なっていて、 #物体Aの運動を加速或いは減速しようとして物体Bが力を加えるとき、その反作用として物体Bに作用する力 としているようです。この反作用の力なら慣性力が実在の力であるかを云々する前に誰もが実在の力と認めるでしょう。  円運動する物体の遠心力はさすがに定義は一般の定義に合致しています。しかし、これに対しても実在の力としていて、向心力と作用・反作用関係にあることを述べています。  ところが、よくよく見ると、一般に定義されている慣性力に相当するものがこの文献で使われていて、 #加速する物体の上で生じる加速度の場 が原理として無条件に与えられています。  この加速度の場aによって物体Mの受ける力F=Maが実在の力として説明に使われているのです。  これは、実質的には座標系の指定を隠して(意識させないで)、慣性力(見かけの力)としての遠心力を実在の力として導入したといっても差し支えないと思います。  以上の点から、慣性力が実在の力であると主張しているというわけではなく、力学の修得の困難性を緩和するために見かけの力という考え方(座標系の選択の違い)を用いることなく力学の問題を考える手法の提案と見るべきでしょう。  現実に、質問者さんも含めて慣性力が実際に感じられるので、見かけの力として処理するというのは抵抗を感じる人もあるようで、学習者の納得が得られないと言われています(文献に挙げられている報告例)。  以下では、車の加速中に抑えられるように感じる現象を慣性系から見た場合と加速度系から見た場合について説明しています、慣性系から見た場合は押さえる力が作用していなくてもそのように感じるという事を人と背もたれの動きの関係から説明しています。加速度系から見た場合は慣性力を導入することにより押さえる力(慣性力)により、人・背もたれが静止した状態で受ける力の関係から説明しています。  以下は地上に静止した慣性系からの見方です。 後ろに押さえつけられるというのは前に動こうとすると引き戻されてしまって動けない、あるいはそれに逆らうためには大きな力を要するということです。前に動くとはどういうことかというと、背もたれよりも速い速度で前に進む事になります。このためには背もたれから受ける力Fより大きめのF+ΔFの力を加えて体を動かさなければなりません。このとき、人に加える力はΔFだけ追加すればよいかというとそんな甘い話ではなく、前に出るためには背もたれから離れるので背もたれが押してくれるFの分は期待できなくなり、自分で対応する必要が出てきます。トータルでF+ΔFの力を全て自分で加えなければならないのです。これはかなり大変な作業です。  また、動こうとすると後ろに引き戻されてしまうというのは、次のようになります。いったん背もたれから離れて安心して押す力を緩めてしまうと速度が変化しなくなってしまいます。これに対して背もたれは相変わらず加速してくるのですぐに追いつかれてドンと押されるということです。つまり、ドンと後ろに押し戻されたと言うよりはドンと後ろから押されたというのが正しいのです。  こうしてみると前から押さえつけられているというわけではなく、そのような力が作用していないにもかかわらず運動している速度の関係性から大きな力を加えないと前に出られない、ちょっと力を緩めるとたちまち後ろから追いつかれて前に押されるというのが正しい状況です。  以上が発進時に後ろに押さえつけられるという話の実態ですが、この中で慣性力は出てきません。(もし慣性力が実際に作用する力なら慣性系での見方に対しても運動の説明に必要となるはずです)  単純に考えると小さい力ΔFで前に出られるはずなのにそれ以上の力が必要なことからその分の力が実際に後ろ向きに作用しているのではないかと考えてしまうのが誤りの原因ではないかと思います。  上の話を加速度系から見た場合を考えてみます。  加速度系から見る場合は見かけの力である慣性力Maが車に乗った人に作用しているものとされます。これにより以下では全ての力が実在の力であるとして話が進められます。すると、この人には背もたれからFの力が前向きに作用しているので前向きの力Fと後ろ向きの慣性力Maがちょうど釣り合って静止することになります。少し前に出ようとすると背もたれとの間があいて背もたれから押される前向きの力Fは消え失せるので後ろ向きの慣性力だけが残ってバランスの崩れにより後ろに押し戻されます。離れた状態を維持するには前向きの力FにΔF加えた合計F+ΔFの力を加え続ける必要があります。  これは車が走っている状態であることを除けば壁に力Fで押さえつけられたありふれたケースと同じです。  上の2つの議論で重要なポイントは(前もって簡単に紹介した通りですが)人が背もたれから離れて前に出るためにF+ΔFの力が必要なところは共通で、異なるのは前者が加速度による運動の議論なのに対して後者は後ろ向きの慣性力(前者では出て来ない)を導入して静止の状態での力の釣り合いの問題の議論になっているという点です。

  • ddtddtddt
  • ベストアンサー率56% (179/319)
回答No.4

 #3です。 >弾性係数と摩擦係数は同じのまま梁の質量だけ変えると,振動加速度が変わりますよね.質量が大きくなるほど加速度は小さくなる(√k/mが小さくなる)と思います.これは,質量を大きくするとそれだけ,加速に対する抵抗力が大きくなるためだといえます.そうすると,やはり,弾性および摩擦とは関係のない何かの力,かつ質量の大きさや加速度と関係している加速の方向とは逆の何かの力が働いているはずで,それが慣性力ではないでしょうか?  まず普通の答えをいいます。梁や棒だと偏微分記号がわずらわしいので、重力下で振動するバネにします。運動方程式は、   mx"+kx=mg  (1)  mはバネにつながれた重りの質量,kはバネ定数,xは重力方向の座標です。(1)の両辺をmで割ると(微分方程式の正規化)、   x"+(k/m)x=g  (2)  √(k/m)は振動の角速度で、確かにmが大きくなるほど振動は遅くなりますが、普通は正規化したバネ定数k/mが、mが重いほど相対的に弱くなったからだと解釈します。同じ弾性力kxをかけても、重いmほど動きにくいよね?という論理です。従ってご質問の趣旨は、同一の力Fを2つの質量にかけた時、重い方には加速度を減らすような加速に抵抗するような、F以外の力が作用するのか?という話につながってしまうと思うんです。   ma=F  (3) は観測事実です。m<Mとして、同じ力FをMにかけた時、Mの加速度も本来aであるところが慣性抵抗のために、a'まで減少したとすれば、   Ma-Ma'=M(a-a') ですので、運動方程式(3)を信じる限り、M(a-a')の未知の力が働いているという事になります。   Ma'=F-M(a-a')  (4)  この慣性抵抗力M(a-a')は、気づかぬうちに(自動的に?)に働きます。まるでダークエネルギーの斥力のように(^^;)。で、(3),(4)の関係をちょっといじるとわかりますが、運動方程式(3)を信じる限り、この慣性抵抗力は観測できない力だとわかります。しかしだからと言ってオッカムの剃刀やマッハを持ち出して、「無意味だ!」と野暮な事は申しません。あるいはそうかも知れないからです。現在の物理は、目にも見えないし手でも触れないし重さがあるのかないのかさえ不明な、ダークエネルギーみたいなものまで認めようとしてるからです。ダークマターについては、いちおう質量と重力相互作用はあるみたいだ、という観測結果があるみたいですが。  (4)を認めた場合に問題になるのは、慣性抵抗力M(a-a')の発生源です。ピンと来ないかも知れませんが、力学において力の発生源というのは力学の根本に関わる問題です。そしてどうしても慣性基準系の話になってしまいます。慣性系の話を始めると長くなるので避けてきたのですが・・・。  ランダウの力学の冒頭にこうあります。運動方程式の正しい形は、慣性基準系でしか成立しない。では慣性基準系(慣性系)とは何かというと、自由粒子が等速直線運動する観測座標の事です。自由粒子とは力を受けない質点の事です。まとめるとニュートンの第1法則です。そうなんですがランダウを良く読むと、自由粒子とは慣性系で等速直線運動する質点の事だ、という定義が隠れているんですよ。慣性系と自由粒子の定義が論理的に循環してるんです。数学ならば、これでもいちおうOKです。公理論的に言えば、内部矛盾さえしなければ良いからです。しかし物理はそうは行きません。物理は現実を扱います。慣性系と自由粒子の定義を現実に対応させる必要があります。それが次の(隠れた)経験事実です。   ・力のある無しは、経験的に判定できるはずだ。  (5)  例えば弾性力は、物体内に微小なバネを想定し、その伸び縮みの結果として説明されます。摩擦力はミクロの機構はさておき、マクロ的には速度差のある物体間には、「こすれる」という接触力が発生するとして説明されます。圧力は、気体の分子運動の衝突の結果です。重力は何故かは究極的にはわかっていませんが、とにかく大質量があると、その周囲には引力が生じるという観測結果があります。力は常に、その発生源が特定されてきました。  いま慣性基準系があったとして、そこで、   ma=F  (6) が成り立ったとします。慣性系における運動方程式だけが正しいとすると、その力Fの発生源は、上記で述べた原因しかないはずです。  しかし観測する座標は人間の勝手ですから、慣性系に対して加速度bで運いてるような加速度系を選ぶ事も可能です。加速度bの加速度観測系でのmの加速度は、相対加速度a'=a-bに見えるはずです。a=a'+b。よって慣性系での運動方程式は(6)が正しいとすれば、   ma=m(a'+b)=F  (7) です。特に加速度系が、慣性系で加速度aの運動をする物体に張り付いた観測座標系だとすれば、b=aですから(7)より、   ma'=F-ma  しかも加速度aの運動をする物体に張り付いた観測座標系なので、a'=0です。従って、   F-ma=0 です。このとき慣性力-maは、発生源を持つ力でしょうか?。自分には、どうしてもそうは思えません。加速度観測系で運動を調べた結果現れた、「見かけの力」と判断します。要するに幾何学的拘束条件から現れた、仮想の力です。だって-maの発生源はないと思えるんだもの(^^;)。  ここでガンダムを持ち出すとけっこう怒られるのですが(^^;)、スペースコロニーが自転することによって生じる人工重力(遠心力)は、はたして発生源(発生質量)を持つ力でしょうか?。それは現実に作用する力なので存在しますが、スペースコロニーの外側に帯状の質量帯があって、それを発生源とする力じゃないですよね?。あくまでアムロ君の足元とスペースコロニーとの「接触力」によって、アムロ君が重力と勘違いしてる慣性力です。

octopass
質問者

お礼

詳しい解説を頂きまして大変ありがとうございます.すべて読ませて頂きました.つまり,「慣性力というものがあるとしても,その発生源は何なのかわからないよね.発生源がよくわかっていないものは力と定義できなから,慣性力というのは実際には発生していない力だよね」というご主張でしょうか?確かに,力の定義を満たす必要条件が「発生源がわかっているもの」とするならば,確かに力ではありませんが,ただ,感覚的に見かけの力だとはどうしても思えません(笑)やっぱり,発生源がわかっていないと,力といってはいけないもんでしょうか?...

octopass
質問者

補足

お礼コメントの続きです. 調べたところ,ニュートン自身は,慣性力に相当する力を実在のものとしてプリンキピア内で説明しているようです.下記の原著論文に書かれていました. ・溝口ほか,力と運動に関する因果推論理論,人工知能学会論文誌,31巻4号2016 「慣性力を実在の力として捉えた上で力について説明しようという試みはこれまでにも種々行われている.そもそもプリンキピアでは,その定義3において「物質の固有力」という言葉によって慣性力に相当する力を実在のものとして説明しているのは良く知られた事実である.」

  • ddtddtddt
  • ベストアンサー率56% (179/319)
回答No.3

 #2です。 >物体に外力が作用したときに,必ず抵抗力が発生し,その抵抗力は,物体の変形に対して抵抗する「弾性力」,物体の位置の変化に対して抵抗する「粘性抵抗力」,そして,物体の速度の変化に対して抵抗する「慣性力」の3つの抵抗力が存在する  これに文句はありませんよ(^^)。という訳で、「慣性力」の具体的な使用法をご紹介します。  ところで、物体の位置の変化とは速度ですから、それに抵抗する「粘性抵抗力」とは最も簡単にはkvと表されます。ここにvは速度,kはいわゆる摩擦係数で、kvは速度に比例した摩擦力を表す事になります。  で、「慣性力」は明らかに「動力学」のものです。でも物事にはおおむね簡単な方から進んで行くという、順序がありますよね。例えば「慣性力」を使わないと運動方程式を立てる事すら難しくなる「動力学問題」として、「梁の曲げ振動の運動方程式」があります。しかしこれも最初は、「梁の曲げのつり合い方程式」という「静力学問題」でした。添付図をご覧ください。  横からの荷重q(x)を受ける棒を、梁と言います((1))。「梁の曲げのつり合い方程式」は、その変位曲線をw(x)としたとき、(2)の右側に書いた微分方程式です。EIは梁の断面と材料によって決まる定数,それを合わせた4階微分の項が「物体の変形に対して抵抗する「弾性力」」です。「弾性力」は横からの荷重q(x)と各点xごとに、つり合わなければなりません。要するに各点xごとにq(x)を移項したら0です。もしつり合わなければ、各点ごとに運動を始めて「静力学」ではなくなるから。  という事は逆に言えば、「弾性力」と「q(x)」がつり合っていない状態が「動力学」です。これが「梁の曲げ振動」という事になります。力の不釣り合いは加速度を生みます。その加速度項がρaであるのはすぐわかります。ρは梁の単位長さ当たりの密度で線密度と言われます。wはもはや場所xだけの関数でなく時間tの関数にもなったので、d/dxは全て∂/∂tです。しかし加速度aが本当にa=a(x,t)で良いのかどうにかには疑問が残ります。  何故なら、点xが加速度a(x,t)で運動しようとしたら、そのまわりはそうしないように絶対に引き留めるからです。それが「弾性力」です。加速度aが時間のtの関数である事は確かですが、tを除けば本当にxだけで決まるのでしょうか?。「それで良いのだ!」と言ってくれるのがダランベールの原理です。  ダランベールの原理は言います(添付図(4))。  「まわりが弾性力で点xを引き留めようとそうしまいと、とにかくxは加速度a(x,t)で動いてんだから、xとともに動く仮想静止系では慣性力ρaを引くことで、仮想静止系でのつり合い方程式になる。本当の静止系での運動方程式を知りたいなら、「慣性力」を移項しな。それが知りたい運動方程式だ!」 ・・・という事になります(^^;)。  で、具体的には加速度a(x,t)を曲げ変位wの時間に関する2階偏微分∂^2w/∂t^2とおいて、「梁の曲げ振動の微分方程式」となります。  ここで再度、慣性力が実在の力かどうかを問います。絶対に実在の力ではないですよね。実際に働いているのは、弾性力と荷重と摩擦力kvだけです。それらの和の余りが慣性力Maであって、それらを「弾性力+荷重+摩擦力」-「慣性力Ma」とすると、=0で、仮想静止系のつり合い方程式になる、というだけの話です。  だから、 >物体の速度の変化に対して抵抗する「慣性力」・・・ という話は、「そう考えるとわかりやすいよね?」程度の「たとえ話」だと自分は思っています。  少なくとも古典力学の範囲内では。

octopass
質問者

お礼

丁寧にかつわかり易くご解説頂きまして本当にありがとうございます.全てじっくり読ませて頂きました. ただ,やっぱりどうしても納得できないところがありまして,, >実際に働いているのは、弾性力と荷重と摩擦力kvだけです。 弾性係数と摩擦係数は同じのまま梁の質量だけ変えると,振動加速度が変わりますよね.質量が大きくなるほど加速度は小さくなる(√k/mが小さくなる)と思います.これは,質量を大きくするとそれだけ,加速に対する抵抗力が大きくなるためだといえます.そうすると,やはり,弾性および摩擦とは関係のない何かの力,かつ質量の大きさや加速度と関係している加速の方向とは逆の何かの力が働いているはずで,それが慣性力ではないでしょうか?

  • ddtddtddt
  • ベストアンサー率56% (179/319)
回答No.2

 車の加減速を外から見るとわかりやすいと思うんですが、外から見た車内の人間の運動方程式は、   Ma=D  (1) です。Mは人間の質量でaは加速度。ではDは何かと言うと、じつは座席が背中を押す力ですよね?。これを車に乗ってる人は、前から座席に押し付けられる力と勘違い(?)して、慣性力と呼ぶわけです(^^;)。つまり慣性力は実際に作用するんですが、ただし本当に作用している力は逆向きです。だから見かけの力と言われます。  一方、車に乗ってる人にとって自分は静止しています。という事は、その人にとってその人の加速度はa'=0です。つまりその人にとってその人の運動方程式は、   Ma'=0 でなければならないのですが、実際には座席からの力Dが働いてます。ところでMa=Dですから、   Ma'=D-Ma=0 とすりゃ「つじつまが合いますね」って話になります。結果として、(1)のMaを移項しただけの形、   D-Ma=0 になって、-Maを慣性力と呼ぶわけです。いやっ、理論的根拠もありますって(^^;)。  いつもいつも車外系で運動方程式を立てるのが、必ずしも便利と言えない場合もあるんです。時には車内系(その人座標)で運動方程式を立てた方が便利な時もあります。その時、車外系から車内系への運動方程式の変換が問題になりますが、じつはMaを引くだけ(-Ma)だと気づかれたんですよ(^^)。  例えば「車の加速度がわかってる時、座席からの抗力は?」と考えると、D-Ma=0からD=Maに決まってますよね?。ダランベールはたぶんこういう事をやりたかったんですよ。目的は仮想仕事の原理における抗力の消去で目的は逆でしたが、その人座標の仮想静止系で考えたいというのが、慣性力(見かけの力)の意図だと思います。  とりあえずこんなところでどうでしょう?。  よって形式的には、 >「・・・慣性力は物体の速度変化に対する抵抗力である」 になります。  上記には理論的にもう少し深い意味合いがあるんですが、とりあえずという事で・・・(^^;)。

octopass
質問者

お礼

丁寧にご回答頂きありがとうございます. 長松氏の「振動モード解析」を読む限りでは, 物体に外力が作用したときに,必ず抵抗力が発生し,その抵抗力は,物体の変形に対して抵抗する「弾性力」,物体の位置の変化に対して抵抗する「粘性抵抗力」,そして,物体の速度の変化に対して抵抗する「慣性力」の3つの抵抗力が存在する と書かれています.このことから慣性力は加速に対して抵抗する力なので,慣性力の向きは加速度と逆向きになることは理解できます.またバネなどの弾性力,ダンパなどの粘性抵抗力も,慣性力と同様に,変化の方向に対して逆向きに働く抵抗力になることも理解できます. そうしたときに,「弾性力と粘性抵抗力は実際の力と定義されているのに,”慣性力だけ見かけの力”と定義されているのはなぜなのだろうか?」と疑問に思ったのが,今回の質問の主旨でございます. この点についてはいかがでしょうか?

回答No.1

車が停止から前進する加速度運動をすると,人は後ろ向きに力がはたらいているように感じる.逆に,車が停まる時には,人は前向きに力が働くように感じる、この人が感じるているのが慣性力ですから見かけ上働いていると感じる力。 実際は車の乗っている人も加速するので加速力であり、減速する場合は制動力(減速力)そしてその中でジョイント(腰)で繋がった物体(頭)は加速開始時間より遅れて加速する、止まる時はその逆ですが、トータールの(人間の)加速力は変わらないし、制動力も変わらないので、中で発生する慣性力は見かけ上力が働いているという形になる。加速力に対して逆方向の慣性力を力のモーメントとして扱うと、計算上は腰と頭が分離してしまいます、実際は分離しないので見かけ上です。 と私は思っています。

関連するQ&A