• 締切済み

剣道はなぜ生まれたのか???

テレビのニュースで、たまに剣道の全国大会などの結果が放送されます。全く興味はないのですが、赤だか、白だかの旗が上がって、勝負がついている。私のようなウスノロには、「えっ、いつ、勝負がついたの、どうなったの???」という印象しか、残りません。悔し紛れに、「あれは、武士が刀を使う技能ではない」なんて漠然としたもやもやを抱いていたのですが、某書を読んでいましたら、「刀は武士の魂」というのが出てきまして、ふと、またぞろ「剣道」のことが、頭の中に浮かんできました。 それで、ネットで「剣道」のことを調べたりもしたのですが、どうも江戸時代の発祥らしいのですが、「なぜ、剣道なのか」、「柔道とどう違うのか」というような疑問が生じました。 教えてほしい、あるいはご意見をいただきたいのは、4点です。私の認識に間違いがあれば、それも指摘していただければありがたいです。 1 「刀」と「竹刀」は、武器として、基本的に使い方が異なるというか、竹刀をいくら上手に振り回しても、「重たいであろう刀……想像……本物の刀は触ったこともありません。」とは、違うような気がするのですが、なぜ、江戸時代に「剣道」が生まれたのでしょうか???剣道に、何か役割があったのでしょうか???江戸時代なんて、ほとんど刀なんて必要のない時代だったと思うのですが。過去の漫画ですが、幕末期を描いた「浮浪雲」なんかにも、少年たちが、寺子屋や道場に通う姿が描かれていたような記憶があります。 2 幕末期の有名人にも、剣道の免許皆伝もいましたし、刀を使った刺客というか、殺人者もいたと記憶しています。小説の知識ですが。動乱の時代には、「剣道」もそれなりに、役に立ったということなのでしょうか???それとも、「剣道」とは異なる「真剣を鍛える世界」もあったということなのでしょうか??? 3 昭和になってからも、軍人さんが刀をぶら下げているのが、写真や映像で見られますが、あれは、刀が「権威の象徴」のように見られていたという理解でよいのでしょうか???剣の達人なんていなかったと思うのですが??? 4 柔道やフェンシングが、オリンピックの競技として、いろいろな国のスポーツマンが参加する競技になっているのに、剣道はなぜ、そうならないのでしょうか???

みんなの回答

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.3

1 質問の本質はたぶんなぜに竹刀が生まれたか・・・ですね。 単純です、真剣や木刀で訓練したら強くなる前に大怪我や死人が出て強くなれないからです。江戸時代に剣豪上泉信綱により竹刀は考案されたといわれていますが、この人は長野業正16本槍と呼ばれたれっきとした戦国武将です。 この時代は当然竹刀に習熟したら真剣も稽古したでしょうし、上泉信綱自身もおそらく槍使いです。 江戸時代に剣術道場が栄えた理由、これは簡単です。剣がスポーツ化したんです。実戦から遠くなると真剣から離れた剣術の腕そのものが誉となり、また剣術道場が町民の趣味になると剣術道場師範が(武士の次男三男の)ひとつの職業になったんです。 2>動乱の時代には、「剣道」もそれなりに、役に立ったということなのでしょうか??? どんな剣術もある程度は真剣に応用できますよ。 ○ 桂小五郎、後の木戸孝允など免許皆伝の腕前でほとんどの維新志士が殺される中何度も死線を潜り生き残ってます。逆に暗殺者であれば岡田 以蔵などは剣術(竹刀育ち)の腕前ですさまじい暗殺者になってますね。 >「剣道」とは異なる「真剣を鍛える世界」もあったということなのでしょうか??? ○ 薩摩では真剣による一撃必殺を重視した示現流と呼ばれる剣術が行われ、こちらの腕前で活躍した暗殺者もいます。 一方新撰組などは、天然理心流と呼ばれる実戦武術・剣術が主流ですがいろいろな流派の人が集まってますね。 当時のスポーツ的剣術が真剣実戦で役に立たないかというと、決してそんなことはありません。ただ真剣に重きを置いた実戦古剣術のほうがいささか優勢かもしれません。 3 あれはまさに権威の象徴、士官にのみ許された特権です。士官の護身武器ですが武器としては拳銃が実用性(射程・邪魔にならない)で勝りますので、象徴そのものですね。 4剣道が世界に普及していないからでしょう、そしてそれはフェンシングというよりスポーツに特化して且つ世界に普及した似たスポーツがあったからでしょう。

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。 1……やはり真剣や木刀は危ないですよね。 剣術道場が町民の趣味になる……そうなのですか。知りませんでした。江戸時代というのは、なぜだか興味がわかないんです。 2……薩摩の示現流……「チェストー」と叫びながら振り下ろす必殺剣ですか???想像するだけで、縮み上がってしまいそうです。怖いですね。 3……ふと、5.15や2.26事件で、暗殺された政治家が、どんな武器でやられたのか???という疑問が湧いてきました。やはり「拳銃」だったのかなぁ???調べてみます。 4……似たスポーツがあったからでしょう。……剣道とフェンシングは、「似たスポーツ」なのでしょうか???興味深いテーマですね。「剣道が世界に普及していないからでしょう」ということの背景には、何か、根本的に、「似ていない」ものがあるのではないか???という疑問があります。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11073/34515)
回答No.2

1 剣術が発生したのは南北朝頃と推定されているそうなので、ナントカ流のような剣術は古くからありました。戦国時代に剣術は盛んになりましたね。そういった中で、時節柄剣の腕一本で成り上がる人が出てきました。塚原卜伝とか上泉信綱、柳生宗矩などです。そういう人たちが「新陰流」とか流派を色々と作り出したわけです。宮本武蔵は二天一流を名乗りましたね。 柳生一族のように徳川家のお墨付きをもらって高名になる流派もあれば、二天一流のようにどマイナーで細々と続けられたものもあります。 で、江戸時代になれば当然平和な時代なので、剣術の需要はなくなります。しかし名目上武士は軍人ですから、必要最低限の需要はあるわけですね。でも大半の武士は軍人ではなく官僚となっていったので、剣術を売りにする武士の地位は低いものでした。そのへんは「たそがれ清兵衛」でもご覧ください。 で、武士相手に剣術を教えても食えませんから、スポーツをやりたい町民などにも教えていったのです。当時の唯一の社会が公認するスポーツといってもよかったでしょうね。また薩摩藩や長州藩のように、藩士に剣術を奨励する藩もありました。 幕末の前夜、「解体新書」なんてのが出た辺りの時代では、例えば松平定信みたいに「文武の奨励」をして、まあ要は武士も剣術をやれといわれていたときもありました。 幕末あたりになるともちろん時代が騒然としましたから剣術ブームなんかが起きました。 ちなみに初期の剣道では竹刀を使いません。木刀です。もちろん寸止めが基本ですが、そう綺麗に寸止めできるわけではありません。だから試合というのはまあまあ命がけの部分がありました。少なくとも大けがの危険はあったのです。 2 まあそのへんのケンカでも、素人と格闘技経験者では素人は基本的に勝てません。何事も習っている人の方が強いですよ。 ただ真剣勝負となるとそれは実戦ですからまるで状況は違います。ある真剣勝負の経験がある志士が後に「ワタナベッ!と声をかけられたところは覚えているが、あとはまるで覚えていない。気が付いたら相手が血を流して倒れていた」と述懐していたものがあります。とにかく殺し合いとなるとまあはっきりいって場数を踏んでいる人が強いです。 私が好きなのは、新選組最後の生き残り永倉新八が晩年のお爺ちゃんの話で、映画館の下足場でヤクザに絡まれたけど、近くの薪を拾ってヤクザをひと睨みしたらその迫力にヤクザは気圧されて退散したというものです。人を殺している人は迫力が違うってことですね・笑。 いわゆる忠臣蔵の討ち入りのときは、赤穂浪士には堀部安兵衛という実戦経験者がいました。高田馬場の決闘の経験者です。なにしろ討ち入りの浪士には77歳とか63歳のお爺ちゃんもいるので、まともな討ち合いだと不利です。そこで浪士側がとった戦術が「3人1組になって1人にあたる」ということでした。これを徹底したので、浪士側は1人もやられることがなく討ち入りに成功したのです。これは実戦を経験した堀部安兵衛の意見だと思います。堀部は他に「帯に鎖を入れる」ということも提案しています。帯が切られると足がもつれてしまうからでしょう。実戦経験ならではですね。 3 元々は、欧州の士官が下げていたサーベルです。明治初期はサーベルでしたが「日本には日本刀があるんだから、太刀スタイルのほうがいいんでね?」という当然の流れとなり、太刀スタイルの軍刀になりました。 軍刀はその軍人が自腹で用意するものと決まっていたので、拵えをある程度自由にできたみたいです。軍刀は、日本刀ではなく太刀です。刃を下にしますから。日本刀の場合は刃を上にして腰に挟みます。 若い人はよく武士コスプレで刃を下にしたまま腰に挟みますね・笑。 旧陸軍と陸上自衛隊には、「銃剣道」というのがあります。銃剣道は陸上自衛官の必須科目です。 4 剣道はあくまで「日本流」を貫いていますからね。勝ったときに手をグッとやっただけで失格になるそうです。そのくらい、感情を表にしてはいけない。 日本にあるもので「道」とついたものは、本来は「己を究めること」すなわち「克己心」を目的としています。勝つ相手は己自身であり、相手ではありません。その「道」の精神を色濃く残しているのは剣道くらいでしょうね。剣道はあえてガラパゴスでいいと思います。

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。 1……剣術にも「歴史がある」という、当たり前のことを、気づかないできたような気がします。 また薩摩藩や長州藩のように、藩士に剣術を奨励する藩もありました。……「来るべき時代を、自分たちが創るのだ」ということを意識していたのですかねぇ。そうだとしたら、すごい。 寸止めが基本ですが、……笑。危なくて、下手な奴と試合はできませんね。 2……個人的なことですが、もう、真剣勝負をするということがなくなりましたので、なぜか「真剣勝負」という言葉が新鮮に感じられます。 人を殺している人は迫力が違うってことですね・笑。……逆に、殺されることの覚悟、死ぬことの覚悟ができている人は強い、という感想を持ちました。 赤穂浪士には堀部安兵衛という実戦経験者がいました。……戦いに勝利する、争いに勝利するというのは、どういうことなのか、考えさせられます。 3……若い人はよく武士コスプレで刃を下にしたまま腰に挟みますね・笑。……笑。私の世代は、小さいころ、チャンバラごっこをやってましたから、その辺は心得ていますが。 銃剣道は陸上自衛官の必須科目です。……精神を鍛えるということですかねぇ??? 4……剣道はあえてガラパゴスでいいと思います。……笑笑笑。これから、剣道の試合がテレビに出てきたら、旗を持ったイグアナと棒っきれを振り回して戦っているイグアナがいると思うことにします。実に痛快なご回答でした。笑笑笑。

回答No.1

どうも質問者様は「剣道」と「剣術」を混同されているようですね。 「剣道」と言う言葉が一般的になったのは、明治44年(1911年)に剣道が中等学校正科の一部として採用されたときだそうで、明治末から大正にかけて「剣道」という名称が定着したとのことです。つまり江戸時代に存在したのは「剣術」なのです。それを踏まえた上で・・・。 1.江戸時代当時の竹刀試合はあくまで真剣を使った戦いに勝つための訓練の手段として行なわれ、競技を目的にはしていなかったそうです。そりゃあそうでしょう。真剣で訓練などしていたら命がいくつあっても足りませんからね。「ほとんど刀なんて必要のない時代」ではありましたが、明治維新の際に「廃刀令」が施行されるまでは武士の多くは帯刀していましたしね。 2.一番「剣術」が役立ったのは西南戦争で当時の警視庁・抜刀隊が大活躍したことだそうです。その結果を受けて、警察官が剣術を極めることが奨励されていき、それが現在の警視庁・剣道部にもつながっていきます。 3.刀が「権威の象徴」であったことは確かですが、「剣の達人なんていなかった」とは言えないですね。ただ、戦時中の剣道は、戦場での白兵戦を想定して行われ、競技としての剣道とは一線を画したものとなったそうです。打突を「斬突」という表現で呼称し、攻撃的な先の技を重視して、軽い打ちや片手技は認めないものとされていたので、現在の「剣道」とは似て非なるものだったようですね。 4.一応、1970年に「国際剣道連盟」が発足して、40ヶ国ほどが加盟しています。全日本剣道連盟は、剣道がオリンピック種目になれば勝利至上主義や商業主義に陥り、剣道の持つ武道的特性が失われるとして、現在まで反対の立場をとっています。また、剣道は有効打突の判定基準が曖昧で、フェンシングのように電気審判機も導入されていないため、特に国際試合では審判の判定が難しいという問題もあります。

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。 どうも質問者様は「剣道」と「剣術」を混同されているようですね。……すみません。「剣道」と「剣術」、「柔道」と「柔術」のような違いがあるな、とは、漠然と頭の片隅にはあったのですが、それを整理したら、質問が成り立たないような気がして……。ご回答の内容はすべて納得しました。 それが現在の警視庁・剣道部にもつながっていきます。……歴史を背負っているのですね。負けられませんね。 ただ、戦時中の剣道は、戦場での白兵戦を想定して行われ、競技としての剣道とは一線を画したものとなったそうです。……戦争は、何もかも変えてしまうのですね。考えさせられます。 40ヶ国ほどが加盟しています。……到底、国際的なスポーツとは言えませんね。 剣道がオリンピック種目になれば勝利至上主義や商業主義に陥り、剣道の持つ武道的特性が失われるとして、現在まで反対の立場をとっています。……笑……柔道は、そうなってしまったのですかねぇ。 審判の判定が難しいという問題もあります。……やっぱり、そうですか。私のようなウスノロにはわからないはずです。旗をあげる人が、二人いるのも、そんな事情があるのですね。

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