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開国時の外国人の遊び場
某書でフランシスコザビエルが目に留まった時、ザビエルとは関係ないのですが、そういえば「ハリスとシーボルトには日本人の女性がいたなぁ」、「シーボルトの娘は花神にも登場したなぁ」とぼんやりと思いを巡らしているうちに、日本の開国時に続々とやってきたお偉い方から、水兵さんまで、まさか、仕事と観光ばかりしていたとも思えないし、横浜やその他の寄港地に、「外国人専用の憂さ晴らしのための飲み屋街や性処理も可能な遊郭みたいなものができたのでしょうか???」と「それとも、既成の例えば吉原あたりにくりだしていたのでしょうか???」という疑問が湧いてきました。ないはずはないと思うのですが。
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外国人用の遊女は羅斜面(らしゃめん)と呼ばれます。一般の遊郭には出入りは許されず、こういう女性を相手にしていたようです。 避妊がない時代でしたからハーフの子供も生まれていましたし、養子に出されない場合は女の子は遊郭育ちで遊女となり、男の子は下働きなどで一生を終えました。養子に受け入れた側は戸籍に入れて日本人として扱います。なので「日本人の両親なのに堀りが深い」と思い込んでいることもあったと思います。 デヴィ夫人の父親も母親も写真では日本人離れしていて弟も外国人の顔立ちです。推測ですがこの大工の父親も母親も遊郭の子ではないかと思いました。ハーフとハーフで日本人の血が薄いのです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/羅紗緬
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- lolipop-sapporo
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当時の外国人の性処理は、他の回答者の方々がおっしゃる通り、特定の地域の遊女に限定されていました。「吉原あたりにくりだして」などできない状況だったのです。 これは当時が「鎖国」だったためだけではなく、最大の理由は「性病の防止」だったのです。外国船が漂着(諸説ありますが)し鉄砲がもたらされた種子島では、それまでほぼ日本に存在しなかった「梅毒」が蔓延したそうです。これは外国船の船員が当地の一般女性経由で蔓延させたもので、薩摩藩経由でそれを知った幕府は「特定の地域の遊女」以外の接触を禁じたのです。
お礼
ありがとうございました。
- SPS700
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「横浜やその他の寄港地」のことはわかりませんが、ポルトガルやオランダ人が来た長崎の場合、下記に「遊女」とオランダ人の木版画があります。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E5%B3%B6 長崎では、外国人を隔離するために江戸幕府の命令で、扇形の人工島出島が作られました。「出嶋町」の禁制事項の第一条に「一、傾城之外女入事」とあります。 すなわち、けいせい(=遊女)以外の女性が出島に入ることを禁ずる、ということですから、遊女なら入ってもいい、ということだったようです。 また出島に「検番」(=芸者の斡旋所)もあったようです。 https://nagasakidejima.jp/archives/9927
お礼
ありがとうございました。 禁制事項の第一条に「一、傾城之外女入事」とあるのは興味深いですね。
お礼
ありがとうございました。 羅斜面という用語あるのですね。調べてみていろいろわかりました。興味深いご回答ありがとうございました。