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あらゆる学問は結局は慰めにしかならないのですか?

幸せであれば人間、これに越したことはありません。 人生は幸を探す旅です。また愛を求める心も原動力になっていると思います。 でも世の中不幸でも成り立ってます。また数的にはそのようが多いです。(幸福の条件も数も両手で数えられるが、不幸は多種多様だと思います) そこで宗教や哲学、心理学などの分野が生まれます。幸福になる技術や学問としても成り立ちます。 でも不幸に疲れたような私には慰めにしかきこえません。確かに辛いことがあったときに立ち直る参考になります。「人は皆神様で、相手を通して自分を知る」という言葉を見つけまして感動もしました。また「人生は苦しみを通して己れを学ぶ」などと言われても、「幸福になることは罪ではない。皆同じように平等である」という言葉もあります。先人達の格言には気持ちよく啓蒙されるのですが、それぞれの格言には矛盾があるように思われます。結局人はなんで生きているのか?という問題に立ち返るのですが、皆さんは矛盾だらけの世の中をどのように思ってらっしゃいますか? 素直ではない私に何か助言をください。

みんなの回答

  • sowow
  • ベストアンサー率20% (18/90)
回答No.4

質問の答えにはなってないんですが・・・ 「幸福の条件も数も両手で数えられるが、不幸は多種多様だと思います」 というのが、ぼくの考えと違うのでそのへんを書き込みします。 とにかく「自分」というのは「生命」というものと折り合いが悪い。 死にたくなくてもいつかは死ななければならないし、せっかく出合ったモノとは必ず別れなければならないからです。 だから、究極には(あくまで見方の一つですよ) 「不幸は一つ=生命」であり、それを忘れるため、誤魔化すため、慰めるために、 (あらゆる時代のあらゆる状況で)人間は「無数の幸せ」を探し工夫し創り出してきたし、それを今からもずっと続けるでしょう。 ・・で、「人工生命でも創ってみよう」というところまで来てますよね? ちょっとわくわくします。これも幸せの一つです。 矛盾だらけと言いますが、何処に矛盾があるのでしょうか? 「不満」なのは「自分」だけであって、世界の何処にも矛盾なんてないような気がしますが?

frau
質問者

補足

矛盾とは例えば「善人や正直者は必ずしも報われることはない」という現象です。 >「不満」なのは「自分」だけであって じゃあ誤解をおそれずにいうと、悩みがないと思われます。正直羨ましいです。 学問はそういう矛盾を解決するためにあるのに、いずれもまだ完璧ではないということです。

回答No.3

「生きてるだけで丸儲け」という言葉があります。 幸不幸は、結局個人個人が自分の置かれている状況をどう考えるかに依ります。宇宙の全ての富を掴み、玉座に座っていても不幸と思えば不幸、無一文で絶海の孤島に追放され、死を眼前にしても、幸せと感じられれば幸せです。その意味では、幸福の条件はただ一つですね。 質問者様はご自分が不幸と思っておられる。けれど、視点を変えれば、意外な幸福がすぐ近くにあるかもしれませんよ。「青い鳥」のように。

frau
質問者

お礼

一国の王様も、権力を一手に集めて、食うには困らない生活でも、いつ後ろから刺されるかわからない恐怖心と孤独と隣合わせですよね。 幸福の条件はそのような意味でただ一つ、という意味、がわかりました。なるほど。 参考になりました。ありがとうございました。

回答No.2

たぶんですが、質問者様は「あらゆることに答えが存在する」という誤謬に陥っておられるのではないですか。 逃げのようですが「人生の問題に答えなどない」という答えじゃダメですか。日本人の悪い傾向として、答えのない問題に、答えがないことがわかっていながら、それでも答えを求める性質がある、とどこかの本で読んだ記憶があります。 孝行の物理の先生の話で感心した話があります。 中学卒業したての学生に、ある問題を出したそうです。その問題は、割り切れない割り算でした。生徒の一人が言ったそうです。 「先生、この問題割り切れません」 先生はこう答えたそうです。 「当たり前です。世の中、割り切れることより割り切れないことのほうが多いんだから」 答えがなければ探せばよい。納得できなければ納得できるような答えを探せばよいのだと思います。どんな立派な答えでも、質問者様ご自身が納得しなければ意味のないものです。 イスラム教徒は確信を持って豚肉を食べませんし、ヒンズー教徒は確信を持って牛肉を食べません。お互いがお互いの食べられないものを眼前で食べていても、まったく気にしないそうです(ある本で読んだ、インドで実際にあった風景だそうです)。 人の考えを気にしていては、自分の答えは見つかりません。大事なのは「主体性」です。

frau
質問者

補足

「あらゆることに答えが存在する」ことで安堵感を感じる、感じたいのも、おっしゃるとおり、私の癖です。 また「答えがない問題に答えがあることを認めない日本人」も日本人の特徴だということはわかりました。でも「ない答え」に納得せず、答えを見つけようとする姿勢も素晴らしいと思います。学問の原動力はまさにそういうことではないでしょうか? 真実は存在するものすべてに存在するということで理解してもよいのでしょうか。

回答No.1

人間は常に現状に満足せず 悩む生き物だからです 考えなければ悩むことなどありませんよね 人間は考える葦だ といったのは誰でしたっけ また追加ですが 自然科学のような学問は 世界を変革する力のある学問だとおもいませんか? 私たちの住んでいる次元の理屈すら変えてしまう 力があると思いませんか?

frau
質問者

お礼

>人間は考える葦だ といったのは誰でしたっけ パスカルです。 >自然科学のような学問 勿論素晴らしいです。人は考える葦であるから、学問という問いや答えが生まれますよね。 ありがとうございました。

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