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徳川政権下の足利家
徳川政権下の足利家はどういう扱いをされていたのでしょうか? 義昭は、秀吉から1万石をもらって朝鮮出兵に参加し、 1597年死亡までは調べられたのですが、 その後の足利家です。
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質問者が選んだベストアンサー
すでに回答がありますが、将軍家の方は義昭で断絶しています。一方鎌倉 公方は鎌倉公方→古河公方→喜連川氏となって、明治維新を迎えています。 喜連川氏は、外様大名ですが徳川氏によって厚遇されています。これは 徳川氏に系図を貸したからだ、と言われています。
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- shoyosi
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回答No.3
15代将軍義昭の嫡子義尋の子供は僧籍に入ったため、嫡系は断絶、一説によれば、義喬、義在の2人が別にいたが、一色氏を継いだり、永山氏を継いだということになっています。 参考 http://www.interq.or.jp/pluto/minstrel/Rekishi/DramaticBlood/contents/ashikaga.html http://village.infoweb.ne.jp/~fwiy9889/index.html
- shimadzu
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回答No.2
他に「阿波公方」というのがいます。 19世紀はじめくらいまで徳島に居たみたいですが、 その後京に戻って、・・・ どうなったか知りません(ごめん)。 江戸時代、蜂須賀家にいじめられたみたいですが。 那賀川町立歴史民俗資料館 http://isweb1.infoseek.co.jp/~rekimin/ 阿波公方略史 http://isweb1.infoseek.co.jp/~rekimin/gaisetsu/kuboryakushi/awakuboryakushi.htm
- chaff
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回答No.1
どうも将軍家は後絶えたようですが、鎌倉公方の方は、明治維新まで続いたようですね