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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:“高柳金芳” 著の『徳川妻妾記』の内容について)
徳川妻妾記の内容について
このQ&Aのポイント
- 『徳川妻妾記』という書物の内容は間違いが多いのでしょうか?
- 一橋徳川家の初代当主の生母の深心院の生年について、資料と徳川妻妾記とで記述が異なる
- 高柳金芳の『徳川妻妾記』は昭和前期の大奥研究の一環として出版された書物で、内容には間違いが多い可能性がある
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質問者が選んだベストアンサー
wmnxyoさん、こんばんは。 (1)おそらく元禄2年説が定説だと思います。 (2)俗説ばかりをもとにしているので、間違いが多いのだと思います。 信頼のおける史料をあたらないと真実は見えないということですね。
その他の回答 (1)
- ithi
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回答No.2
wmnxyoさん、こんばんは。 そこだけは正確なのではないかと思います。
質問者
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御回答ありがとうございました。 深心院 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E5%BF%83%E9%99%A2 深心院(しんしんいん、元禄13年(1700年) - 享保6年旧暦10月7日(1721年11月25日))は、江戸幕府の8代将軍・徳川吉宗の側室で、源三(夭折)、徳川宗尹(一橋徳川家初代当主)の母。俗名は梅(うめ)、久。父は谷口正次。院号が深心院。
質問者
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御回答ありがとうございました。 >そこだけは正確なのではないかと思います。 何故、『そこだけは正確。』だと、お考えになられるのでしょうか? https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13208651093 (↑)この URL の知恵袋のページによると、 江戸時代の資料などでは、軒並み、“元禄13年生まれ” 若しくは “元禄14年生まれ” のどちらかになっている様ですが‥‥‥ 何故、そこだけは、『高柳金芳が著作した『徳川妻妾記』という書物にある “元禄2年生まれ” が正確。』だとお考えになられるのかを教えてください。
お礼
御回答ありがとうございました。 深心院 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E5%BF%83%E9%99%A2 深心院(しんしんいん、元禄13年(1700年) - 享保6年旧暦10月7日(1721年11月25日))は、江戸幕府の8代将軍・徳川吉宗の側室で、源三(夭折)、徳川宗尹(一橋徳川家初代当主)の母。俗名は梅(うめ)、久。父は谷口正次。院号が深心院。
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御回答ありがとうございました。 >(1)おそらく元禄2年説が定説だと思います。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13208651093 (↑)この上記の URL の知恵袋のページでいう、 昔の資料にある、『 “元禄13年生まれ” 若しくは “元禄14年生まれ” 』というのではなくて、 高柳金芳著『徳川妻妾記』(1965年出版の『江戸城大奥の生活』で初発表) による、“元禄2年生まれ”(元禄17年の奉公を数え16歳としており、数え34歳没 となる。) というのが定説で合っているのでしょうか?