- ベストアンサー
吉宗の最愛の息子は徳川宗尹だったというのは真実か?
「徳川吉宗の最愛の息子が徳川宗尹だった」というのは真実なのでしょうか? (↓)この下記の URL のページには、 この翌日吉宗は亡くなりましたが、最期に最愛の息子である宗尹に会えたことで、安らかな眠りに就くことができたのかもしれません。 と書かれています。 https://www.touken-world.jp/tips/14520/ 徳川吉宗の最愛の息子は徳川宗尹だったというのは、真実なのでしょうか? 徳川吉宗の最愛の息子は徳川宗尹だったというのは、真実だったのかどうかを教えてください。 またもしそれが真実であったなら、『その理由は何だった』と考えられるかを教えてください。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
vcdfretさん、こんばんは。 私が思うに同じような趣味を持っていたことです。文芸よりも、武芸を好み、鷹狩や手作りのものを父や兄、家臣に与えるあたりもよく似ているようですから、宗尹が一番好きだというのもあながち嘘ではないように思います。
お礼
御回答ありがとうございました。 https://www.touken-world.jp/tips/14520/ また、宗尹は多趣味だったため、武芸だけでなく工芸にも精通していたようで、陶器作りや染色も行なっていました。ときには自身で染めた手ぬぐいを家臣へ与えたことも。さらに、手作りの和菓子を兄・家重将軍や大御所となった父・吉宗に献じていた記録も残されており、1751年(宝暦元年)には病に臥せる吉宗に手作りの陶器も献じています。宗尹がいかに多芸多才な人物であったのかがうかがえる記録です。 実は、父・吉宗においても、宗尹の3男の御宮参りの際、手作りの人形を贈ったというエピソードがあります。お互いに手作りの物を贈り合う、仲睦まじい親子関係を築いていたのでしょう。吉宗は、自分と似た感性を持つ宗尹に対して、格別に愛情を注いでいたように感じられます。病床にある父・吉宗の面会に宗尹が訪れた際には、喜んで宗尹を病室に招き入れたそう。この翌日吉宗は亡くなりましたが、最期に最愛の息子である宗尹に会えたことで、安らかな眠りに就くことができたのかもしれません。 よくわかりました。 ありがとうございました。