• ベストアンサー

武田勝頼の滅亡

武田勝頼の滅亡を避けて、お家の存続を永くさせるにはどすればよいのでしょうか? この人物は今まで評価が高くなかったので・・・ 「もしも」はきりがないのは承知の上です。 コメントを下さい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.5

>武田勝頼の滅亡を避けて、お家の存続を永くさせるにはどすればよいのでしょうか? 「勝って兜の緒を締める」事ですね。 長篠の戦までは、順調に勢力を拡大していたのですから・・・。 武田勝頼勢力最大の時に、織田・徳川と同盟を結べばよかったのです。 ただ、4男で家督を継いだ!という負い目と代々の家臣団からの信頼が薄いので「家臣に成果を見せる」為には戦闘しかなかったでしようね。 ただ、幸いな事に武田家は武田信玄の子孫が江戸時代でも存続しています。 信玄の6男が、江戸幕府高家筆頭3300石として明治維新を迎えています。 余談ですが・・・。 高知県には、武田勝頼生存逸話が残っています。 高知県吾川郡仁淀川町大崎に、勝頼のお墓(もちろん、武田菱の家紋付)があり武田祭り(勝頼の御霊を祀る)も存在しています。 まぁ、全国各地にある落ち武者伝説とも言えますがね。 徳島県には、安徳天皇および平家一族の御所・館跡。安徳天皇火葬跡(神社)・安徳天皇墓地が残っています。 ※こちらは、宮内庁からも陵墓推定地認定。 どこかの反日国家と異なり、時の為政者が自由に作る「正しい歴史(UCLA大学では、フィクション扱い)」がないので色々想像するだけで楽しいですね。

cma79458
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 昔から「4」という数字は嫌われていて、4男が家督をついでも末子とみなされてきたから大変ですよね(;^_^A 回答ありがとうございました。

その他の回答 (4)

回答No.4

家康配下になる。

回答No.3

信玄の遺言どおり 信玄の弟・信繁の子、信勝に全てを譲って勝頼は諏訪へ帰る 武田古参の家臣が皆勝頼に従わなかったのは 決して勝頼が無能だったからではなく 勝頼は諏訪家の人間であり臨時の当主であった事と 信玄を凌ぐ実力者であったため、家臣に一種の嫉妬のようなものが有ったためです あとは上杉謙信と手を組む事ですね 信玄は遺言で「困った時は謙信を頼れ」と言っています もし勝頼が謙信を頼っていたらまた結末は変わっていたかもしれません

cma79458
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 昔は今よりも血統の重視された時代ですから、苦労が多い時代ですよね(^^;)

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.2

 A案  上杉謙信に頭を下げて、弟分か息子分くらいの格で名目的には同盟、実質的に庇護下に入る。  B案  徳川家康に臣従する。赤備えなど、武田の武威を尊重し取り入れていた家康なので、臣従を申し出れば、受けたと思えるのですが。武田信玄の遺領の半分くらいは織田家に渡すことになるでしょうが、武田家は残ったのではないかと思います。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.1

案1 西上戦を信玄ではなく勝頼が率いて天下を取る。 信玄のカリスマなしに大戦を勝つのも信長包囲網の諸勢力をまとめるのも不可能とは思いますし、現実的に家中を束ねるのは信廉の力が必須ですが二人の仲がどうにも怪しい 案2 信長に屈服 よくて所領を8割とられ甲斐を奪われ辺境に飛ばされるでしょう。おそらく直臣にさえなれず徳川の与力に。 家中の反発内乱を武力で切り従える必要があります。甲斐守護源氏超名門の武田の名は地に堕ちます。 あるいはここまでやっても降伏が認められず攻め込まれるかもしれませんが。

cma79458
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 どちらを選んでも苦境ですね・・・

関連するQ&A