よく理解できないまま回答いたしますので、誤解がありましたらご指摘ください。
>1.統語構造を、意味構造プロパー論の前提としてい「ない」もの。
これは意味論であって、統辞論ではありませんね。
あえて言えば、記号論理学でしょうか。
統語構造とは独立して、意味の表示をしようとしているので。
>2.その意味構造プロパー論の内の動詞句論に、
>力一般、応力、慣性力などだけでカバー出来るものを超えた
>概念装置を含むもの。
「意味構造プロパー論の内の動詞句論」というのが、私の理解を超えます。
「意味論の動詞句論」というのが、私には「魚屋で作っている牛肉」と同じくらい、矛盾と選択制限違反の入り交じった表現です。
「動詞句の意味論」というなら、かろうじて分かりますけど。
「力」+アルファというだけなら、ラネカーやタルミーが思い浮かびますが、そういうことではないんですよね?
>3.文法の創造性を真に記述・説明するもの。
それはあらゆる文法理論が目指していて、未だ達成できていない夢でしょう。
森羅万象の説明を目指す物理理論のようなものです。
>意味構造プロパーは適格ではあるが、統語構造は不適格で、
>「非文法的ないしは半文法的な」文、の創造を記述・説明できるもの。
生成文法はそういう理論を目指しています。
>そのような文には、次の階層があるのではないでしょうか。
私には、(1)から(5)まで、すべてが文法的で、かつ説明を要する表現であるように思います。
たまに言語学の論文で取り上げられるテーマですので。
少なくとも、「非文法的ないしは半文法的な文」だとは思いません。
特に(4)がいわゆる「描出話法」「自由間接話法」を指すのであれば、ますます何が問題なのか、分かりません。
ところで、意味構造も統語構造も適格なのに、容認できない文というのもあります。
This is the cheese that the mouse ate.
これは分かりますね。
This is the cheese that the mouse [that the cat chased] ate.
これも、まあ分かる。
でも、この the cat をさらに関係節で修飾すると、全く容認できない文ができあがってしまう。
意味も問題ないし、統語規則にも従っている。でも容認できない。
This is the cheese that the mouse that the cat [that the dog bothered] chased ate.
こういうのは、「人間の解析能力を超えるから」としか言えないのかもしれません。
お礼
またまた誠に有難う御座いました。
補足
「Wolfgang Wildgen: "The Catastrophe-Theoretic Semantics" の後継理論」、つまり、「形式意味論(ただの記号計算主義の記号列形式論)の如き『意味』形式を含む統語形式には関わらない、概念幾何学的なイメージ・図形の形式を扱う意味論プロパ」は有りませんでしょうか。