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宗教における「救い」の意味
信ずるものは救われるといいますが、宗教における「救い」とは何ですか。 例えば仏教とキリスト教では大分違うように思います。 なお、特に何かの宗教を信じなくても救われるということはないのでしょうか。
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>「救い」 日本では「ごりやく」で通ると思われます。 >信ずるものは救われるといいます 信じていなくても救われる、確率や 信じても救われなかった、確率などを 計算しての結果なら信じれますが、その差は少ないでしょう。 「神の名を呼んだから数われた」人は、感動して流布しますが 「呼んだけどダメだった」人は、死んでなくても笑われるので 流布せず教義に残りません。 問題は再現性で、多くの宗教の教義は低すぎます。
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- oska2
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>信ずるものは救われるといいますが 創価学会に関しては「信じる者は救われない」という本が販売しています。 確か、テリー伊藤さんなどが執筆です。 >宗教における「救い」とは何ですか。 多くの場合「心身の悩みを小さくする」事です。 病気には、精神面と肉体面がありますよね。 精神面では、宗教でも解決できます。 が、肉体面では宗教では解決できません。 ただ「病は気から」で、安らかな最期を迎える事も治療の一種。 >例えば仏教とキリスト教では大分違うように思います。 仏教は、「死後の世界」。キリスト教は、「現世の世界」を対象にしています。 ※ユダヤ教・キリスト教・イスラム教も、全て同じ神様を信仰。 ※時代を経るに従って、教えの解釈に矛盾が発生して別宗教となった。 >何かの宗教を信じなくても救われるということはないのでしょうか。 日本人の多くが、正に実践中ですよね。 正月は神社仏閣で、初もうで。 春は、仏教行事のお花見とお彼岸。 夏は、仏教行事のお盆と神道の花火大会(夏祭り)。 秋は、仏教行事のお彼岸と神道の秋祭りとキリスト教行事の感謝祭。 冬は、キリスト教のクリスマス。 人生も同様。 神道で誕生し(七五三など)。 キリスト教で結婚式。 仏教でお葬式。 外国人から見ると、日本人は無宗教?と思っている様です。 そうそう、今流行の「ご朱印集め」。 神社・仏閣と、何ら関係が無いご朱印を一冊の朱印帳に貰っているツワモノがいます。 この人たちも、一種の宗教に関係なく生きている人々ですよね。^^; ※神社仏閣の一部は、決まった朱印帳でないと朱印をしない場合があります。 ※「スタンプラリーでない!」と、怒っている様です。
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早速のご回答ありがとうございます。 おっしゃるように豊かになった日本では「宗教のデパートで」買い物を楽しんでいるという感じですね。 この場合は「救い」よりも「ご利益(お買い得品を漁るような)を求めているような行動ですね。 キリスト教の場合、「誰でも生まれながらにして罪人である」として信じれば救ってやるという上から目線を感じます。 他の宗教でも「救い」を売り物にして信者を集める手段にしているように思えるのですが、信者が集まって救われるのは教祖や教団だったりするということもあるのでしょうね。
お礼
ご回答ありがとうございました。 確かに何らかの利益(メリット)があるから信じるのでしょうね。 キリスト教の場合は入信は「神との契約」と聞いたことがありますが、そうなると洗礼は契約書に判を押すようなものですね。しかしそれで天国入りを約束してもらっても色々と条件付きなのは保険契約と同じようですね。 宮沢賢治の「注文の多い料理店」ではありませんが、何かを注文しようとして入った料理店(宗教)が実は自分を餌食にするようなところだったなんてのもあるようなので注意が必要ですね。