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キリスト教の救いは

キリスト教の救いは、実は弱者に対する救いではないと思います。 キリスト教には聖書があり、いかにその教えにあった人になるかが大事で、そのような人が偉いとされます。 しかし、生まれながらに発達障害等のハンディキャップを負っている人は、聖書の教えに合わせるのは難しいのです。出来が悪ければ悪いほど、スタート地点がはるか後ろにある感じです。 dnaの悪い者(足が臭い者、顔や声などが悪い者)はキリストからも嫌われ、他の信者からも家庭集会中に嫌われ、救いにいたるのは難しいのです。 結局は、顔がいいとか、こいつを友達にしたいと思われるようなdnaの良い奴しかキリスト教界でも優遇されないのだから、 キリスト教は弱者を救う宗教ではなく、元から出来の良い者をさらに救いましょう、という宗教であることになりますよね?

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  • jack-a3
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回答No.2

原始キリスト教の教えでは、人間同士で比べると頭の良い人、体が大きく強い者や見た目が美しい者などいろいろ優越があり、人間同士は決して平等ではないという現実を認めた上で、そんな人間でも完全無欠で全知全能な神と比較すると、人間同士の優越の差なんて取るに足らないものであり、神の前では人は等しく愚か者として扱われる、という意味で「神の元での平等」なのです。 どれだけ賢い人でも神の御心は分からず、神が存在することすら証明できない。そういう意味で知恵の回らない人と何も変わらないでしょ。みんな迷える子羊なんです。ということを言ってます。 ただ、キリスト教の教団運営という観点では、教義を深く理解して模範的な生活を送る人、教義を布教する人などがより偉いとされることになっちゃいます。これは人が集団生活を送る生き物である限り避けて通れない話ですね。 余談ですが、「神の元での平等」という考え方が身分制度の撤廃や基本的人権という考え方につながっていきます。日本においては「天皇の元での平等」という考え方によって明治維新が成し遂げられました。

noname#261867
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  • oska2
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回答No.7

>キリスト教の救いは、実は弱者に対する救いではないと思います。 何をもって「弱者」と看做すかによって解釈は変わりますね。 病人にキリスト教(聖書)の教えを伝える事は、出来ます。 が、見えない・聞こえない者には何も伝える事は出来ません。 ※ハンセン病患者などは、見聞きする事が可能ですよね。 これは、キリスト教だけでなくユダヤ教・イスラム教も同様です。 つまり、本当の弱者には・・・。 また、旧約聖書の「ノアの箱舟」には人種差別を正当化する教えがあります。 大洪水を生き残ったノアと息子3人。 長男夫婦からは、白人が生まれた。 次男夫婦からは、有色人種が生まれた。 三男夫婦からは、黒人が生まれた。 三男?が、神の教えに反する行動をとったため神の逆鱗にふれた。 「白人からは、世界の指導者が誕生する」 「有色人種からは、宗教指導者が誕生する」 「黒人は、奴隷になる」 ※大学時代の英語の教科書が、新旧聖書でした。記憶は薄れています。^^; 現在でも、ユダヤ教徒・キリスト教徒の基本的な考えですよね。 黒人の地位は、今でも低い様に思います。 >キリスト教は弱者を救う宗教ではなく、元から出来の良い者をさらに救いましょう、という宗教であることになりますよね? 地位・立場で、色んな解釈が出来ますよね。 カトリック・プロテスタントでも、解釈が異なります。 ロシア正教・ギリシャ正教・イギリス国教会でも、解釈が異なります。 旧統一教会も、韓国ではキリスト教系です。^^;

noname#261867
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  • eroero4649
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回答No.6

もちょっとちゃんと聖書を読んでね。 イエスがハンセン病(らい病)患者のところに行く場面がありますよ。当時、ハンセン病は神からの祟りを受けた者がなる病気だと思われていました。相貌に大きな損害が発生するので洋の東西を問わずどこの国々でも怖れられ、罹患した人は社会から隔絶した場所で暮らさなければなりませんでした。 日本でも、ほんの半世紀前までは様々な差別が当たり前のように行われてきました。例えば、子供を作らないように強制的に不妊処理をされたり、患者はみな施設で暮らしていたのですが、医師は診察するときは部屋の中に土足で入ってきていたそうです。 発達障害どころではない差別されていた人たちも受け入れていたのがイエスという人です。彼は、そのような人たちに「神はあなたがたのことを愛して、慈しんでいる」と語りかけたのです。「明日は炉に投げ入れられる花でさえ、神様は愛おしいと思っている。ましてやあなたがたを愛おしいと思わないはずがないではないか」と語りかけたのです。 「山上の垂訓」をちゃんと読み直してみてください。

noname#261867
質問者

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  • DESTROY11
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回答No.5

キリスト教は「救い」などありません。 「神」に心身ともに捧げることで現実から目を逸らさせることが目的ですよ。

noname#261867
質問者

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  • mekiyan
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回答No.4

キリスト教発祥の地は、イスラム教圏内です。 イスラム教は、死ぬまでに聖地のメッカを訪れるのが天国にいける唯一の方法。しかし、そこに国は途方もない砂漠を横断する必要があり、多くのものは生き別れをも意味していました。十分な資金を持たないものは、食物と水を確保するために、強盗をしたり、女性は体を提供の売春も。 そこで、キリスト教は、自分の村に教会を建てて、そこでお祈りをすれば、イスラム教のようにメッカに訪れる必要はなしと説いていき、信者を、改宗者を増やしていきました。 その意味で、キリスト教は、弱者、経済的にそれほど恵まれていない者の救いであったわけです。 しかし、信者も多くなり、組織をより強くしていくためには、すべての宗教に共通する確固たる経営方針も大事になってきます。

noname#261867
質問者

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回答No.3

私は無宗教ですが、神の考えは我々人間には推し量れないのでしょうね。

noname#261867
質問者

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  • takochann2
  • ベストアンサー率36% (2420/6676)
回答No.1

「信じる者は救われる」の意味は、救われるのは信者のみという意味です。キリスト教は信者以外は人間とはみなしませんので殺害の対象です。西洋の歴史がそれを証明しています。

noname#261867
質問者

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ありがとうございます。