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太宰治の『葉』の一節
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。 これは、太宰治の『葉』の一節ですが、 なんとも不思議な感覚に陥りました。 これは、アフォリズムといわれるもののようです。 この太宰治の『葉』の一節のような文章やアフォリズムが読める作品などは、 他にどんなものがあるでしょうか? おすすめの作品を教えていただけたら幸いです。 よろしくお願いいたします。
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- kappa1zoku
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太宰治が『葉』を書いた時期がどのような精神状態だったのかは分かりませんが、自死に関して開けっぴろげに書く人はそんなに多くないため(公の表現の場で)、それを読んだあなたは不思議な感覚に陥ったのではないかと推測します。 あなたが求めるものではないかも知れませんが、自死に関して開けっぴろげに書いている人もいます。 「詩について」鶴見俊輔より >このごろになって、自殺しようと思うことがなくなった。そういう時に、進藤陽子さんが自殺したというしらせをきいて、以前の感情が一時にかえってきた。 理由のない自殺は、たしかにある。理由のない自殺をしそうなところにいる人は、私にとっては、親しい人だ。 上記の文章で、最後の部分がすごいなと思います。 自分を少し突き放して冷静な目で見ています。いいとか悪いとかの判断を一切していません。 太宰の場合は、小説という虚構の世界で書いていますので、一種オブラートに包まれているというか、どこまでが創作でどこからが作家の本音かという問題になります。でも、鶴見俊輔氏の文章はどっ直球なものです。 ところで、太宰治の作品には自由自在な語り手が登場したりしますので、『葉』が特別な作品とは言えないような気がします。