物事に意味を求め過ぎ、全てが無意味に感じてしまう
ご閲覧ありがとうございます。現在大学生なのですが、学校、食事、読書、睡眠、友人、バイト、恋愛、あらゆるものごとに意味を求めてしまいます。といっても損得勘定ではなく、なぜ自分はこんなことをしているんだろうといつも醒めた感覚で、何かに没頭したり、純粋にその時間を味わうことがどうしてもできません。様々なことに挑戦したり、喰わず嫌いしなければいつか何かが見つかると思い、高校のころから趣味を探したり、イベントの参加・主催、住み込みのバイトもやって、色々な書籍や資格に手をつけてみたり、自分の意に沿うもの、沿わないもの手当たり次第にやってきました。しかし、やればやるほど何にも没頭できない自分に直面する機会が増え、むしろ自己嫌悪が強まる一方です。
そして近頃は集中や執着心が徐々に薄れてきました。人からもらった大切なものを捨てたり、唐突に付き合っている人に別れを告げたり、むしろそうしたものや人間関係の断捨離に中毒的になってしまいました。友人との縁を切ったり、家族からの連絡を無視したり、人を精神的に傷つけ、距離を置かれることにある種の快感を感じます。
意味を見出さなくてはいけない、大切にしなくてはいけない、こういった思い込みが強かった分、手放すことが気持ち良く感じてしまうのかもしれませんが、自分でもこれが異常であるということはなんとなくわかります。でも、自暴自棄的な思考・行動がどうにも治りません。
こういった場合どうすれば冷静になって落ち着いた行動を取れるようになりますか。
お礼
これはすごいご高察ですね。月も動いているから何か意味が出てくる、月が止まって見える限り、月に意味は出てこない。動きを認識できるというのが生きているということかと思いました。器械は動き自身を認識できない、まさに月自身は自分の存在を知らないのと同じ。自我意識があって初めて対象の動きを認識できる。これが生きているということかと思いました。虫は自分が生きていることを認識できないのは自我意識を持たないからとすればよく納得できます。熱力学第二法則(エントロピー増大則)により生きているということことを考える考え方ともつながるように思えるので、興奮状態にあります!しばらく、ほかの方々のご感想をもうかがいたいと思います。