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生きている意味、死んだらいけない理由
生きている意味や死んだらいけない理由が分からず苦しいです。何故自分は生きてるのか、他人の為にと言われましたが、自分の命なので、自分だけの意味や理由が欲しいです。何故生きているのでしょう。
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- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
生きている意味は無いです。だから、何か、自分で見つけないといけません。 死んだらいけない理由はないです。だから、親や社会からしていただいたいろいろな恩恵にお返しを済ませたら、自決しても良いです。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
哲学カテゴリーの方々は、福祉的な相談については、かなり厳しいです。 福祉の相談が出来るカテゴリーは、別に有るのかなと思います。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
zszk11様、こんばんは。 おそらく、きっと「ご経験」が、「後世」の役に立ちます。 「自分は、こうだった」は、自分だけのものであるはずです。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
生きている意味はお釈迦様でもキリストでもソクラテスでもアインシュタインでも人間である限り分からないのでは。あなたも人間であるなら分からないと思う。わからないということがなぜわかるといわれると困りますが、どうもそういうものではないかとぼんやりとでも考えています。強いて言うなら,「あなたもわかりませんか、実は私も分からないのですが・・・」という感じで一種の親近感を相手に持てればそれで十分なのではと思っています。自分だけがわからないのではなく、だれにもわからないと思えれば少しは楽にならないでしょうか。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
物質に「目的」はありません。 しかし、原理的には無目的であるがゆえに、現象的に二次的に必然的に生じる目的というのもあるのです。 物質としての「無目的」は、現象的には淘汰(エントロピー増大)となり、二次的に存続する能力の増進=進化を導きます。 「いやオレは違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わって種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするように収束するのです。 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、これも「オレの生きる目的は意志の充足じゃない!」と主張したところで、それも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 その結果として、生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 上記の“式”に「認識」やたらに出てきて、認識の深まりが充足感の追求において重要である事が分かります。 「精神的充足感のため」は、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、認識の深まりにおける、最大限の大きな目的、最大限の愛を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。 生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。 要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。 (「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質) 存在すること ↓ 生きること(体) + 認識を深めること(心) ↓ ↓ 組織化(分業=助け合い)の追求:精神的充足量の追及 ↓ ↓ 自律的社会行動(生産)×社会生命的自覚化(愛) (エントロピー増大の反力としての反エントロピー) =生きること自体による充足=人生を通算した最大充足
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
君はたくさんの人々に生かされてもらっているよね。 君はそのたくさんの人々と同じように、誰かに親切にして誰かのために生きているかい。 たぶんできていないんだろうね。 君に親切にした人は、君に死なれると困るんだ。 死ぬ自由は、君が誰かに親切にすることで借金返済が終わって「俺はいつ死んでもいい」そのように満足してから初めて訪れるんだ。 今のうちはあくせく借金の返済をしな。 死にたかったら金返してからにしろ。
- gongorogon
- ベストアンサー率16% (706/4250)
生きている意味は無いです。 他人の為でも、自分の為でも無いです。 この世に産まれて、時の流れに乗って生かされているだけです。 ですから人々は「存在価値」を見い出すために、生きる意味を見つけるために生きています。 そのうちに「しがらみ」というものが生じますが、それが「他人の為」と錯覚を起こします。 いずれにしても死ぬことはいつでも出来ますから、ゆっくり探すことです。
- koosaka
- ベストアンサー率43% (78/179)
なぜ、生きている意味や死んだらいけない理由が必要なんでしょうか? 動物はそんなことは考えません。 あなたの家に犬とか猫のペットがいたら、聞いてみてください。 「お前は何のために生きているんだ?そして死んだらいけない理由を知っているか?」と。 たぶん、犬や猫はあなたの顔を見て、「主人はなんて訳の解らないことを聞いているのだろう?」と思って、首を傾げると思います。 私たちは生きているから生きているので、意味なんか必要としません、また、死ぬ時は死ねばいいので、死んだらいけない理由などありません。 あなたは、「なぜ、自分は生きているのか、他人のためと言われましたが、自分の命だけの意味や理由が欲しいです」と言っていますが、「なぜ、自分は生きているのか」なんて考えるのは、病気のしるしです。 「自分の命なので」と言っていますが、あなたの命は自分だけのものではありません。 両親や、友人や、兄弟姉妹、そして社会・国家のための命でもあります。 だから「自分だけの意味や理由が欲しいです」と言ってはいけません。 それはあなたのエゴです。
貴方の命は貴方の物ではないです。 貴方の後ろに延々と続く命のリレーの先端走者にすぎないのです。 これは生物がまだ単細胞生物であった時代から一度も途切れる事無く続いて来たものです。 貴方の役割は貴方の親御さんから渡されたこの生命のバトンを次の走者に渡す事です。 これで命のリレーは貴方の次世代へ繋がります。 もちろん子供を授からない人も途中で病死や事故死してしまう人もいるでしょうが、これが生物としての役割です。 生きてるのではないです、生かされるのです…。 貴方の後ろに繫がる貴方の持ってる命のバトンを運んできた何億という走者によって。 その何億という必死に生き延びてバトンを渡した者達の命を背負ってるんです。 貴方の命は貴方の自由にできる物ではないです。 単に預かってるだけですから…。 命と言うのは継がねば途絶えてしまいます。 つまり貴方の持ってる命は最初の生物が生まれてから数十億年一度も途絶えてないのです。 それがどれだけ貴重なものであるかがわかると思います。 弱肉強食の世界で必死に守り継いできた命です。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
何故自分は生きてるのか、 ↑ 本能、つまり脳幹がそう命じているからです。 しかし、理性がそれに疑問を持っている。 そういう状態です。 他人の為にと言われましたが、自分の命なので、自分だけの意味や理由が欲しいです。 何故生きているのでしょう。 ↑ 答えは出ているではないですか。 自分だけの意味なのですから、これは自分で考える しかありませんよ。 他人には判りようがありません。 そもそもですが、生きる意味なんてのはありません。 欲しければ自分で創る、創造するほかありません。 探したって見つかるものではありません。
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