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コイバナとは案外エグイのが普通でないだろうか
- コイバナについての質問があります。
- コイバナはエグイ話題ではないでしょうか。
- 学問の哲学カテゴリーでの質問です。
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質問者が選んだベストアンサー
そもそも、恋愛=発情 なのですから コイバナ≒猥談 なのは、当然と言えば当然なのです。 文学(ドラマのストーリ含む)は、発情(恋愛)を如何に美しく切ない物語に昇華させるかのテクニックであり、素人サン達の語るコイバナはより露骨でエグいモノになるのは当然でしょう。
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- yukiyamamomo
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https://www.youtube.com/watch?v=FQBSqm9qWag ~~~~~~~~~~ 渡辺マホというしんじんg登場したので紹介しておこう。 vtの研究をしているようだよ。 人類法関係化の法は彩難が虫を食べる往古 なかなから派p-はえぐいですね。
お礼
映像半分まで見たよ。 それで十分だからだ。 VR酔いが起きる原因に関する仮説の私の論説と、過去からあった3Dカメラが定着しないで常に短期間の流行ですたれた原因のかかわりについて、ここでも投稿したかな? 確認のために読んだ覚えがあるか教えてくれ、無かったらかいつまんでここにメモを投稿するよ。 紹介の映像中で、VR被験者が前半大騒ぎしながら自分の股間をガシッとつかんでいるよね。あれも男性の性的触発による発奮効果で気力を高ぶらせて難局に対処しようという動物的特徴の表れだ。心理学で定説の「頭の中が女の裸でいっぱい」と同一だよ。この生物的傾向は心理に由来しないで、大脳の生理に由来する。 どういうことかというと、脳の働きは情動が作用して意志として結実し思考が機能する傾向があるんだ。 これはわたしの持論でしかないんだけどね。 したがって純粋知性という理想論を当てはめて、情動に由来しない脳の働きや思考の働きを各分野で研究することとは、脳の死んだ状態を観察するような研究手法の間違いだと思うよ。 動物に感情がないという西洋の定説も間違いだ。 これらは新鋭研究者が挑戦しようとも、西洋科学アカデミーの宗教裁判で断罪されるだろう。 したがって本来とっかかりがある脳機能の探究が進まないでいまだにブラックボックスだ。 それからゾンビ系は観念における本来の恐怖存在の定義に比べて再現性がいびつな傾向がある。観念世界の住人自体は、人に強く働きかけるためにあえて恐怖を誘う演出であいさつする傾向があるんだ。そういうヤツラは肝試し大会のオバケ役そのままに、ぷっぷ、ぷっぷ笑いながら脅かして人に強い作用を刷り込むんだ。 常とう手段になっているよ。 そういう茶目っ気が映像作品各分野で演出にあった方がいいんだよ。
補足
六輪一柱を構成する6色の宝石の論理の一つの紹介。 赤ー感情、青ー意志、黄色ー知性。 思考をこねくり回すのは結構だが、人として生きている動態の実践に限れば「感情優先」だよ。 脳機能は情動でスイッチが入る。 ここから、思考で補足して意志が決定する。(生命としての行動の動態化する) または、直情で意志決定して思考に結実する(生命として判断また望みの動態) この感情の働きに代価として、目標設定などの動機付けを自律していない場合が欲動。 さて、セレビィは緑色基本に赤との対。 感情を起点に青か黄色のバラスト効果を発揮して全体の生命サイクルをうまく回転させるんだよ。 六輪一柱とは、言語的思考に代わる思考活動のシンボルとして、6色の宝石に赤を感情とか当てはめたように観念語の意味をその都度変化をつけて宝石に当てはめて回転循環させることで言語による思考のよりも生命力に直結した思考を獲得することだ。 私は言語に依存しなくても思考できる。 この六輪一柱をゲーム中の「悪魔(妖精さんでちゅ~)召喚プログラム」に設定すると面白いゲームになるだろうなあ。
日本の問題点だってさ。それはその通りだろう。……違うな。「日本」に限った問題でもないし、「人類」に限った問題でもない。このことを理解しないと、どんな回答を得ても「それはその通りだろう。」ということの認識の甘さに気づかないと思う。
お礼
お~! 素晴らしい。 あなたのドリル!ドリル!ドリル!それが最高だ。 もっと穴掘りしてくれ。 目くるめく華麗な変態ショー! それが哲学だ。
お礼
コイバナ論の現実は実際両性とも相当なんだよね~。 今回はそれらが現代では陰湿化している現象を日本の原風景からわずかに確認できたかつてのおおらかさと対比して穴掘り研究ということで、何か思い立ったらまた投稿してくれ。 哲学における深く掘り下げる姿勢の訓練として実に向いた話題であり哲学とはこうして高めていくんだよ。 最後に、普通だと気持ち悪くて避ける話に勇気をもって参加してくれたことにありがとう。
補足
質問者さん失礼、これは余白を使ったメモだよ。 ここは哲学カテゴリーで奇人変人がわけわかんないことをわめく場所だ。 私は基本的に墓守の忠犬ハチ公に死の行進をやめてもらいたいんだよ。 え~とっ、検証モデル。 自我存在という自覚モデルは、死後その仮定モデルから解放され、より本来の姿に近い変容が起きるとしよう、そうすると核質の変化で人格構成要素全体に改変が起きる。 ここで人格に欠かせない他者との共通記憶の変容に対応するのがいわゆる供養。 基本的に縁を切ることと通説になっている。 どちらかというと変容に対応するのが正解。 感覚的にはそうして、記憶を現在も更新し続けることで人格構成要素の一つとして障害が発生しない状態になる。 感覚的にだが、固定された過去記憶からの脱却といったところだろう。 今回は考察中の仮説の一部。 わたしにはこいうことをまともに考察する必然性がないんだよね。 やっかい事だが仕方ない。 リクエストの一部だ。