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江戸時代。芝居の開始時刻。

添付資料によれば、芝居の開始時刻は「明け六つ」です。 こんなに早くから芝居小屋は開いていたのですか。 町の木戸が開くのも「明け六つ」ですから、ごく近くに住んでおればそれでいいのかもしれませんが‥。 湯屋が開くのも、商店が開くのも「明け六つ」ですから、江戸の町は早朝から活動していたということですか。 よろしくお願いします。 学研科学創造研究所のサイト「お江戸の科学」 https://www.gakken.co.jp/kagakusouken/spread/oedo/03/kaisetsu1.html

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

江戸の町は早朝から活動していたということですか。 ↑ そうだと思いますよ。 日の出が基準になってるのでは? ちなみに商家も農民も1日2食ということも聞きました。 朝昼兼用なのだそうです。なので商家などは6時くらいには水を撒き開店準備してたみたいですね。 ただ、終わるのも早かったのでは? 15~16時くらいには仕事を終えていたのではないかと。 その分寝るのも早く、燃料費を無駄遣いしないようにしてたのでしょうね。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 日の出が基準ということですね。 分かりました。 それにしても湯屋も夜明けには開いていたそうで、ビックリしました。

その他の回答 (4)

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5119)
回答No.5

>こんなに早くから芝居小屋は開いていたのですか。 基本的に、江戸時代は「太陰暦」ですよね。 そして、冬時間と夏時間が存在していました。 明るくなると、作業に出かける。 暗くなると、寝る。 これが、将軍家から庶民まで同じ生活パターンです。 将軍家は、(現在の時間で)午前6時頃に起きます。 庶民は、東海道など移動する場合は午前5時頃に宿・家を出ます。 ※上記は、夏時間採用の場合。 当然、芝居小屋も「庶民が活動する時間」「暑くも寒くも無い時間帯」で興業を行います。 >湯屋が開くのも、商店が開くのも「明け六つ」ですから、江戸の町は早朝から活動していたということですか。 その通りですね。 明るくなると活動し、暗くなると活動を停止する。 昭和時代の「24時間戦えますか?」の、モーレツサラリーマンは存在していません。 ※ゆとり教育・ゆとり勤務の現在では、想像できませんが・・・。 木戸・武家屋敷門・江戸城の門でも、日没頃には門を閉じます。 この門限に遅れたのが、有名な「江戸城大奥御年寄・絵島事件」ですね。^^;

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 大体のことは想像できるようになりました。 江戸八百八町のあちこちから、夜明けとともに木戸が開くのを待ちかねていた連中が、芝居小屋目指したのですね。 湯屋も開いているし、ゆったりしていた時代だったのですね。 でも役者は、暗いうちから行燈灯して、化粧や着付けと大わらわだったでしょう。

  • maiko04
  • ベストアンサー率17% (345/1956)
回答No.4

日の出から日の入りまでを6等分しますから4つとか9つと言っても わけがわからないのです。 今の時計の何百倍も複雑な時計を使わなければいつかわかりません。 なので日の出が基準だったのでしょう。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 日の出が基準だったと思います。 そんな時分に開けて、見に来る人がいるのかなと思いました。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1725)
回答No.3

のようです 抜粋----  観客も今のように静かに黙って歌舞伎を見ていたわけでない。当時、流行した劇場内部を描いた「浮絵(うきえ)」(西洋の透視遠近法を用いて描かれた浮世絵)によると、客は食べたり、酒を飲んだり、しゃべったりと勝手気まま。芝居は、見るというより観光気分で「行く」場所だったようだ。演目も朝から日没まで1日かけて演じるものが多かった。  客にとって見物は大仕事だ。そうした中で生まれた名物のひとつが、昼食のための弁当。幕間に食べるので「幕の内」弁当と呼ばれた。弁当のルーツが歌舞伎にあるわけだが、歌舞伎十八番の演目である『助六』にちなんでつけられた「助六寿司」はいまでも人気の弁当だ。 ----

参考URL:
https://www.nippon.com/ja/views/b03001/
kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >芝居は、見るというより観光気分で「行く」場所だったようだ。 >演目も朝から日没まで1日かけて演じるものが多かった。 なるほど、そういうことですか! 一日中、一つの演目を通しでやっていたのですね。 よく分かりました。 役者は、化粧や着付けをせねばならず、暗いうちから起きて大変だったでしょう。

  • terepoisi
  • ベストアンサー率44% (4091/9256)
回答No.2

夜の灯りはけっこう高価なものでした。 米と油の価格比は3:1とも言われています。灯明代を節約するには明るくなってから起きて暗くなったら寝るのが一番。都市部では夜ふかしするほどおカネがかかるという感じだったと思います。 >こんなに早くから芝居小屋は開いていたのですか。 ローソク代がかさむような芝居興業は木戸銭が見合いません。 当時の芝居小屋は2階にある窓の開け閉めでライティングしていたそうで、日が暮れたら終わり、というのが普通だったみたいです。 >町の木戸が開くのも「明け六つ」ですから、ごく近くに住んでおればそれでいいのかもしれませんが‥。 午前4時ごろから用意して芝居茶屋からの迎え駕籠や舟で乗り付け幕開けから観る人もいれば途中から観る人、一幕見も居たと思います。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「午前4時ごろから用意して芝居茶屋からの迎え駕籠や舟で乗り付け幕開けから観る人もいれば途中から観る人、一幕見も居たと思います。」 裕福な人は芝居小屋近くで前泊ということですね。 そうでない人は、木戸が開いてからということですね。 よく分かりました。

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