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「エエカッコシイ」を東京弁で何という?
先日NHKで「江戸っ子気質」が何故出来たのかを、江戸の大火の歴史から説明していました。江戸っ子は「物事に執着しない」「宵越しのカネは持たない」気風を"カッコいい"とし、それを”粋(いき)”と呼んだとのこと。 しかし、大阪人からすると、それは「やせ我慢」で「エエカッコシイ」で蔑みの対象になります。大阪人はエエカッコシイの人間を嫌います。 ということは、東京には「エエカッコシイ」を蔑む意識と文化がなく、言葉も存在しないということでしょうか? 宜しくお願いします。
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東京で「エエカッコシイ」に相当する言葉というと「見栄っ張り」でしょうか。 辞典にも「エエカッコシイ」は「人前でいいところを見せようとして、見栄を張る人」と書かれていますから、それ自体は間違っていないでしょう。 ただ言葉は使用者の文化的背景によりニュアンスは異なるものですから、東京人が思う「見栄っ張り」と大阪人が思う「エエカッコシイ」は完全に同一の概念ではないかもしれませんね。 たとえば「バカ」と「アホ」のニ語。東京では「アホ」のほうがきつい罵倒ですが、大阪では「バカ」のほうがきついとか。 もちろん東京でも「見栄っ張り」はよくは思われません。ただ「物事・金銭に執着しない」や「宵越しのカネは持たない」が「見栄っ張り」に結びつくというのは違和感があります。 「物事・金銭に執着しない」は「見栄っ張り」で蔑みの対象とのことですが、東京ではむしろ人格者だと評される部類でしょう。物事・金銭に執着しない人というと私は修行僧を思い浮かべますが、修行僧を見栄っ張りとは思わないですよね。 「宵越しのカネは持たない」というのは今日的には死語に近いし、現代人はそこまで達観できないと思いますが、もしそれを実践していける人がいたなら、東京ではたぶん破滅的な人間だと思われるでしょうが、それでもある意味尊敬されるでしょう。 それら言葉の概念の結びつきは文化的背景が違う人から見れば違和感があることかもしれません。要するに日本語、いや言語というのは地域ごと文化ごとに異なるものだということではないでしょうか。
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- hla7yrgrg
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個人的に、江戸っ子とは、傾奇者ほどの派手さや暴力的なものはないが、傾奇者に感化されて、傾奇者とはまた角度の違う傾奇者(と言い表すと変ですが)である人のことは思っています。 「みえを張る」みたいは言葉はあったりするものですが、そうではなく東京の下町言葉(江戸言葉)でそういう言葉は無いのか?と聞きたいのでしょうかね? 江戸言葉辞典みたいなで探してみると良いかもしれませんね。大阪弁や江戸言葉など全国何処もそうですが、現在耳にする方言が生粋の方言である確率は限りなく低いらしいので、現在は使われていないが昔は使っていた言い回しってのはあるかもしれませんね。
お礼
回答ありがとうございます。
- momiki4455
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こんにちは あの番組見ました。 >東京には「エエカッコシイ」を蔑む意識と文化がなく、 言葉も存在しないということでしょうか 私も現役時代、大阪支社に行きました。 東京と違うと、思うところ、たくさんありました。 しかし、夕方から歓迎会は有るし、上司と客先回りも それは東京と大阪の違いを感じました。
お礼
回答ありがとうございます。
- staratras
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江戸にも「エエカッコシイ」を馬鹿にする考え方はありました。例えば「無いやつのくせにそなへをでっかくし」という古川柳があります。金の無い奴がおそなえ(鏡餅)だけは大きく飾っているという冷やかしの句です。ただし「エエカッコシイ」にはこのように「虚勢を張る」ものと、逆に「やせ我慢」をするものがありますが、江戸で馬鹿にされたのは主として前者(「見栄坊」や「見栄っ張り」)のように回答者は感じます。 なお「宵越しの金は持たない」は別に「やせ我慢」ではなく、むしろ「その日その日の暮らしを楽しむ」楽天的・享楽的な考え方のように思います。もっとも「宵越しの金は持たない」などと言えるのは、日銭の入る職業の庶民だけです。江戸でも商店の主人や番頭などはそれでは店の商売が成り立ちませんし、大家さんも江戸に極めて多かった火災で長屋が焼ければ建て直す必要がありますので、もっと堅実に金を貯えて不時の出費に備えていました。 もちろんそれは当時でも当然のことと考えられていました。つまり、「宵越しの金は持たない」とは「金銭に執着しない江戸っ子のきっぷの良さを誇る常套句」ではあっても、江戸に住んでいた人すべての経済実態をあらわすものではなく、まして江戸に住む人すべての理想像では必ずしもなかったということです。
お礼
回答ありがとうございます。 >「宵越しの金は持たない」とは「金銭に執着しない江戸っ子のきっぷの良さを誇る常套句」ではあっても、江戸に住んでいた人すべての経済実態をあらわすものではなく、まして江戸に住む人すべての理想像では必ずしもなかったということです。 なるほど、そういう事なんですね、よく分かりました。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
江戸っ子の粋とやせ我慢が大阪人から見るとええかっこしいの蔑みの対象になるように、大阪人のいうところの「実利主義」は、関東人から見るとケチで蔑みの対象になるというのはあるかもしれませんね。 そういう気質の違いはあると思います。どちらがいいとも悪いともないですね。 東京と大阪で講演をしたことがある人がいってましたが「大阪の人は講演をするとええ話を聞いた!とリアクションが大きいけれど実際はほとんど内容を覚えていない。東京の人は講演をしても反応が薄いから聞いてないのかな?と思っていると実はちゃんと内容を覚えていたりする。そういう違いがある」のだそうです。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、興味ある事実ですね。
- N5200model05
- ベストアンサー率39% (100/255)
つーか、例えば宵越しの金を持たないというのが「エエカッコシイ」ってのが、自分の感覚としてはつながらないですね。「エエカッコシイ」というのは、執着の有無じゃなくて「本心は違うけど人目を気にして上辺だけを繕う」ようなことを言うという理解だったんですが、違うんですかね。 つまり、宵越しの金を持たない、というのは上辺だけのものじゃなくて、本当に江戸っ子の行動原理だったので、そりゃぁ中には、例えば床下に金をため込んでおいて、上辺ばかり江戸っ子を気取るような「エエカッコシイ」もいたでしょうが、そうじゃなくて本当に執着しない生き方を良しとし、「三方一両損」みたいな話も生まれる土壌があったわけです。 大阪の実利主義というのがどういうものか理解出来てるわけではないんですが、たとえば「文七元結」の長兵衛みたいな人、大阪人はただの「エエカッコシイ」とか思うんですかね。 あと、今の東京にいる人たちはほとんど「江戸っ子」ではありません。明治以降、薩長土肥をはじめとして、日本各地から流れ込み、「東京」を拡大し、独自のコミュニティを作っていった人たちで、「江戸っ子」と呼べる人は本当に少数です。でも、そういう江戸っ子は、まだまだいるし、そういう気質も健在ですよ。
お礼
回答ありがとうございます。 どうも、宵越しのカネは持たない、というのは皆さんの説明によると、エエカッコシイというよりも、断捨離を極めた仙人のような生き方のようですね。 それなら、蔑むよりもむしろ尊敬されているというのも納得できます。
- okok456
- ベストアンサー率43% (2746/6352)
東京で育ちましたが両親は香川県出身、友人の両親の半数も地方出身です。 テレビ、ラジオの影響も大きいでしょうけど思い付いたのは 「粋がってる」「すかし屋」「きどどり屋」「みえはり」「背伸びしてる」 その放送を見ました。 時代劇や落語に大工が良く出てくることに納得しました。 また、大火に備え民間で食物や復興する為の木材を備蓄していたことに関心しました。 庶民もキセル、かんざし、食器などは結構凝ったものを持っていたようですね。 そう言えば東京の住宅街を歩くと消火器を見かけます。 http://photozou.jp/photo/show/138850/250532302 https://dailyportalz.jp/kiji/141113165588 http://photozou.jp/photo/show/138850/200102091
お礼
回答ありがとうございます。
- double_triode
- ベストアンサー率26% (520/1997)
直訳は「カッコマン」。 英語まじりなので当然に江戸弁ではなく,それほど流布した言葉でもありません。ダウンタウン・ブギ・ウギ・バンドの曲「カッコマン・ブギ」(1975)のタイトルにも使われました。
お礼
回答ありがとうございます。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
東京には「エエカッコシイ」を蔑む意識と文化がなく、言葉も存在しないということでしょうか? 「伊達の薄着」(下記)と言うのがありますが。 http://kotowaza-allguide.com/ta/datenousugi.html
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、あるんですね。
- copemaru
- ベストアンサー率29% (895/2998)
直接的には「粋がってんじゃねーよ」でしょうか。ただ、蔑みとしてというよりは、心配して言う意味が含まれているように感じます。 痩せ我慢や無理を承知で引き受ける事を美学とする文化があるからでしょう。 蔑みの言葉としては「見栄っ張り」 がより近いように思いますが、東京弁ではありません。
お礼
回答ありがとうございます。 参考になりました。
- mt_mh
- ベストアンサー率24% (281/1149)
キザ。あるいは「キザなやつ」。
お礼
回答ありがとうございます。
補足
「宵越しのカネは持たない」などと「粋」がってる男は、大阪人には「キザ」に見えます。 「ものごとに執着しなかった」江戸っ子気質は、現在の東京人の一部には引き継がれていますか?というのは、江戸時代の大阪商人の「実利主義」は現在の大阪人にも引き継がれているからです。
お礼
回答ありがとうございます。参考になりました。