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太平洋戦争当時日本が原発を完成させていた?

チャンネル桜の番組 【夢を紡いで #12】田中英道~共産革命の下準備、少数派の横行と憲法9条[桜H30/4/6] 司会:中山恭子(参議院議員) ゲスト:田中英道(東北大学名誉教授) https://www.youtube.com/watch?v=hquI0BLyqrI の最初で田中英道さんが日本も原爆を完成させていたとおっしゃっていたのですが、本当でしょうか? 実戦配備とかではなく、原爆実験を成功させて完成させたという意味のようです。

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回答No.8

海軍から原爆の研究を依頼された中谷宇吉郎博士が、原爆が日本に投下されたその年の10月に、「原子爆弾雑話」という話を『文藝春秋』に寄せています。 以下、長くなりますが抜粋します。 昭和十五年になって、遂にウラニウムの核分裂という新しい現象が恐るべき勢力源として現われて来たのである。その論文が日本に届いたのは、確か太平洋戦争勃発の一年くらい前であった。ラサフォードがキャベンディシュ研究所の俊秀を総動員して、世界の物理学の主流を原子構造論から一歩進め原子の内部に足を踏み込ませ、原子核構造論の樹立に眼を開かせてから約十年、それを受けたアメリカが、莫大な物と金と人とを困難な実験に注ぎ続けて約十年、やっとこのウラニウムの核分裂の発見によって、原子内に秘められた恐るべき力が、科学者の前に初めてその姿の片鱗を現したのである。  しかしこの現象の発見によって原子爆弾が半ば出来たのではない。原子の性質として知られたこの核分裂現象の発見は、いわば富士山を作っている土の粒子の性質が知られたようなものである。その土の粒子を一粒一粒集めて富士山を作る仕事が、本当に原子爆弾を作る仕事なのである。  ウラニウムの核分裂の発見から原子爆弾に到達するまでに、平時だったら三十年とか五十年とかの年月を要するだろうと考えるのが普通である。実際のところ私なども、原子爆弾が今度の戦争に間に合おうとは思っていなかった。太平洋戦争勃発直前ルーズベルトがこのウラニウムの核分裂の研究に着目し、これを新兵器として使うべく、チャーチルと協力して、両国の物理学者を総動員したという噂をきいても、聊か多寡をくくっていた。いくらアメリカが金を使い人を集めたところで、二年や三年で出来るべき性質の仕事ではないと考えられたからである。  ところが実際にそれが使用され、やがてその全貌が明らかにされて来て、初めて今度の戦争の規模が本当によく理解されたのである。アメリカのことであるから、何百人の科学者を動員し、何千万円という研究費を使っているのかもしれないが、それにしても今度の戦争にすぐ間に合うというような生易しい仕事ではないはずである。こういう風に考えていたのは私たちばかりではないらしい。ところがそれがまるで桁ちがいの数字であったのである。 「発見までには二十億ドルを費」し「六万五千を超える」技術作業員を擁した大工場の作業が、極秘裡に進められていようとは夢にも考えていなかったのである。 (抜粋終わり) この話を信じるか、「チャンネル桜の番組」を信じるかの問題です。 全文は、青空文庫で読むことができます。 https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/53227_49834.html

tanuki2018
質問者

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回答ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。

その他の回答 (9)

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5119)
回答No.10

>田中英道さんが日本も原爆を完成させていたとおっしゃっていたのですが、本当でしょうか? 完成は、していません。 確か、仁科研究所で原爆開発を行っていたのは事実です。 (ゼロ戦に搭載可能な)超小型の原爆開発を、目指していた様です。 ウランも、(当時)福島県郡山市・石川町で鉱石採取を行っています。 もちろん、米軍に察知されてB29が爆撃を行っています。 当時は、辺鄙な山の中を何故B29爆撃機が飛んできたのか理解出来なかったようです。 ※東京の絨毯爆撃に出動した半分の大編隊のB29が郡山・石川を爆撃。 ※当時4万世帯の地方都市爆撃にしては、大規模過ぎますね。 結局、ドイツからUボート2隻でウランが日本陸軍に向けて出航。 ※「ウランを送れ」との日本軍の暗号を、米軍が傍受。 1隻は、行方不明。もう一隻は、米軍に拿捕。 Uボートの積荷・目的地を知って、米軍は驚愕した様です。 結局、ウランは届かず「原爆開発を行っていた理研荒川工場」はB29の爆撃で徹底的に破壊されます。 結局、理論的(設計図)には完成しても現物は完成していません。 広島・長崎に原爆が投下された時に、「直ぐに原爆だ」と確認したのも仁科研究所です。 この理論の正確さは、後の中性子理論で有名な湯川秀樹博士の論文でも理解出来ます。 高度成長期に、原子力発電技術を日本が持っていた事も証拠のひとつ。 原子力は、平和に利用するに限ります。

tanuki2018
質問者

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回答ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。

回答No.9

ヒトラーが間に合わないと開発を断念したものを日本の技術力が作れるわけが無い

tanuki2018
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。

回答No.7

>田中英道さんが日本も原爆を完成させていたとおっしゃっていたのですが、本当でしょうか? 本当というよりもいろいろな説が錯綜した結果ご本人は原爆を完成させていたと思い込まれたのでしょう。 田中英道という人物は美術史の専門家です。 一風変わった方のようで学会としては正式に認定されていない日本国史学会などを立ち上げた人物です。 現在量子力学と呼ばれる核分裂に関する研究は日本でも非常に速い時期から取り組まれていました。 湯川秀樹が戦後日本人初のノーベル賞を受賞したのは1934年に原子核の中に中性子というものの存在が予測できるという趣旨の論文です 基礎となったのがアインシュタインが理論的に証明した質量とエネルギーとの関係式:E=mc²から物質はエネルギーと互換性があるという理論です。 アインシュタイン自身が物質を急激にエネルギー化することで極めて威力の大きい爆発物を作ることが理論的には可能だという趣旨の手紙を当時のアメリカ大統領に書き送っています。 ただし、アインシュタイン自身は後の原爆の開発計画(マンハタン計画)には直接タッチしていません。 第二次世界大戦の前から日本の学会でもこのアイシュタインの理論的な予想は良く知られていました。 アインシュタイン本人も来日して講演していました。 原子核に電子などを急激に衝突させて異なる分子に変える実験装置(サイクロトロン)は当時の日本には4台あり世界の最先端を行っていました。 日本を占領した米軍は真っ先にこのサイクロトロンを破壊しました。 つまり第二次世界大戦の前にもし日本が意図的にアインシュタインが予測した破壊力の大きな爆発物を作ろうと思えば出来る可能性が多分にあったということです。 恐らく田中某にすれば可能性だけでは満足できなかったのではないのでしょうか。 第二次世界大戦当時の日本軍は既に航空機戦の時代であることを知りながら大艦巨砲主義を捨てきれずに戦艦大和のような無用の長物を作っていたように極めて保守的でした。 日露戦争末期に開発された歩兵銃を第二次世界大戦当時も使っていました。 仮に大学の教授連中が提案しても新型爆弾など到底採用されなかったでしょう。

tanuki2018
質問者

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回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11083/34537)
回答No.6

他の方も指摘していますが、アメリカは原爆の開発に20億ドルという途方もない金額をつぎ込んでいます。これは、当時の日本の国家予算より多く、第二次世界大戦でアメリカが生産したすべての爆弾の費用に相当します。アメリカは日本とドイツに対して途方もない量の爆弾を投下したのはご存知でしょうが、それと同じくらいのお金をかけていたのです。 現実的には、戦争後半になって研究者に開発を命じるというか、依頼しましたがもう物資も不足し始めた時期で、予算もない、資材も手に入らない、人員も戦況悪化で学徒動員されて人もいないという、ないないづくしの状態であったので、紙の上で計算して実験室で基礎的な研究をするのが精一杯だったようです。

tanuki2018
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 やはり、ガセネタなんですかね?

  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2193/11074)
回答No.5

核分裂が、発見されたのは、1938年 太平洋戦争当時、に作られたとするならば、とても簡単に作られるのだろう。 原料を調達するだけでも、原料がどこにたくさんあるのか調べるだけでもずいぶん時間がかかるだろうに。 無理としか、言いようがない。

tanuki2018
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 中国に展開している関東軍は負けていなかったので 原発を使ってソ連軍を蹴散らして満州国を死守することは出来ないですかね?

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6893/20380)
回答No.4

ネタ元が北朝鮮だと 言っています。 日本が占領していた朝鮮で 現在の北朝鮮にあるウランを使って その北朝鮮で作った。 と北朝鮮が最近発表した。 ということですが 裏付けとなる資料がないので すぐに真実だと認められないでしょう。 北朝鮮の言うことですから。 もちろん理論はわかっていたので 広島に投下されたときに これは原爆だとすぐにわかった人もいる。 研究をしていた人たちのことです。

tanuki2018
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 北朝鮮はどんな意図があってそのような情報を発表したんですかね? 疑問に思います。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1499/3651)
回答No.3

日本が戦時中に原子爆弾の研究を行っていたことは事実ですが、実際に兵器の製造に着手する段階には至らず、まして完成などはしていません。 世界で初めて核兵器の製造に成功したアメリカのマンハッタン計画では約20億ドル(当時)もの巨費が投じられ、全米に複数の拠点を設けて、多数の優秀な科学者・技術者がこれに参加しました。多数の労働者も動員されています。 日本の原爆研究は、これとは比較にならないほど小規模のうえ、陸軍(理化学研究所)と海軍(京都大学)に分かれていました。原爆の材料となるウラン濃縮を開始する段階にも達しないうちに敗戦となっています。 ご質問に引用されたyoutubeで主張している1945年8月12日は、ソビエト軍が朝鮮にも攻め込んで来て戦闘が始まっていて、「原爆実験」どころではない混乱した時期です。 youtubeで見せている新聞のコピーは1946年10月のアメリカの新聞Atlanta Constitution紙で、この「北朝鮮の興南で日本が原爆を製造し実験に成功していた説」は、戦後すぐからあるようですが、事実ではありません。

tanuki2018
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 動画の中で田中さんも日本が原爆を開発に成功したことも アメリカ軍が原爆を投下を早めた理由のひとつだと仰っていましたが アメリカの情報工作ということなですかね?

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.2

研究していたのは事実ですが、国力からして完成には程遠い状態でした。当時の日本は世界的に見ても決して科学力で劣っていたわけではないのですが、国力の差はいかんともしがたく、それを精神力で補えなどという無茶なことを言って破滅に進んでいきました。

tanuki2018
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 完成はしていなかったんですかね?

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

1。の最初で田中英道さんが日本も原爆を完成させていたとおっしゃっていたのですが、本当でしょうか?  できてたが使わない、無いのと同じでしょう。 2。実戦配備とかではなく、原爆実験を成功させて完成させたという意味のようです。  なんでも完成させたが、納屋にしまっていて実戦配備には使わなかった、というどうでもいい「お話」ですね。  十で原爆、十五で花火、二十歳過ぎれはただの粗大ゴミ。  http://kotowaza-allguide.com/to/toodeshindou.html

tanuki2018
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 動画の中で最近発見された資料の中で、 日本に原爆が投下される何日か前に現在の北朝鮮のあたりでの 日本軍の実権で成功を収めた仰っていました。

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