- ベストアンサー
水戸黄門について教えてください
水戸黄門様は将軍家とどういう関係でしょうか?(○代将軍△△の弟の子供・・とかそういう事です) 助さん、格さんは実在したのでしょうか? また(実在した、しないに関わらず)、彼らはどういう身分の人間でしょうか? お詳しい方、お願いいたします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「黄門」というのは中納言という官位を中国風に称したものです。 したがって、「水戸黄門」といえば「水戸中納言」ということになります。 水戸徳川家は徳川御三家の一つですが、代々の藩主は中納言に叙せられる ことが多かったので、藩主がこう称されるわけです。 しかしながら、水戸黄門というと、普通は水戸徳川家の二代藩主、 徳川光圀を指します。水戸徳川家は徳川家康の十一男の徳川頼房が 開祖で、光圀はその三男です。徳川将軍で言えば犬公方といわれた 五代将軍綱吉と同時代ですね。 徳川光圀は水戸家を天下の副将軍たらしめるべく、 さまざまな施策を打ち、水戸家の家風を確立した名君ですが、 ドラマのように全国各地を歩き回ったわけではありません。 助さんのモデルは佐々介三郎宗淳、格さんのモデルは安積覚兵衛と されていますが、彼らはいずれも徳川光圀の配下で歴史書「大日本史」の 編纂に当たった、いわば学者の先生です。彼ら(主に介さん)が 資料収集のために全国あちこちに出かけ、歴史上の人物のゆかりの地に 光圀の名前で石碑を建てたりしたのが、脚色されて後年の 水戸黄門漫遊記のような講談本になり、 それがドラマの下敷きになったと考えられます。
その他の回答 (2)
水戸黄門(水戸光圀)は初代将軍徳川家康の孫にあたります。(徳川家康11男頼房の3男)水戸藩2代藩主です。 助さん、格さんは実在したようです。学者さんで、大日本史の編纂にあたった人です。ちなみに黄門さまは全国漫遊はしていません(水戸と江戸を往復するくらいだったようです。)
お礼
「水戸と江戸を往復するくらい・・」というのが笑えました!そういう感じだったんですね。ありがとうございました。
- nyozegamon
- ベストアンサー率45% (895/1969)
徳川光圀(黄門様)は、江戸時代初期の水戸藩主、頼房(徳川家康11男)の3男、家康の孫に当たります。 また、助さん・格さんは実在の人物とされています。 詳しくは下記URLを参照してください。
お礼
大変参考になる、おもしろいサイトを紹介していただき、ありがとうございました。
お礼
すごく詳しい説明、ありがとうございます。 黄門の意味まで教えていただいて、非常に参考になりました。