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淀殿

淀君は、大河ドラマでは秀吉を疎んじて いたようになっていますが、本当の所は どうだったのでしょうか?

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  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.4

>淀君は、大河ドラマでは秀吉を疎んじていたようになっています まぁ、歴史小説では「疎んじて書いた方が面白い」ですからね。 実父を(信長の命令と言っても)、秀吉軍に殺されています。 実母にいたっては、秀吉の命で秀吉軍に殺されています。 淀君からみると、秀吉は「両親の仇」ですからね。 >本当の所は、どうだったのでしょうか? 実のところ、分からないのです。 秀吉時代の史実は、徹底的に徳川家によって改ざんされていますからね。 1.秀頼は、淀君と大野某との間にできた子供。 1.淀君は、気性が荒く大坂城を落城させた張本人。 色々と、「淀君=悪女」となっています。 秀吉が亡くなった後の行動を見ると、秀吉には何の関心も無かった様ですね。 うがった見方をすると、秀吉を利用して「実権を握る」事を夢見た可能性もあります。 「私が子を生めば、浅井の血は残る」 残念ながら、表の歴史では秀頼と一緒に大坂城内で自害します。 ※裏の歴史では、秀頼一行(秀頼・真田幸村)は大坂⇒讃岐⇒土佐⇒日向⇒薩摩と亡命しています。^^; 確かな事は、秀吉とは相思相愛の関係ではなかったでしようね。 この時代の淀君の記録がありませんから、本当の事は分かりません。 ただ、「母親としての淀君」は淀君の供養塔にお参りに来る方も多いです。 大阪市北区太融寺町の太融寺に、供養塔があります。

Vanilla-essence
質問者

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回答ありがとうございます。 私は、秀吉は、秀頼が自分の子では無いと分かっていたのではないかと思います。 しかし、愛する女がそう言うならそれで良いと 思ったか、どうであれ、「秀吉の子」という存在が必要だったという算段があったか。 秀吉だって馬鹿ではないのだから、淀殿とだけ 子を授かるのはおかしいと思うでしょう。 この女ならやりかねない…でもそれでも良いと いう、深い愛情があったと思いたい。 夫婦には、はたから見ると解らない事が有ります この方々もまた…というところでしょうか。

その他の回答 (4)

回答No.5

それは本当だと思いますよ 淀は言ってみれば母の代わりに秀吉の側室にされたようなものですから 秀吉は信長の妹 お市に惚れてて結婚したがってた しかしそれが叶わなかったので娘の茶々(淀)を側室にしました 淀にしてみれば母があれだけ嫌ってた男です 決して良い感情は無かったでしょうが 時が時なだけに秀吉の庇護を受けるしかなかったのでしょう 仕方なく側室になったと思います そんな淀は打って変わって息子の秀頼は溺愛していました 秀吉の子なのに? 本当に秀吉の子なら秀頼をそこまで愛するでしょうか? やっぱり秀頼は秀吉の子ではなさそうです

Vanilla-essence
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 淀君にとって秀吉は、自分を特別扱いしてくれる 存在だし、強力な後ろ楯。 愛されることにより、皆、自分にかしづく。 自分は何の功績も無いが、皆が一目置く存在で あることは、心地よいし、手放せないし、 発言権があることが心の支えだったのかもしれ ません。 今が大事ですし、無償の愛を注いでくれる相手は 秀吉だけだったかも。 長い年月、過ごすうちに振る舞いを覚え、 気持ちに変化が出ても不思議ではありません。 しかし、妹はお初、お江なのに、“茶々”とは、 元祖キラキラネーム☆でしょうかね。笑

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7250)
回答No.3

嫌がったり憎んだりしたとは思いますが、親しく感じていたはずがありません。 浅井長政の娘なんですよ。父親を信長に殺され、頭割られて頭蓋骨を酒の盃にされたなんていう目にあって笑っていたら変です。その懐刀で、形だけとはいいながらへつらっていたサルが自分の天下になっていいよって来たらうれしいと思いますか。もっとも、こいつのいうことをきかないと姉妹まで巻き込んでしまうから目をつぶるしかない。母親の市は柴田勝家になびいたうえ滅ぼされましたから。 信長だったらいつか殺してやろうと思ったでしょうが、こいつは嫌だなへどがでるなと思っていたと考えてまず間違いありません。疎んじるどころじゃないでしょう。だけど女の体というのは仕方がない、子ができちゃったのですね。 ただ、この子も秀吉の子かどうかわからないんですね。石川五右衛門の子じゃないかという怪説があるくらいで。秀吉はそのころ、まだ50代なんですけど消耗甚だしく老衰しており、行為はともかく妊娠させる能力があるかどうかが疑われるようです。 仮に五右衛門だったらおもしろいですが、別のだれかの子であったとしても、淀としてはなんとなく快哉をさけんだんじゃないでしょうか。それを次の関白にできるのですから。そうしたらサルなんていうのは地べたを掘ってちり芥と一緒に埋め立てて存在しなかったようにすればいいし。 そんな思いで生きていたんじゃないですか。だから実の子というのはもちろんとして、秀頼への思い入れは激しかったと思います。

Vanilla-essence
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 それは、最初は不快だったのだろうとは思います しかし、長い年月、権力者が自分には下手に出て くれたり、機嫌を取ったり…秀吉から淀殿への 手紙が…見つかったそうですが、 「貴女の事を愛しく思っている。貴女にキスした い」という内容だったとか。 遠く離れていても自分を気に掛けてくれる存在は 秀吉だけだったのかもしれません。 淀君は、アシメトリーな着物から読み取れるよう に、個性的な女性だったのでは。 醍醐の花見では、正室の後の杯を松の丸殿とどちらが受けるかで争ったとか。引かない。 プライドも相当高かったと思われます。 大河では着物でしたが、最後の戦いでは、鎧を身に付けて戦おうとした(士気を高めた?)そうで すね。 燃えるような恋心ではなく、広い意味での同士の ような、家族の様な愛はあったのかなあ、と 思いました。

回答No.2

淀殿(浅井茶々氏)と,豊臣秀吉氏は,親子程,年の差が離れていますし,淀殿が,豊臣秀吉氏の側室になり,子をもうけたのは,当時としては,晩婚の20代です..妹達が,早くに,結婚して行く中で,20を過ぎて,豊臣秀吉氏の側室として迎えられた淀殿..豊臣秀吉氏は,確かに,父親や,義父(柴田勝家),母親などの仇ではありますが,当時は,戦国乱世,天下人や,関白職に就いている男性(例;豊臣秀次氏に嫁いだ,嫁ぐ前に亡くなった駒姫など)に嫁ぐことは,当時の武家の姫君として,決して,悪い話では,なかったと思いますし,淀殿も,20を過ぎて,ずっと独身でいるよりかは,良かったのではないでしょうか‥‥?大河ドラマなどでは,淀殿と真田幸村氏の恋愛や,淀殿と,乳母子の大野治長氏の関係性などが,取り上げられますが,信憑性などは,無いようですし,淀殿は,豊臣秀吉氏に,大切にされていたようですので,特に,恨んでいたとかは,無かったのではないでしょうか‥‥特に,自尊心の強そうな淀殿ですから,やはり,妹達よりは,格上の男性と,結婚することなどに,特に,不満などは,無かったのかもしれません..妹の一人は,豊臣秀吉氏の甥の一人と,結婚しています..

Vanilla-essence
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 秀吉の正室、北政所とは当時では珍しい恋愛 結婚で、北政所は母親の反対を押しきって結婚 したとか。 秀吉は、容姿はサルなどと言われ、誉められた ものでは無いのかもしれませんが、魅力のある 男性だったのではないでしょうか。 時の権力者に必要とされるのは、悪い気はしない のかもしれません。 愛、とは少し違うのかもしれませんが。

  • stss08n
  • ベストアンサー率16% (454/2764)
回答No.1

親の仇だからプライド有れど”それ以上でもそれ以下でも、生きんが為の生涯。

Vanilla-essence
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 運命に翻弄され、与えられた境遇の中で 必死に生きた女性ですね。 この時代、自分で環境は変えられない。 どの女性もそうであったのでしょうが…。

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