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いつの間にか、淀君が淀殿に
私が歴史を学んでいた頃は、「淀君」という呼び方が当たり前でした。 淀君というのは、蔑称で、淀殿と呼びましょうという、提唱は、どなたがされたのでしょう。
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こんばんは 田端 泰子という日本史の学者さんらしいですね。 経歴をみると女性のことがお得意のような感じを受けます。 ○○君というような名前は、江戸時代の遊女のような名前だからということらしいですね。 こっから先は質問者さんのお得意の分野でしょうから、この辺で退散します。 http://72.14.235.104/search?q=cache:uU_thp7wpMcJ:ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E6%AE%BF+%E6%B7%80%E5%90%9B&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp http://www.tachibana-u.ac.jp/official/reserch/professor/h_professor/tabata.html
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杉本苑子が何番手かでいってるんですね。 NO.1 の参考URL の学者さんが1番手かどうかは、ハッキリしませんが、この先生が昔の女性のことをよく書いていることと、こういうことを提唱するのは、男よりヤッパリ女だと言う感じがします。 昔の女性の呼び方っていうものは難しいものだと思いますね。一生のうちに何回となく変わるわけです。 後世の者が呼び方を勝手に作るわけですが、一生のうちで何回となく呼び名が変わる中でも、その女性が一番活躍?した時代のものが一番よろしいわけですから、茶々ではなく「淀○」なんでしょうね。 淀君がダメならば築山殿という人もいますし、そんなことで淀殿になったのかな。
お礼
お帰りなさいませ~。 そうですね。私もそう思います。 女性の感性ですね。揶揄される呼び方を嫌うのは。 淀殿を大好きという人もあまり、いないようですが、マリーアントワネットよりは、はるかに自分があるような気がします。 ご本を読んで、提唱の年代を追いたいと思います。 この度は、貴重な情報をありがとうございました。
- buchi-dog
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豊臣秀頼の母である女性は、現在は質問者様ご指摘の通り「淀殿」と呼ぶのが普通です。「淀君」というのは、彼女のイメージを悪くさせるために江戸幕府と当時の歴史家や文人が採用した蔑称だから、というのが理由のようです。現代のなんと言う歴史家が提唱したから、といった具体的な話は存じません。 ウィキペディア 淀殿 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E6%AE%BF に「かつては一般に淀君という呼び方が知られていたが、この「○○君」という呼び方には暗に遊女・娼婦を意味する差別的なニュアンスが強いとされ、現在では殆ど使われなくなった。」と書いてあるようなことです。 なお、秀吉の死後、関ヶ原の合戦、江戸幕府成立、大坂の陣を経る時期に他の大名などが彼女の事を呼ぶ際は「秀頼卿の御袋様」と言った表現をすることが多かったようです。「淀殿」と言う呼び方は、「秀吉が生存中、彼女が『淀の御方』などと呼ばれていたことを反映した歴史用語。生存中に彼女が実際に「淀殿」と呼ばれたことはない」と考えた方が良いでしょう。 伊達政宗が、関ヶ原の合戦のしばらく後に懇意な大商人に出した手紙には「御袋様」と書いてありますし、大阪夏の陣直前に江戸幕府が大坂方に出した最後通牒には「秀頼卿は大坂城から退去して頂き、御袋様は諸大名の正室同様に江戸にお移り頂く」といった記述があったと思います。
お礼
このジャンルをうろつく者として、いつも、ご意見を拝見させていただいております。 buchiさまに、先を越されると、これ以上の回答は、なかろうと、身を引いたりしておりました。 「淀殿」と、呼ばれたことは、無かったのですか?承ります。ありがとうございました。
お礼
これは、これは。ようこそのお越し。 杉本苑子さんが、何番手かで、言っておられまして、最初に言い出したのは、誰だろう。と、思っていました。 やはり、女性だったのですね。 おもしろそうな、ご本を書かれる先生ですね。 何かのご縁と思いますので、読んでみようかと思います。 ありがとうございました。