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なぜ西洋で女性の胸が「性の象徴」になったのか?
「母」という字が女性の胸の象形文字であるように、日本を含めてどこでも女性の胸は「性の象徴」だと思っていたのですが、そうではないそうです。日本では古来女性の胸というのは「赤ん坊に乳を与える道具」にすぎず、他人が通るとこで平気で行水していたり、昭和30年代まで列車の中で大衆が見ている中で平気で授乳する母親も普通にいたのだそうです。南洋の種族の中にも特に隠したりしないで生活している人は珍しくないし、どうやら「女性の象徴」として隠したり強調したりするのは西洋独特の考えらしいのですが、なぜそのような風潮が生まれたのでしょうか。
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東洋でも西洋でも女性性器が性のシンボルであるのに変わりは無いのですが、東洋ではエローラ文明のように女性性器丸出しの仏像が作られたりして、隠す習慣はありませんでしたが、西洋では宗教支配が強かったせいで、女性性器が書けないので、代わりに乳房を性のシンボルにしたようですね。女性性器がある裸婦画を描くと暗殺団から狙われるほど、弾圧が激しかったようです。 日本では、江戸時代に女性性器を描いた浮世絵が発見されていますが、西洋にも女性性器を描いた裸婦画が描かれた例があるはずですよね。実はゴヤが描いた「裸体のマハ」が女性性器を描いてあったそうですが、ゴヤの死後に改竄されているのだそうです。 もちろん、個人で裸婦画を描いている人もいたはずですから、隠されている裸婦画には女性性器を描いたものもあっただろうと思いますが、宗教支配が酷かった当時は命懸けだったようです。
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- eroero4649
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石器時代のアートなどを見ると、女性は概ねおっぱいが強調されて妊娠している姿で描かれています。石器時代の人類がおっぱいにどのような感情を抱いていたのかを知る術はありませんが、豊かさの象徴として捉えていたであろうことは間違いなさそうです。 文化人類学的にも、ヒトのメスのおっぱいがなぜ大きくなったかについては「セックスアピールのため」というのが有力となっています。 けれど、おっぱいが「オスを惹きつけるため」に存在しているのだとしたら、大きな謎がひとつ残るのです。それは「ではなぜ貧乳が絶滅しないのか」というものです。もしヒトのオスにとってメスを選ぶ大きな理由がおっぱいなら、小さいおっぱいのメスは淘汰されてきたはずです。その謎が分かりません。 また日本文化では、おっしゃるように少なくとも戦前頃までは大きなおっぱいは「鳩胸」なんていわれてあまり好ましいとは思われていなかったのですよね。戦後のいつぐらいですかね、あの大橋巨泉さんが女優の朝丘雪路さんを「ボイン」と呼んだのが戦後日本風俗史における「大きなおっぱいは好ましいとする風潮の誕生」かもしれません。 その後、80年代後半頃でしょうか。後に某野村のヨッチャンの奥さんになった松坂季実子の登場で巨乳ブームが始まったのではないかなと思います。 https://www.amazon.co.jp/%E5%B7%A8%E4%B9%B3%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F-%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E5%AE%89%E7%94%B0-%E7%90%86%E5%A4%AE/dp/4778316053 その辺りの事情はおそらくこの本に詳しいと思うのですが、私もまだ読んでいません・笑。機会があったらぜひ読みたいと思っていますけど、まだ読み終わってない本が沢山あるもので。
補足
この本を昨日読みました。それを踏まえての質問になります。
定説いろいろあると思いますが・・・知ってる聞いた範囲で↓ ・中世14~16世紀 貴族、王族が太っていると美とされた時代。 食料事情が最悪で、農民や貧困者の出生率、出世に伴う母親の死亡が相次ぐ。ついでに母乳が出ない母親が栄養不足で多い。 母乳を他人の子共に分け与える婦人が美徳とされ、聖母の象徴に。両手に赤ん坊を抱え、母乳を与えている絵が多数残る。 また、母乳を出せるほどの健康体であるアピールも入る。そういった人を持ち上げて、貴婦人が農民構わず子供なら、と母乳をささげる行為を信仰のひとつで美しいとすることで、黒死病などで激減した人口を回復させる意図もあった。 ・中世以降 衣類・食糧事情がある程度発達したことにより、女はコルセットでくびれを作りほっそり(今のぽっちゃり)が美とされる。 胸を開けたスタイルはフランスか、スペインで流行したが、これを嫁いだ貴族の娘たちが嫁ぎ先で着たため、胸を強調し、大きく曝け出すスタイルが流行る。 1つの説/下着を見せる、おしゃれ お風呂に入らない→水は毛穴から悪魔を体内に運ぶ、毛穴は垢で塞げという信仰の元、風呂の代わりに「麻/クリーム系の白」を胸元や衣装からはみだすように見せつける事で清潔さをアピール。麻を纏う事が清潔とされ、下着の数が多いほど裕福、きれい好きと言われた。実際、ドレスや男性の礼服より下着が高い事が多い。ルイ12世は1日に何度も麻を着替えることで清潔されるが、代々のワキガで廊下通ったら悪習がずっと漂っていた。 1つの説/女性である、健康体、若い象徴 年を取ると、喪服のような黒い服でなるだけ人前に出ない事が礼儀。 派手な色のドレスを着て、胸を出す事で、若さと健康さをアピール(性病や流行り病ではない。特に梅毒が流行ったため)。 また、女性の身長が180cm・・・背が高いほど美しいとされ、サロンなどの暗い部屋では男女の区別がつかない事があり、ガタイも似ているため、胸を出すことで女性であるアピール。 胸に大きな宝石を飾ると幸せを運ぶ、美しく光ると、薄暗い・・・電気のない世界では輝いて見えた。 どうしても出生率がまだ低い時代なので、男児が生き残れる確率が10歳までに5人に1人出るか・・・。 容姿よりも子だくさんを望む貴族が増える。 実際、胸が大きく、金髪女性は妊娠しやすく、IQも高いそうだ(2016年調べ) まだ化学が発展してない時代は、男はどうやったら子供を得られるか 女性は男性をどう誘惑し、妊娠するかを知らず知らず衣服やしぐさで覚えていった ってのが、知ってる範囲かな その他説 キリスト教では、与えらた体は神のものである。母乳は子のもの。男性は自慰を禁止されていたので、娼婦に頼っても、行為にて発射しないといけなかった。←熱心な考えでは。 胸に触る文化がほぼ無く、キスをする美しい場所。 ファッションの一部の部位でデコルテと呼ばれ、ラメを効かせた専用のパウダーもある。胸は性の対象として観ると「変態」扱いされるため、海外ではガン見しない。ゆえに、日本嫌いのハリウッドスターや海外の女性はじろじろ見られたキモイが多い。 今の社会でも、胸がすきっていうと、海外ではマザコンの象徴。 だからお尻みてヒューwっとする。 日本は、江戸時代は混浴・・・ただし、姑や年老いた女中が周りを囲み、とてもお嬢さんに近づける事はなかった。 西洋と違い処女であると、相手の家に迷惑がかかると、旅の人にお金を渡して処女を捨ててから、結婚。 西洋は子供を産み終わったら浮気三昧、遊び三昧 日本は反対 母乳を人前で上げる事は、避難もあったが、そんなものを見て喜ぶなんぞ男児たる者の恥!と男の方が突っぱねて涼しい顔をしていた。男性優勢社会の方が、どの国でもそうだが、女性への暴力、暴言、差別と言われる行為をすればするほど「弱い奴」扱い。亭主関白を勘違いしている昨今の人達と違い、養うのが当たり前、妻に楽させるのが男の甲斐性。女に興味もたない振りが立派な行いとされていた節あり。 三つ添えついて・・・なんて武家の習わしで、まず女中に囲まれ、軽い掃除などを済ませるのが武家の妻。家を守るのが妻の役割で使用人の見張りでもあった。四季の手紙を書いて親戚に送る手配や、旦那の客人の相手、会話などができる妻が良いとされる。良い暮らしをさせてもらっております。というアピは忘れないため、着替える。 また、アジア女性、とくに日本は胸が小さい民族であったため、露出する服が生まれなかった。 それから身分文化で江戸までは顔より身分が当たり前。身分持ちは相応の知識とお習い事をしていた。中身もしっかり身分相応にして嫁に出す。 ただ、振袖→未婚者。留めそで→既婚者。と見分けは付けてた 胸がないから出さない。とは聞いたが、定説はいろいろ。 ただ、性には開放的でどこでも始めていたのは、キリスト教の布教師が、「田畑、道端などの人前で平気で始める。」と書き残している。 明治辺りから風習が壊れ、今に至るみたい。西洋文化が入ってきたからね。 それが知ってる範囲の、知識?ってか話かな。 間違ってたら、許して 以上です
お礼
これは意外でしたね。何でも、「ヘアヌード」などと言う概念があるのは日本だけと聞いたことがあります。欧米ではヌードと言えば下半身も含めるのが当然だからで、日本人は服を脱ぐとき上から脱ぐ人が多いのに対し、欧米人は下から脱いでいく人が多いのだそうです(本で読んだだけなので事実かどうかは未確認ですが)。裸婦画を描く場合は少女を除けば陰毛に隠れて女性器は描かれないのが普通なので、その点は問題ないようにも思います。