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一休さんのモデルの一休宗純
一休さんのモデルの一休宗純ってどんな人だったんでしょうか?
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>一休さんのモデルの一休宗純ってどんな人だったんでしょうか? 天皇の御落胤、との説もありますよね。 まぁ、天皇系の世継ぎの争いを避ける為に「出家させた」との説もあります。 まぁ、当時としては「破戒僧」でしよう。 当時の坊主は「高貴な身分の為の宗教」を大事にしていました。 貴族・武家以外は、相手にしなかったのです。 古都ににある寺の多くは「貴族の〇〇に庇護を受け」「貴族の嫁はんが、お祈りをしたら無事に赤ちゃんが生まれた」とか「寺と貴族(公家)の関係」を大々的に主張していますよね。 某寺なんか、「本尊は天皇家の守り仏で、朝廷から信仰を受けていた」とパンフレットに書いています。 「庶民を救った仏」というのは、非常に少ないのです。 「カネと名誉」が、当時の仏教界だったのですね。 この考えに嫌気がさしていた一休さん(大徳寺第47世一休宗純禅師)は、寺を度々抜け出してらく洛内を散策し庶民と深く交わった様です。 もちろん、「飲む・打つ・買う」も行っていました。^^; 粗末な衣服・草履で歩いていたので、誰も一休さんが大徳寺第47世一休宗純禅師とは気づかなかったとか。 この散策中の説法を誰にでも分かる様に(弟子などが)書いたのが「一休とんち話」の元になりました。 餓死・病死で道端に転がっていた骸骨。 一休さんは、その頭蓋骨と会話をして読経をしたそうです。 また、正月元旦を皆が喜んでいる姿を見ても嘆いています。 「元旦は、冥途の旅への一里塚」 つまり、新しい年を迎える事は「誰でも年を取る」ので余命が短くなる!事を教えています。 まぁ、型にはまらない(良い意味での)破壊坊主でした。^^; 余談ですが・・・。 一休さんと似た坊主としては「沢庵和尚」がいます。 漬物(たくあん)を考え出して、庶民を飢饉から救った坊さんです。 確か東海寺にある沢庵和尚の墓石は、「漬物石」の形をしていますよ。
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- あずき なな(@azuki-7)
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とんでもないエロ坊主だったってのは有名な話ですよね 現代なら間違いなく強制わいせつで捕まってます 笑
お礼
エロかったんですか・・・
- Nobu-W
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お礼
ありがとうございます
お礼
破戒僧だったんですね(笑)