まず幕府は譜代大名のみによって運営されてましたが、この原則を破ったのが「阿部正弘」。
第13代徳川家定時代において幕政を指揮しましたが、開国か鎖国かでゆれる国論をまとめるため、薩摩藩の島津斉彬や水戸藩の徳川斉昭など諸大名から幅広く意見を求めました。
これにより従来幕政に参加し得なかった外様、親藩などの大大名が政治に目覚めるきっかけになり、ある意味幕藩体制への矛盾が明らかになりました。
彼自身は大胆な人材登用を行い、幕府の近代化を計りますが、皮肉なことにこれが人々の目を開かせてしまい、藩という小さな単位から「日本国」という国というものを考えるようになり、従来のシステムでは無理ではないかと多くの人間が思うようになった。
つまり、従来は「尾張の人間」「薩摩の人間」と藩の単位で考えていた人々が「日本人」という共通意識をもったわけです。
彼の跡を堀田正睦が継ぎますが、後ろ盾の阿部正弘が亡くなると南紀派の巻き返しにより、井伊直弼が大老になります。
政治は振り子のように左右にゆれますが、改革派に対する保守派の巻き返しです。
井伊直弼は幕政を昔のように譜代大名が行う形にしようと努力しますが、これまで埋もれていた人材が日本人として目覚めて世に出てきてしまい、また諸藩も政治に参加する意欲をもった現実には、それを力で抑えても無理があり、暗殺されます。
もし彼がいなかった場合、徳川慶喜が13代(実質的な)か14代将軍になり、幕府の軍制はフランス式に近代化され、安政の大獄で死んだ有能な人材もいますから、将軍を議長とする共和国に移行した可能性はあります。
井伊直弼が生きていた場合、革命が起こり、それに徹底抗戦しフランスとイギリスの代理戦争となり、アメリカ、ロシアも介入し、分断国家になった可能性もあります。
システムの破綻ですから、どうあがいても幕府は潰れる運命だったと考えます。
事実保守派の新撰組なども、従来の幕藩体制では出なかった組織ですから、ああいったものが出ること自体体制が破綻してる証拠です。
お礼
詳細な意見ありがとうございます。