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往来手形。
往来手形(往来手形という名でなくても、素性を証明するものでよい)は、江戸時代初期に生まれたのですか。 では、それ以前(室町時代や織豊政権の時代)は、手形がなくても国境いを越えることはできたのですか。 また、手形の文言は全国ほぼ類似で定型化されていますが、これは江戸幕府が雛形を示したのですか。 よろしくお願いします。
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室町時代は全国各地でむしろ有力者が関所を作った時代ですね。 日野富子が一番有名ですが、通行の管理ではなく通行料をとって儲けるためです。よって金さえ払えば移動は自由です。 その後戦国大名が巨大化していくと、域内流通を整備するために関所は廃止していくことになります。戦国時代になると大名は城下町を作りそこで商いをさせ税をとるようになります。そうなると城下町の商いの活性化が大名の利益となるため、大名は地域一帯をその城下町の経済圏として取り込むため、商人の邪魔になる関所は排除したくなるわけです。もちろん地元国衆や寺社などの既得権益ですので、それ相応の武力を背景に廃止させるわけです。
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- nagata2017
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手形といえば関所。 関所があるから手形が必要になるわけですが 関所ができたのは 日本書紀に記載される時代からです。 はじめは 通行を禁止する目的として作られ(人の移動を禁止する) 時代により 通行料をとるための関所になったりして(地方豪族の出現) 戦国時代には廃止されていきます。 江戸時代という平和な時代になって関所が復活して 手形もできました。 庶民にとっての旅行は 一生に一度のようなもので 伊勢神宮と東照宮が代表的なもので ここにお参りに行くと言えば簡単に手形を発行してもらえました。 ということで質問に書かれたとおり 江戸時代になって 手形を見せて通行するという形ができました。
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ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 「時代により 通行料をとるための関所になったり」ということで、通行料を払えばよかったのですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 「金さえ払えば移動は自由です。」ということですね、なるほど!