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時代の名称
鎌倉時代や室町時代、江戸時代 は幕府が決めた名称 それ以降の明治、大正、昭和、平成 は天皇が定めた名称 ということですよね。 しかし、天皇が定める方法を採っていれば、目まぐるしく名称が変わってしまいますよね。例えば、1000年後には時代の名称が20や30あるかもしれません。 これまでは江戸時代など、比較的長い年月もひとまとまりにできてましたが、現代のように目まぐるしく名称が変わるようになってはそれを覚えていくのは大変ですよね。 時代を大別するような名称は生まれないのですか?
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別に朝廷や幕府が「奈良時代」や「鎌倉時代」と名称をつけたわけではなく、後世の歴史研究者が時代のひとくくりとして便宜的に名前をつけただけです。その時代に生きていた人が「今は江戸に幕府があるから江戸時代だ」と認識していたわけではありません。 現代は年号のとおり明治・大正・昭和と細かく分けていますし、昭和の戦前と戦後を分ける人もいます。おそらく数百年後には明治維新から昭和の敗戦までをひとくくりの名称として「○○時代」と名前をつける歴史研究者が現れることでしょう。
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- teinen
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政権の中枢があった場所でひとくくりにして「奈良時代」「平安時代」「鎌倉時代」「室町時代」「安土桃山時代」「江戸時代」と呼称しているのですから,いずれ私たちの生きている時代はこの例に倣って「東京時代」とか,政体が替わり目で分けて,「帝国時代(明治維新から終戦まで)」と現代というように呼ばれるのではないかと思います。 1000年後はおろか,100年後も私は生きていないので,その時代の方に任せることにします。
お礼
ありがとうございます
- Ganymede
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私は日本史を勉強してないので、知識もオリジナリティーもない回答でごめんと、最初に謝っときます。 「遠粗近密」というか、遠い時代は粗く、近い時代は密に区分するのは自然なことだと思います。もちろん、専門家は遠い時代でも密に区分するでしょうけど。30世紀頃にもなれば、過去千年を粗く大別するような名称ができていると思います。 その際、明治・大正・昭和・平成などの元号は、あまり重視されないでしょう。明治以降「一世一元」の制が定められたとはいえ、30世紀から見れば、千年昔の元号なんてわずらわしいだけでしょう。 たとえば、1868年(明治元年)から1945年(大日本帝国崩壊)までを「宮城(きゅうじょう)時代」とするのはどうでしょうか。「皇居」という呼び方が一般的になったのは1946年以降のことで、それまでは宮城と称していたそうです。江戸城が宮城になったのです。「昭和帝の御世の途中でぶった切るのか」と右翼は怒るかもしれませんが。
- ?橋 昌也(@fudousin)
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時代、年号、歴史区分がごっちゃになっておられるようです。 ひとつ、ひとつ確認ください。
- ponman
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お礼
そうなんですか初めて知りました…。ありがとうございます!