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光のドップラー効果
光のドップラー効果が起こる理由を判りやすく説明して頂けないでしょうか。 相対論では光の速度が一定と言うことになっているので、自分の速度と光の速度と の差がない筈なのにどうしてドップラー効果が起きるのでしょう。
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- sayasno
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自分の速度と光速に差がないはずというのはどういう意味ですか?! 自分も光速で動いてるはずということなのでしょうか?!
まず,No5のpei-peiさんの書き込みにある >観測される振動数は、f*c/(c-v)になり は,不正確ではないかと思われます. 誤解の無いように捕捉させていただくと、正しくは, f*((1+(v/c))/(1-(v/c)))^(1/2) ---(a) ではないでしょうか. (ただし,観測者と光の進行方向は同じものとし,fは光源が静止している系で見た ときの光の振動数であり,(a)はそれを観測者の静止系で見たときの振動数.) 繁雑さを避けるためにあえてローレンツ収縮の効果を無視したのかもしれませんが、 観測者にとって意味ある量はf*c/(c-v)ではなく(a)であると思います. 次に,cestunlivred さんの疑問について. >相対論では光の速度が一定と言うことになっているので、自分の速度と光の速度と >の差がない筈なのにどうしてドップラー効果が起きるのでしょう。 このままでは少々論理的ではありません.No6でもふれられていますが、言葉を補 ってもう一度整理すると、次のような疑問になると思います. 1)ドップラー効果は「観測者の速度と波の速度との差」が元々の波の速度からずれ ることから生じるものである. 2)しかし光に関しては,光速度不変性より「観測者の速度と波(今の場合は光)の 速度との差」と元々の波(光)の速度とは差がない筈である 3)よって光ではドップラー効果は起きない(のではないか.) しかし,実際は光の場合にもドップラー効果は生じる、なぜ? と言う疑問だと思います. この主張のどこが間違っているのかというと,それは,1)と2)とでは 「観測者の速度と波の速度との差」の定義が違うという点です. だから3)が成り立たないのです.言葉では同じ「観測者の速度と波の速度との差」 でも,相対論を考える場合は,どの座標系で考えているのかを明確に把握しなくて はいけません. では,1)と 2)で「観測者の速度と波の速度との差」はそれぞれ何を意味するの でしょうか? まず、No2の参考URLにあげられているページ http://homepage1.nifty.com/tac-lab/doppler.html の光のドップラー効果の説明をご覧下さい。 このページの(32)式までの考え方は,音波のドップラー効果の場合も光の ドップラー効果の場合も全く共通です.この時点で既に「光が向かってくれば振動 数は高くなり,また離れていく場合は低くなる」というドップラー効果の特徴的な 性質が現れています.さらに相対論的な運動であるためローレンツ収縮の効果を入 れると(35)式を得ます.このとき依然ドップラー効果の性質は保たれたままです. さてここで,(32)式の c - v が「見かけの速度」のように見え、ここでの 導出が,光速度不変の原理を無視しているかのように見えるかもしれませんが, もちろん,そんなことはありません.(32)式の c - v は、 「光源の静止系から見たときの(<=重要)光速と観測者の速度の単なる差」 であって,1)で言う「観測者の速度と波の速度との差」とはこのことです. いわゆる「見かけの光速度」,ではありません.そして,この「見かけの光速度」 が 2)で言うところの「観測者の速度と波の速度との差」なのです. では,「見かけの速度」とはなんでしょうか? 詳細は省きますが(と言っても導出はローレンツ変換の式から容易にできます)、 相対論で「見かけの速度」は vs=(vs'+V)/(1+vs'V/c^2) ---(b) で与えられます。 ただし、一つの物質の運動を,互いに相対速度Vで運動する座標系 S,S'系で見 た時の速度をそれぞれvs,vs'としています.S'系で速度v'に見える運動はS 系で見ると(b)で与えられる速度vsで動くように見えるということです.また逆 も言えます.この時 ,(b)には以下の性質があります. (I)vs'=0 ならば vs=V 逆に vs=0 ならば vs'= -V すなわち、S'系で静止しているように見える物質はS系では速度Vで運動 しているように見え、S系で静止しているように見える物質はS'系では速 度-Vで運動しているように見えます。これがVが相対速度であるという意 味です. (II)vs'=c ならば vs=c すなわち、S'系で見て光速度で動く物質はS系で見てもやはり光速度cで 動きます.これが光速度不変性です. (III)vs'<<c,V<<c ならば vs=vs'+V (近似式) すなわち、光速度に比して遅い運動を考える時,初めて「見かけの速度」 は単なる和(または差)の形になります. 以上をふまえ,もう一度 具体例に戻ります. 上の記号との対応は,vs=c,V=v となります。 すなわち,光源の静止系であるS系で光速度cで動く物体(光)を,S系に対し 速度vで動くS'系(観測者の静止系)から見た速度がvs'になります. (今の場合(II)よりvs'=c) 先の式(32)での c-v (=vs-V)は「見かけの速度」ではなく,同じS系で見 た時の,光速度と観測者の速度の単純な差 であるということがよく分かると思います. ドップラー効果をもたらす原因は「見かけの光速」ではなくこちらの方です。 c-v は当然,光速を越え得ますが何も問題ありません.もちろん観測者から見た 「見かけの光速」は(II)で述べたようにvs'=cであり光速を越えません. また,(III)の事情から,音波のような非相対論的な場合に限って, 「観測者の速度と波の速度との差」の 1)での意味と 2)での意味が一致します. 最後に蛇足ですが, 光のドップラー効果は音波のドップラー効果のように考えるより, 光の(4元)波数ベクトルをローレンツ変換するほうが簡単です. また,相対論的な場合,観測者と光の進行方向が垂直の場合でもドップラー効果が 起こることに注意が必要です.座標変換で空間と時間が混ざるという,モロに相対 論的な効果に由来します. 最後の最後に,光のドップラー効果を考える際,運動は相対的なのだから上のURL で与えられた説明とは逆に光源が動いて観測者が静止しているとしても良いではな いか,その場合も同じ結果が得られるのか? という疑問を持たれるかも知れません. 結論をいえば同じ結果が得られます.音波のドップラー効果では光源が動く場合と 観測者が動く場合で結果が異なるためこのような疑問が湧くと思われますが,光波 の場合は実は,ローレンツ収縮の効果によって結果は同じになるのです.詳細は省 きますが,ファインマンの書いた教科書「ファインマン物理学」の波動を扱ってい る巻(日本語訳 第二巻だったかな?)を参照ください. だいぶ説明が冗長になってしまいました.御参考になれば幸いです.
- keronyan
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音速でのドップラー効果はf0=(V-vs)/(V-Vo)fsで相対運動を行っていると音速が変わることによって振動数が変わる(波長は不変) ここで、それぞれが観測する音速は違うところからドップラー効果が生じる、でも、光の場合はどちらも光速になり、差は生じない。 と言うことですね。 私も色々調べてみますと、以下のURLに詳しく図解されています。 これによると、相対論的にドップラー効果を説明し、もちろん、相対論的でない場合も説明できています。 その他に重力による赤方変移、宇宙間のドップラー効果についても考察されています。 私の力不足でうまく説明できませんでしたが、とりあえずこのHPをごらんになって見てください。 http://www.shokabo.co.jp/sample/labo/redshift/doppler.htm
- keronyan
- ベストアンサー率25% (31/122)
AとBが相対運動を行っているということは、つまり両者の間隔が時間と共に変動していると言うことですね。 光を有る時間照射した場合、その先頭がBに到達した時間(Bが測った)と後尾がBに到達した時間(もちろんBが測定)の間にも AとBの間の距離は変わっていると言うことです。 つまり、光の先頭と後尾が到着する時間というのはその両者の相対運動によってしまうと言うことになりませんか。 (真空中の)光速は相対的に同一なので、その時間間隔によってその光の長さが決定できます。(Bで) つまり、光の長さは両者の相対運動によって影響されるのです。 >この場合、物体Aと物体Bとの相対運動をどうやって測ればいいのでしょうか。 物質の吸収スペクトルはどこでも一緒と言うことを定義しておけばその変移によって相対速度が測ることが出来るのです。 これはご質問の逆(裏?)になりますが、これにより、宇宙は広がっていると考えられています。 でも、この赤方変異が他の理由によれば、その現象も変わってきますけど。 光のドップラー効果が有るとすれば、お互いの相対運動が測定できるのです。
補足
ありがとうございます。 > AとBが相対運動を行っているということは、つまり両者の間隔が時間と共に変動していると言うことですね。 物体Aと物体Bとが同時に存在していれば、両者の間隔を測る事が出来ますが、どちらかがなかったり両方ともなかったら間隔を測りようがありません。 どうすればいいのでしょう。 > 光を有る時間照射した場合、その先頭がBに到達した時間(Bが測った)と後尾がBに到達した時間(もちろんBが測定)の間にも AとBの間の距離は変わっていると言うことです。 物体Aと物体Bとが同時に存在していれば、そうなります。 > つまり、光の先頭と後尾が到着する時間というのはその両者の相対運動によってしまうと言うことになりませんか。 これが解りません。物体Bが光を受け取る時間が、何故、物体Aの動きに影響するのか。 何度も繰り返してしまいますが、物体Bが光を受け取る時、物体Aが存在していなかったらどうなるのでしょう。 >> この場合、物体Aと物体Bとの相対運動をどうやって測ればいいのでしょうか。 > 物質の吸収スペクトルはどこでも一緒と言うことを定義しておけばその変移によって相対速度が測ることが出来るのです。 私の質問は「光のドップラー効果が起きるか起きないか(起きないのではないか)」ではなく、「(光のドップラー効果が起こるとして)光のドップラー効果の原理はなにか」です。音のドップラー効果と同じような原理で起こっていれば、遙か彼方の星のスペクトルを調べるとその速度が判るというのは十分理解できます。 ところが、光と音との決定的な違いに、光は伝達物質がなくても伝わるということです。つまりこれは光が伝わる速度とその観測者の相対速度は観測者の運動状態に関係なく一定であるという事に他ならないと思います。それなのに光のドップラー効果が起こる原理を音の場合と同じようにどうして説明できるのでしょう。もしかしたら私の音のドップラー効果の理解が正しくないのかも知れません。 どうして私が理解できないのかkeronyanさんの方が理解できないかもしれません。もし、まだお付き合いして下さる余裕があるならば、上の質問に対してもう少し詳しく説明して下さいませんか。 宜しくお願い致します。
- keronyan
- ベストアンサー率25% (31/122)
>物体Bも同じ長さの物差しを持っているとします。光速は誰が測っても同じと定義したので過去に物体Aが放った光を物体Bが測ってもやはり同じ長さで、受け取る光の長さは1秒では ないでしょうか。 光速は誰が測っても真空中では一緒です。でも、この場合、Aで測った時間(たとえば1秒)が光の長さに換算されています。 その長さは、相対論的な考察をおいておいても(古典的に考えても)物体Bで同じ長さにはなりません。 同じ長さになるためには相対的に静止している時です。 光束の最初の部分と最後の部分は光速で運動しますが、その間隔は観測者の運動によってしまいます。 Aが30万kmの長さで光を放出しても受け取る側がどの長さで受け取るかはお互いの相対運動に影響を受けます。 振動数は(その受け取った長さにおける振動する数は)どんな相対運動でも変わりません。 長さは変わっているのに振動数は変わらないので波長が変化します。 逆に銀河系などの赤方変移は、それが起こっているから、お互いの銀河系は運動しているのではないかと仮定されているのであって。 地上で行う、スピード検知などはお互いの時間がほぼ共有できるために相手の運動を知ることが出来るのです。 宇宙では相手の時間を知ることが出来ないけど、来る光はスペクトルが変移しているために相手が自分の位置に対して相対的に運動しているのだろう。 この変移が他の理由によるかもしれない可能性はあります。
補足
> 光速は誰が測っても真空中では一緒です。でも、この場合、Aで測った時間(たとえば1秒)が光の長さに換算されています。 その長さは、相対論的な考察をおいておいても(古典的に考えても)物体Bで同じ長さにはなりません。 > 光束の最初の部分と最後の部分は光速で運動しますが、その間隔は観測者の運動によってしまいます。 もう少し詳しく教えて頂けませんか。 「物体Bで同じ長さにはなりません」とありますが、光速は誰がいつどんな状態で測っても同じなのに何故長さが変わってしまうのでしょうか。この「長さ」というのは誰にとっての長さでしょう。「物体Bにとっての長さ」ならばどう考えても物体Aにとっての長さと同じような気がします。 > Aが30万kmの長さで光を放出しても受け取る側がどの長さで受け取るかはお互いの相対運動に影響を受けます。 どうしても分かりません。 (1)物体Aが光を一秒間放出。この一秒間は物体Aが測定した時間。 (2)物体Aが光の放出を停止した瞬間、物体Aは消滅。 (3)過去に物体Aが放出した光のみが宇宙空間を進行。 (4)物体Bが宇宙に出現。 (5)物体Bが過去に物体Aが放出した光を観測。 この場合、物体Aと物体Bとの相対運動をどうやって測ればいいのでしょうか。 両者とも同時に存在している場合は相対運動を知ることが出来ます。 例えば物体Aはとてつもなく長い物差しを持って運動しているとします。 その物差しは物体Aの進行方向に平行になっています。 そうすれば物体Aが持っている物差しで物体Bの速度を逐次測ることが出来ます。 でも物体Aが消滅すれば物体Aの物差しも消滅してしまうので物体Bは自分がどんな速度で運動しているのか分からなくなってしまいます。物差しだけが残ることはありません。物差しだけが残れば「物差しそのもの」と物体Bとの相対速度となり、物体Aとの速度ではなくなります。 また、物差しだけが物体AとBとに関係なく存在するとすれば、運動は全て相対的であるという相対論の大前提を否定することになってしまいます。 > 振動数は(その受け取った長さにおける振動する数は)どんな相対運動でも変わりません。 これは充分理解できます。1秒間(物体Aにとっての1秒)に物体Aが放出した光の波の数(山と谷との組み合わせの数)はだれがいつ数えても同じだと思います。波とは何らかのエネルギーを持った状態(水面の波で考えれば、水面が上下しているから運動エネルギーを持っているはず)ですので、その数が変化すればエネルギーが何もしなくても増減することになり、エネルギー保存の法則に反してしまいます。
- keronyan
- ベストアンサー率25% (31/122)
簡単に考えましょう。光は真空中でも伝播し、その速度はどの観測系からも光速です。 問題は光源を発した物体と、それを受け取る物との相対速度であると思います。 もちろん、光源を発した時に受け取る側が存在しなくても、また、その逆で受け取った時に光源を発した側が存在しなくても構いません。 物体Aが有る時間T0で光を発したとします。発した時の振動数をνとします。 相対速度がお互いが近づいている方向の場合、物体B受け取った光の時間T1はT0より短くなります。 これは発し始めた時間と、発し終わった時間の間に物体AとBは近づいているためです。しかし、光の振動する回数ν×Tで変わらず それがT0で受け取るのだから振動数はνT0/T1となり振動数は高くなる。つまり、青い方向にシフトします。 逆に遠ざかる時には振動数は低くなり、これは赤い方向にシフトします。 単に光だけを受け取る時、このシフトは認識されないのですが、物質から発せられる光にはその物質の構成によって特徴的なスペクトルを持っています。 よって、その特徴的なスペクトルがシフトしていることを観測することにより、観測者はその光が発した物体と自分との相対的な速度を知ることが出来ると言うことです。 実はこの説明の中で、光がどんな速度で走っているかと言うことは使っていません。(定義はしましたが) つまり、光の速度は全く関係ないのです。もちろん光がどんな媒体を伝搬するかも関係ないのです。
補足
keronyanさん、ありがとうございます。 > 物体Aが有る時間T0で光を発したとします。発した時の振動数をνとします。 相対速度がお互いが近づいている方向の場合、物体B受け取った光の時間T1はT0より短くなります。 疑問があります。 物体Aが「ある時間T0の間に光を発する」とありますが、この時間は誰が測った時間でしょうか。もし物体Aが光を放った時、物体Bが存在していないとすれば、「時間T0」は物体Aが測った時間ですね。 次に物体Bが受け取った光の時間T1はもしこの時物体Aが存在していなければ、物体B自身が測った時間になります。 物体Aが測った時間はある一定の長さの物差しを使って光の速さから割り出しています。その物差しを30万キロとして、ある時刻に放った光が物差しの長さと同じになった時にその光を遮断すれば、光を放った時間が1秒になります。 物体Bも同じ長さの物差しを持っているとします。光速は誰が測っても同じと定義したので過去に物体Aが放った光を物体Bが測ってもやはり同じ長さで、受け取る光の長さは1秒ではないでしょうか。 同じ長さの物差しをどうやって物体Aと物体Bとが持てばいいのでしょう。それはそれぞれ独自の別の光源を持ってきてその光の速度で物差しを作ればいいです。こうすれば誰でもいつでも同じ物差しを持つことが出来ます。 そうではなく、仮に時間T0は物体Bから見た物体Aの時間であるとします。しかしこれは意味があることなのでしょうか。物体Bが出現した時には既に物体Aは消滅しているのです。どうやって物体Aの過去の時間を測定するのでしょう。物体Aが存在している時には物体Bは存在していないので物体Aと物体Bとの相対速度は定義できないと思います。
- pei-pei
- ベストアンサー率23% (20/86)
>相対論と辻褄を合わせるために「自分が動くとエーテルも一緒に動く」という仮定 >をしていますが、何かもの凄く違和感を感じます。 >エーテルは仮想の物質なので「存在しない」と考えなくてはなりませんね。実際 >は。 >ドップラー効果を説明する時だけエーテルを持ち出さなくてはならないのはやはり >納得できません。何かうまい説明はないものでしょうか。 エーテルを持ち出さないで、光のドップラー効果を説明しようとすると、やはりNo.5の回答になってしまうと思います。 >自分の周りのエーテルはどの範囲まで一緒に動くのでしょう。自分が動くと宇宙全 >体のエーテルが動くのであれば、自分以外の物が動いている場合、例えば光源が動 >いている場合、エーテルはどのように振る舞うのでしょう。 あくまでもエーテルが実在するとしての話ですが、 観測者が動けば宇宙全てのエーテルが観測者と供に動きます。しかしそれは「その観測者にとっては動く」という意味です。別の観測者にとってはエーテルは別の動き(その観測者と同じ動き)をしています。したがって光源が動いても、ある観測者にとってエーテルが動くわけではありません。 >自分が動くと宇宙全体のエーテルが動くのであれば自分が少し回転すると宇宙の彼 >方のエーテルはもの凄い速度で動き出します。 これも、あくまでもエーテルが実在するとしての話ですが、 エーテルは観測者の並進運動に伴って動きます。回転運動の影響は受けません。したがってエーテルの速度は光速を超えられません。 でも、そもそも速度って何でしょう。ある観測者がいて初めて、他のものの速度を考えることができるはずです。つまり速度とは常に「ある観測者から見た相対速度」に過ぎないのです。それが相対論の始まりです。 ここから先はやはり相対論を本格的に勉強するしかないでしょうね。私も相対論を完全に理解しているとは思っていません。cestunlivreさんとのやり取りの中で私自身もずいぶん勉強させて頂き、ありがたく思っています。 おっと、これで終わりという意味ではないですよ。さらに疑問があるようなら一緒に考えていきましょう。
補足
ありがとうございます。もう少し一緒に考えさせてください。 もう一度、基本に戻りたいと思います。光のドップラー効果は光が波動であることから簡単な解説書では音からの類推で説明が片付けられていますが、ここをもう少し突っ込みたいと思います。 音のドップラー効果とは、空気の疎密が空気に対して止まっている観測者に到達する本来の周期が、観測者の動きによって変化することだと考えられます。これは音源が空気に対して動いた時でも同じです。音源が動けば音源から発せられる空気の疎密の周期は本来の周期から変化してしまいます。 では、光の場合はどうでしょう。光は電磁波なので電界と磁界とが交互に変化した波が観測者に押し寄せてくるのでしょう。光を感じるということはこの電界と磁界との波のエネルギーを感じ取ることになると思います。 光のドップラー効果とはこの電界と磁界の波の周期が観測者の動きに対応して変化すると言うことになります。このとき光源の存在は関係ないと思います。音の場合でも同じだと思います。電界や磁界が「何か」を基準にして伝搬しているならその「何か」と観測者との相対速度の違いによって周期が変化すると言えます。 この「何か」を仮想の伝達物質であるエーテルにしようとしたのですが、エーテルの性質があまりにも例外の多すぎる仮定に基づくため説明が非常にぎこちなく感じられました。 そこで光は絶対的に静止した空間を媒質を必要とせず伝搬するとすれば空間に対する観測者の速度が定義できてドップラー効果がうまく説明できます。つまり空間に見えない目盛りがふってあってそれに基づいて伝搬すると考えるのです。この目盛りは何があっても動かないのでエーテルのように例外を設ける必要はありません。 しかしこれを仮定すると相対論の大原則である「光速不変」と矛盾が生じることになります。 現実に起こっている光のドップラー効果はどういった原理なのでしょう。「光速不変」が邪魔をして全く分かりません。
- pei-pei
- ベストアンサー率23% (20/86)
cestunlivreさんの疑問点がようやく分かりました。 「音の場合、観測者が動くことにより見かけ上の音速が変化する為ドップラー効果が起こるのは納得できるが、光の場合、観測者が動いても見かけ上の光速は変化しないのに何故ドップラー効果が起こるのか?」ということですね。 それを納得してもらうのには、実際には存在しないエーテル(光を伝える媒質)を想定しなくてはならないと思います。(くどいようですがエーテルは実在しません。cestunlivreさんに納得してもらう為には、それが最適のような気がするので仮に存在するとして説明します。) 音の場合、観測者が動いても媒質である空気は動きません。音は空気に対して一定の速度で伝わるので、観測者が音源に近づいていれば見かけ上の音速は大きくなります。それに伴ってドップラー効果が起こります。 光の場合、相対論によれば、観測者が近づきながら観測しても見かけ上の光速が変化しません。つまり、エーテルが観測者と同じ速度で動いていると解釈できます。したがって、観測者に向かってくる光はエーテルの向かい風にさらされ波長が短くなってしまう。つまり、振動数が大きくなる。言い換えると、観測者は自分が動くことにより、宇宙全体にエーテルの風を巻き起こし、自分が観測する光の波長を変化させていることになります。 実在しないエーテルを用いての回答ですが、cestunlivreさんは納得してくれると思います。いかがでしょうか?
補足
そう、そうなんですよ、pei-peiさん。 分かって頂けましたか。嬉しいです。 エーテルを空気に置き換えることが出来れば、光のドップラー効果の原理がよく判ります。 しかし空気とは違う性質を仮定せねばならないようですね。 相対論と辻褄を合わせるために「自分が動くとエーテルも一緒に動く」という仮定をしていますが、 何かもの凄く違和感を感じます。 自分の周りのエーテルはどの範囲まで一緒に動くのでしょう。自分が動くと宇宙全体のエーテルが 動くのであれば、自分以外の物が動いている場合、例えば光源が動いている場合、エーテルはどのように振る舞うのでしょう。 それに光は有限の速度をもっていますが、エーテルは無限の速度を持ちそうですね。 自分が動くと宇宙全体のエーテルが動くのであれば自分が少し回転すると宇宙の彼方のエーテルはもの凄い速度で動き出します。エーテルとはそういう性質であると割り切ればいいかも知れませんが、宇宙の彼方で光のドップラー効果を観測している人に、もの凄い影響を及ぼしそうです。 エーテルは仮想の物質なので「存在しない」と考えなくてはなりませんね。実際は。 ドップラー効果を説明する時だけエーテルを持ち出さなくてはならないのは やはり納得できません。何かうまい説明はないものでしょうか。 pei-peiさん、こういう訳の分からない質問につき合って下さいましてありがとうございます。 懲りずにもう少し教えてください。
- pei-pei
- ベストアンサー率23% (20/86)
「実際の光の速度」というものはありません。光速は常にある観測者にとっての見かけ上の光速です。相対論では絶対静止空間などないので、誰にとっても光速は同じだと言っているのです。 地球に対して静止している光源があるとして、そこから出ている光の振動数をfとします。地球上の観測者から見ればその光の速度はc=3.0*10^8m/sで、ドップラー効果はありませんから振動数fとして観測されます。 光源に対して速度vで近づくロケットから観測した場合、その観測者にとっては、光速は同じくcで、光源が速度vで近づいてくることになります。そのため波長が短くなるので、観測される振動数は、f*c/(c-v)になり、実際の振動数fより大きくなります。これが青方変異です。 観測者に光が到達した時に光源が消滅していても、関係ありません。「光が放出された時の光源の動き」と「光を観測したときの観測者の動き」この両者の相対速度によって決まります。
補足
>「光が放出された時の光源の動き」と「光を観測したときの観測者の動き」この両者の相対速度によって決まります。 この部分が納得できません。 光が放出された時には観測者が存在していなくて、光が伝搬する間に光源が消滅し、そしてその後にようやく観測者が出現した場合はどうなるのでしょう。数万年光年彼方の星にはこのパターンがかなりありそうですが、この場合はどう考えればいいのでしょう。
- pei-pei
- ベストアンサー率23% (20/86)
No.3の回答の補足です。 質問の中に「相対論では光の速度が一定と言うことになっているので、自分の速度と光の速度との差がない筈なのに」とありますが、この部分が勘違いなのではないでしょうか。 相対論で言う光速度不変とは、静止している観測者から見た光速と、運動中の観測者から見た光速が同じだということです。「自分の速度によって、見かけ上の光の速度が変化することはない」と言っているのです。
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補足
> ここで、それぞれが観測する音速は違うところからドップラー効果が生じる、でも、光の場合はどちらも光速になり、差は生じない。 と言うことですね。 そう、そういうことなんです。 教えて頂いたサイトを拝見しました。 「誰が観測しても光速一定」というのが無視されているような気がします。 光も観測者によって相対的な伝達速度が測定されるという前提ならば、 音と同様な説明があのページのように出来ます。 何か簡単に説明することは非常に難しいのではないかと思えてきました。 keronyanさんどうもありがとうございました。