• 締切済み

執筆活動に関して、スランプです。

 私は幼少のころから小説家を目指して、むしろそれ以外にはなりたくないとすら思っていました。  ですが正直、作家になんてなれる気がしません。  何度物語を完成させたところで評価は得られないし、仮にデビューしたところで、続けていける保証はないでしょう。  自分の作品が評価されることも夢を叶えることも、絶対に不可能だと断言できてしまいます。  無論、作家になることだけが目的で小説を書いているわけではありません。書いてはならない理由も、書かなければならない理由もありません。  ただ、どうにもむなしくて。こんな夢、持たなければよかったとすら、感じます。

みんなの回答

  • cactus48
  • ベストアンサー率43% (4480/10310)
回答No.6

十分に愚痴は述べられたでしょうから、そろそろ閉め切って貰え ますか。ココは質問をする場で、愚痴を述べる場ではありません から。少しはスッキリしたでしょ。だったら締め切りましょう。 通報されて厄介な事になる前に。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11083/34537)
回答No.5

それはもう夢を持って生きる者の宿命です。女優になりたくて芸能界に入り、元々それなりにルックスには自信があったけど業界には美形が多いのでお金使って整形までして頑張ったのに結局売れなかったとか、地元じゃ天才少年と騒がれてJリーガーになりたくて一生懸命頑張ったけど上には上がいてなかなか叶わず、それでも諦められなくて今はJ3にいるけれど気がつけば30歳で、この年で今さらチャンスはないのは明らかだけどサッカーばっかりやってきたので今さら何をしたらいいのか分からないとか、ちょっとチヤホヤされて風俗で働いてみたらものすごく稼げるので普通の仕事をするのがバカバカしくなって、そうこうするうちに段々年齢を重ねて今は流れ流れて地方のソープランドに流れ着いたけれどここをクビになったらアタシどうやって生きて行けばいいんだろう、履歴書に書ける職歴もないしとか、長年の夢を叶えてラーメン店を出したけど、お客さんが入らなくて閉店に追い込まれたとか、もうそういう話は腐るほどあるのです。 誰でも叶えられるようなことに夢を持つ人はいませんものね。「夢は運転免許証を持つことです」なんて人はいませんよね。

  • 31192525
  • ベストアンサー率19% (705/3543)
回答No.4

palomiさん、こんにちは。  小説家も筆だけで生計を立てている人はごくわずかです。そのわずかな人たちも、雑誌に評論や雑文を書いてお金を稼がなければなりません。のちにノーベル賞を取った大江健三郎や川端康成にしてもそうでした。 『小説家という仕事はないのです』  どこかの同人誌(真っ当なヤツです 笑)に所属させてもらってはいかがでしょうか。自分の評価もわかりますし、読者もできますよ。書けなくでも、催促はされても、強要や缶詰にはされませんよ(笑) 私のことでいえば、現在休筆中(笑)で本を山のように読んでいます。思いつめずにたまには休んで、良い作品に触れるのも次につながると信じます。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.3

そもそも、小説というのは無くても日常生活に困るものではありません。ですから小説家として売っていくのは実用書を書くライターよりはるかに難しいのです。世の中小説家と言われる人は山のようにいますが、そのうち小説を書くことで生活できる人はごく一握りです。芥川賞作家の羽田氏も、テレビに出たりしていますが、あれは小説家としての名前を売るためです。それくらい小説家として生きていくのは至難の業なのです。書くことがいくらでもある、アイデアが溢れて困る人ですらそうなのですから、自信が無いくらいならいっそやめてしまう方がいいかと思います。文章を書くのが好き、得意というだけでは小説家には向いていません。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7249)
回答No.2

ここは質問サイトなんですが、質問はなんでしょうか。 愚痴を言っているだけにしか読めません。 夢をあきらめるなみたいに言ってほしいのですか。 目を覚ませと言ってほしいのですか。 実は本日、別の質問でライターになりたい人に回答したのですが、あなたにたいしては同じことをいいたい。表現は別の方法をつかいますけど、似た話なんで。 何も経験もしないで小説家なんて成立するわけがありません。 空想だけでできると思ったら大間違いです。 想像するためには、間違いなくそれがそのように存在する、こんな形である、その理由はこういう歴史があるからだ、というようなことを考えるとしても、それが実際にあったことだと納得できるようなリアルさが必要です。 それは実際に見たことをモディファイしないと書けません。 例えば死に向かうということを書こうとしているのに、死にかかった経験がなかったら、ただの実感のないおはなし、になるだけです。だから経験がなければそんなことを軽々しく書いちゃいけません。 いろいろな体験をしたら、書けることが増えます。そのまんま書いたら私小説じゃないかとよく誤解する人が居ますが、違います。 そのまんま書いたら日記です。 小説にするためには味付けとか刺激のようなものを加える必要があります。 私小説というのは、そこに因果関係だとか悩みだとか、恨みだとか、ろくでもないものを付けて生活した上書く必要があります。 だけどそんなもんだれも読みたくないから私小説なんて書くべきじゃない。 それよりもやっぱりまともな小説にすべきです。 ただの日記だったものが小説になるというのは、視点を変えてドライブできるかどうかだけのことです。仮に自分の実体験ではうじうじ悩んだとしてら、第3者にはどう見えるだろうか、それを書くことをしたらまともな小説になっていく道筋に居ることになります。 小説を書いたとして「評価される」というのはイメージが貧困なことが多い。 どうこうことを「評価される」とみなすのですか。 次々に人が買い、電車に乗るとみんな読んでいる、自分を知らない人がいない、というようなことを評価だと思うならそんなことはまずありません。 ごくごくわずかの人が「読んだらよかったかも」と言ってくれることがまだしも現実的です。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

ごく一部の例外的な人を除き、ほとんどの人は本業を持ちながら小説を書いていて、売れるようになったら徐々に軸足を専業小説家に移していきます。「小説家だけしかしたことが無い」作家というのは滅多にいません。

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