- ベストアンサー
ヘーゲルの原文の不明点
- 初期ヘーゲルの講義録「Naturphilosophie und Philosophie des Geistes」について、異なる2つの翻訳があります。最後の「nur das Ganze (sein) Leben ist」の(sein)はどれにかかっているのか不明です。
- 廣松渉監修のヘーゲルセレクションでは、「全体のみが各契機の生命である」という解釈をしています。
- 本多修郎訳のヘーゲル初期論文集では、「全体だけがその天界系の生命である」という解釈をしています。ただし、Himmelsが複数であれば、Systemなのでしょうか。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
この一文だけではとても意味が取れないので、 前後の原文に大ざっぱに目を通してみました。 https://books.google.co.jp/books?id=rFYJ82OXZ84C&pg=PA30&lpg=PA30&dq=Dies+Ganze+ist+das+System+des+HImmels;+worin+jedes+Moment+selbst%C3%A4ndiges+Dasein+hat,+und+zugleich+nur+das+Ganze+sein+Leben+ist&source=bl&ots=08YX4rltFS&sig=oWElLqOtTTilCJJ9k3Ui6zAxWyU&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjcy9bV_7rWAhUM2LwKHcZZCPgQ6AEIKjAA#v=onepage&q=Dies%20Ganze%20ist%20das%20System%20des%20HImmels%3B%20worin%20jedes%20Moment%20selbst%C3%A4ndiges%20Dasein%20hat%2C%20und%20zugleich%20nur%20das%20Ganze%20sein%20Leben%20ist&f=false その上で、この文の文法上の構造と、語のニュアンス、 意味上の論理的整合性から言って、 seinはjedes Momentを指すと考えるのが妥当です。 (なお、des Himmels自体は単数形2格で、複数ではありません。) 文は、des Himmelsのあとにセミコロンが打たれて、そこで一度切れます。 そのあとに続く二つの文では動詞が後置されているので、 どちらも接続詞worinに続く複文となっています。 seinをdas System des Himmelsと取ってしまうと、 冒頭と同じ内容の文がそこで繰り返されることになり、意味を成しません。 また、zugleichは「同時に」という意味ですが、 この語があることで、その前後の二つの文が、 「~であると同時に~でもある」という密接な関係になるので、 それが成り立つような内容でなければなりません。 「それぞれの契機は自律的な存在を有し、 また同時に全体のみがその契機の生命である」 ということになります。 なお、ここで使われている「契機」という語は、 ヘーゲル哲学の用語としてのMomentの訳語で、「物事の動的要因」、 「全体が弁証法的運動である場合の必然的な通過段階」を意味します。 Lebenは「生命」と訳してありますが、 内容から言って、天体の活動、運動を意味すると思います。 (das wirtschaftliche Leben=「経済活動」のような用い方をします。)
お礼
語学カテゴリーよりも哲学カテゴリーで質問すべきか、迷っていた事項だったのですが、語学的に明確に、また同時に哲学的な補足を添えてくださり、大変納得しやすく、厚く御礼申し上げます。 ありがとうございました。
補足
TastenKastenさま 詳細なご回答、また原文を照らし合わせていただいて、誠にありがとうございました。 書かれたように、jedes Moment にかかっているほうが、ヘーゲルの言う矛盾の成としての流れに符号し、また書かれたように、zugleich の係り方が納得できます。そして翻訳された内容としてもヘーゲル独特の哲学のドラマティックさが出ており、そちらで受け取っておきたいと思っていました。 迷っていた経緯としては、廣松監修のものは抜粋訳であるに対し、本多氏のものが、全訳であって、ひょっとすると全訳しているほうが正しいのか、またはヘーゲルの別の側面としての、全体において、活動が成となる、という意味での、部分に対する有意性を言っているのか、という事も考えられるのか、と思っていました。 ただ、やはり「大論理学」に全く別の文脈ですが「かくして全体と部分とは、相互に制約しあう・・」という命題に符号するのは、jedes Momentにかかっている文意の延長だと思いました。