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「瞳を閉じる」という表現はおかしくないですか?
よく考えたら瞳を閉じることはできません。 「まぶたを閉じる」が正解だと思うのですが、何で間違いがまかり通っているのでしょうか?
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- kdsjfhiuwk
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「瞳を閉じる」は換喩(メトニミー)もしくは提喩(シネクドキ)的表現です。 換喩(メトニミー)とは…… 比喩法の一。言い表そうとする事物を、それと関係の深いもので表現する修辞法。「金バッジ」で国会議員を表すなどはこの例。 提喩(シネクドキ)とは…… 比喩法の一。全体的・総称的語で部分的・特称的意義を表したり、部分的・特称的語で全体的・総称的意義を表す方法。例えば、「太閤」で「豊太閤」(豊臣秀吉)、「山」で「比叡山」を示すのは前者の例、「小町」で「美人」の意を表すのは後者の例。 「瞳」と「目」や「瞼」は関係の深いものであるため換喩であると言えるし、部分的・特称的語で全体的・総称的意義を現しているので提喩とも言える。 出典:「瞳を閉じる」は決して間違った表現とは言えない【換喩や提喩とは】 https://lifeworknext.com/writer-author/close-eyes-metonymy すでに同じような質問が投稿されているので、こちらも参考にしてください。 「目を閉じる」 「瞳を閉じる」 「瞼を閉じる」 https://okwave.jp/qa/q4542471.html
- staratras
- ベストアンサー率41% (1498/3648)
「瞳を閉じる」は、今から百年前近く昔の菊池寛や泉鏡花の小説にも登場しますから、古くから慣用的に用いられた表現だといえるでしょう。こうした表現は理屈ではなく「使ったもん勝ち」のところがあります。 魔を除け、死神を払う禁厭であろう、明神の御手洗の水を掬って、雫ばかり宗吉の頭髪を濡らしたが、 「……息災、延命、息災延命、学問、学校、心願成就。」 と、手よりも濡れた瞳を閉じて、頸白く、御堂をば伏拝み、 「一口めしあがれ、……気を静めて――私も。」 と柄杓を重げに口にした。(泉鏡花「売色鴨南蛮」) もう、それは三、四年も前のことであった。が、今でも意識して瞳を閉じると、その女の顔が、彼の親の顔よりも、昔失った恋人の顔よりも、いかなる旧友の顔よりも、明確に彼の記憶のうちに蘇ってきた。 (菊池寛「青木の出京」) 歌謡曲の歌詞の世界などには、この「瞳を閉じる」が多用されていて、いささか食傷気味です。 昔から世の中には「提灯に火をつける」は提灯を燃やすことではないので、正しくなく、「提灯の中のろうそくの芯に火をつける」と言うべきであると主張する人もいます。その考え方で言えば「飯を炊く」も「湯を沸かす」もまちがいで、「米を炊いて飯を作る」「水を沸かして湯にする」というべきだということになりそうですが…。そこまで厳密に考えることもないのではないかと思います。
- marisuka
- ベストアンサー率38% (657/1685)
「店を閉じる」と同じようなもんでしょ。店の戸やシャッターを閉じるんだよね。こっちはいいの? それ自体が機能しなくなるよう入り口を閉めるってことで。
- yoichi001
- ベストアンサー率32% (328/1007)
比喩的な表現なんじゃないの 「心を閉ざす」ってどこの扉が閉まる事ですか?って質問してるみたいなもんだと思うけど。
- bakansky
- ベストアンサー率48% (3502/7245)
似たようなことが考えられる表現はいくつか思いつきます。たとえば 「湯を沸かす」 とか。すでに 「お湯」 になってるのなら 「沸かす」 必要もないのではないか、と突っ込みたくなる (笑) 「沸かす」 関連では 「風呂を沸かす」 もそうですね。「風呂」 は液体じゃないから 「沸かす」 ことはできない。「沸かす」 のは 「浴槽の中の水」 もしくは 「浴槽に注ぐ水」 について熱を加えることで常温よりも高い水温にするわけですが、面倒だから 「風呂を沸かす」 というし、それが定番の表現として日本語の中に定着していますでしょ。 ただし、「瞼を閉じる」 の場合は、変といやぁ変かもしれない。それほど定着した日本語表現ではないかもしれないですね。でも 「瞳」 → 「目」 → 「瞼」 という連想が働いているのだなということは、常識的に分かるからいいじゃんかといえば、それもそうかも。日本語ではわざとずらした表現に出会うことがあります。お坊さん のことを 「お寺さん」 と言ったりね。「お寺」 は建物だけど、それで人のことを表すわけです。「家内」 なんて、それこそ 家の内 だから人間でないみたいだけど、日本語で生活する上ではそういう表現を使うことにこだわりはないですよね。
- Biolinguist
- ベストアンサー率69% (354/513)
たいていの辞書で「瞳」に「目」の意味があると書いてあります。 (1)眼球の中心にある黒く丸い部分。瞳孔どうこう。 (2)目。 「つぶらな-」 「 -を輝かせる」 (『大辞林』) 1 目の虹彩、あるいは虹彩と瞳孔(どうこう)のこと。黒目。「青い―」「つぶらな―」 2 瞳孔。どう。「目薬で―を広げる」「入射―」 3 比喩的に、目。また、視線。「―を閉じる」「―を凝らす」「まっすぐな―」 [補説]「瞳を輝かせる」というときは、文脈により1または3の意。「―を覗き込む」「―の奥」「―に映る」「澄んだ―」なども同様。 (『大辞泉』) なぜでしょうか? 『大辞泉』がいうように、比喩なのですが、細かく言うと「提喩」です。 提喩というのは、 ・全体でその一部分を表す ・逆に一部で全体を表す ものです。 「手が足りない」という時の「手」は、「手」を一部として持っている「人」を指します。 「めし」「ごはん」は「食事」を指します。 「人はパンのみに生くるにあらず」の「パン」は「食べ物」あるいは広く「物質的充足」を指します。 同じように、「瞳」は「瞳孔」も指せますが、「目」の意味にもなれるのです。
- wam_f756
- ベストアンサー率8% (114/1333)
? 瞳閉じれないの? 出来たら、かっこいいよね まぶたより。
歌詞や文学的表現なら必ずしも物理的に正しい表現で有るとは限らないでしょう。 歌詞なら語呂が良ければ良いという考え方もあります。 「パイプ咥えて口笛吹けば…」吹けるのか?ってツッコミもありました。 瞳を閉じてに関しては放送作家の高田文夫先生がよくラジオで突っ込んでました。 「まぶた閉じずに瞳だけ閉じられるのか…」って。 まあまぶたを閉じれば必然的に瞳は隠れますから表現として間違ってるとも言えないのでは?
- msMike
- ベストアンサー率20% (364/1804)
「小理屈(小理窟)をこねる」っていう言葉をご存知ですか? 貴方の態度が正にソレです。
- t_ohta
- ベストアンサー率38% (5238/13705)
生物学的に動作を表すのであれば間違った表現でしょう。 文学的に情景を表現するのであれば、どう言い表すかは表現者の自由ですし、読んだ側がどう解釈するかも自由だと思います。
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