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旧日本軍の海軍看護兵(衛生兵)について質問です

旧日本軍の海軍看護兵(衛生兵)について質問です。歴史に詳しい方、よろしくお願いします。 私の亡くなった祖父は第2次世界大戦で海軍所属、衛生兵であったと言っていました。南アジアに出兵して敗戦で帰国、その後祖母と結婚しました。 実際、父が子供の頃、家には古い注射器があったそうで、どうやら軍隊時代のものをそのまま私物化して使用していたようです・・・ それで質問なのですが、 1、祖父は普通の事務員でした。一応初等教育はきちんと受けていたけれど、教育といっても、信州の寒村では、農作業やら子守やら、親が忙しければ義務教育の子も学校を休まされたりするようなことがわりとあったそうです。当然、医療に関しては全く素人です。衛生兵はそういう人でも務まるのでしょうか? 2、外国の映画、例えば「ハクソーリッジ」のデズモンド・ドスさんなど、かなり体力に恵まれていますよね。軍事教練も成績が良く、戦場では、足場の悪い場所でも人を片手で引きずって運んだり、肩の上に一人担いで崖を下るなど、確かにあのくらいできなくては患者は助けられないと思います。しかしうちの祖父ではどう頑張ってもあんなにできないと思うのです。同年代の人よりむしろ小柄で細身、武道の経験もありません。実際問題、救助どころか2次災害になりそうなのですが・・・日本軍はどういう基準で配属を決めているのでしょうか。 3、日本軍の持ち物はすべて、軍部からの支給品のはずですが、注射器など、戦後も私物化して利用するのは問題ないんでしょうか?

みんなの回答

回答No.3

旧陸軍の衛生兵の教育訓練については分かるのですが、海軍看護兵の訓練については知りません。ただ、親戚の者が海軍術科学校で水雷の訓練を受けたので、その関連で分かる範囲を回答させていただきます。 海軍には大きく分けて三種類の教育機関がありました。最上位は海軍大学です。軍の出世コースを歩む優秀な人材に英才教育を施す機関です。今日の感覚で言うならば大学院でしょう。 次は海軍兵学校です。実質は士官学校であり、これを卒業すると士官(将校)に任官し、出世コースを歩む事になります。軍という官僚組織の中でキャリアとして仕事をしてゆく人達です。 最後に、術科学校という訓練組織がありました。これは一般の水兵達の中から能力や適性で選抜された者たちに細分化された専門知識と技術を教え込むための教育訓練機関であり、今日の感覚で言うならば専門学校に例えられると思います。分野は砲術、水雷、通信、飛行、機関、看護等々ありました。 一般の水兵さん達は、当然誰もが医療に関しては全く素人のはずです。彼らの中から、本人の希望・上官による推薦・試験という関門を経て、海軍術科学校の数ヶ月の訓練を受けて知識と技術を叩き込まれるのです。衛生兵はそういう人でも務まるかとのお尋ねですが、文字通り叩き込まれます。戦時中の兵士に対する教育訓練は、何が何でも一通りの教程を叩き込むのです。覚えが悪ければ、血が出るまで殴りつけてでも覚えさせ、技術をマスターさせました。 おじい様は体格に恵まれておられず、負傷兵を担いで運ぶ力もなさそうなお方であったようですが、衛生兵や看護兵の本分は負傷兵を担いで後方に担送することではありません。傷や病気の治療、軍隊での伝染病や食中毒などの防止などが本来の任務です。そのために必要な外科や内科や疫学の知識を叩き込まれるのです。安易な比較は慎むべきでしょうが、今日、看護学校を卒業して載帽された看護士さん達にも匹敵する専門技術をわずか数ヶ月で学ばされました。 教程を終了した者は専門技術者として階級が上がりました。同時に重い責任も負う事になります。たとえば飛行機の操縦を学んだ者は下士官(軍曹)に任ぜられましたが、これは非常に高価で各種武器を搭載した兵器を扱える資格と責任が伴うからです。 おじい様も術科学校で看護の教程を終えられたら階級が上がったはずです。軍隊内でも医療行為を行うについては、今日医師や看護士や薬剤師が国家資格の取得を必須とするのと同じく資格の取得が必要だったからです。 終戦後の復員時に軍の支給品を持ち帰った件についてですが、これはグレーゾーンです。たとえば帽子や軍服や靴も支給品ですから、厳密には返却すべきところですが、裸で復員する訳にはいかないので、軍隊毛布なども含めて大目に見られていたのが実情です。兵器は当然ですが極めて厳重に管理されていました。それでも前の回答者の方が書かれているようなことは終戦のどさくさにあったことは事実です。 おじい様にとっての注射器(もしかして金属のケースに入った注射針のセットだけではありませんでしたか?)は、どうしても手放す事のできない思い出の品だったのではないでしょうか。決して私物化して利用するつもりは無かったと信じます。

akemi777
質問者

お礼

詳しい解説、ありがとうございます。 そうですか、務まるも務まらないも、とにかく務められるまで頑張るしかないのが軍隊。現在の看護婦さんたちは数年かけて全部の科の勉強をさせられますが、軍隊では外科や内科の衛生兵に必要な部分のみをみっちり数ヶ月に渡って訓練するのですね。座学の方が得意な祖父なら、伝染病の予防などはきっと得意分野だったでしょう。 注射器セットは、お弁当箱のような金属製のケースに入って、ガラス瓶数本と替えの針もあったそうです。 ただ、父によると、これは単なる思い出の品物じゃなく、しっかり使っていたそうで・・・ 戦後、病院の事務員の仕事についた祖父は、病院にあったビタミン剤をうまく(?)貰ってきて、自分や家族に打っていたらしいです。物品管理が緩かった時代なので、そのくらい問題なかったようですね。私物化して利用はしても、別に悪気ではなく、当人は純粋に技術を活かして親切でしたことのようですから、まあグレーゾーン・・・ということなのでしょうね。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.2

まず当時は「看護婦」ってのはいても「看護師」ってのはいなかったという前提がありますね。しかし最前線に看護婦を連れて行くわけにはいきませんし、医者を連れていって戦死でもされたら大変です。 だから、本人も希望していて適性も認められた人に勉強させて技術を教えたのです。似たようなのに炊事当番もあります。食事は毎日のことで、本来は順番にやることですが誰もが料理の適性があるわけではありません。美味い食事が作れる人はそれが主な仕事になります。似てるのが、相撲部屋のちゃんこ番と呼ばれる人です。そういう人は38歳で序ノ口(一番下のクラス)とかいるんですよ。もう相撲取りとしては上に上がれることは絶対にないのですが、食事当番として必要なのです。 衛生兵にせよ食事当番(軍艦では食事番は決まっていますが)にせよ優遇措置はあります。誰かが負傷したときに助けられる人や食事を作る人が死なれたり負傷されるのは困ります。だからそういう人たちはなるべく危ない任務には選ばれないようになります。特に衛生兵が死傷したら誰も負傷兵を助けられることがなくなるので、衛生兵は一番死なれては困る人となりますね。 >ハクソーリッジ 私もあの映画を見ましたが、まあなんというかファンタジー映画ですね・笑。あの丘は日本名で「前田高地」といいまして、沖縄県に行けば訪れることが可能です。確かに急峻な崖があったのでそこに登攀用のはしごがかけられたのは事実ですが、あの高さは過大広告ですね。「前田高地」で検索すると写真が出てきます。 それに、実際の米軍はフツーに登れる坂(映画でいうと左側のほうがずっと拓けた場所でした)から前田高地を攻略しています。あんな戦車も登れない崖をえっちらおっちら登ってはいないのです。ただ、歩いて登れる方向は当然日本軍もそっちから米軍が来る(来ざるを得ない)ことは分かっていますから陣地を作って待ち構えていたのです。 お祖父さんは、心優しくて気が利く人だったのでしょう。だからそういう人たちの世話に向いていると思われたのではないでしょうかね。 >支給品 日本は戦争に負けたので、なんというか会社でいうなら倒産したわけですよ。そしたら倒産した会社の何かの備品を記念品としてもらっていこうっていうことはあったと思いますよ。記念として消耗品(注射器はガラスでできていますから消耗品ですよね)をこっそりもらうなんてよくあることじゃないですか。倒産してたら混乱もありますからね。 特に使う機会も考えられた銃剣なんかは田舎の納屋から出てくることがたまにありますよね。「お爺ちゃんが死んだからタンスの遺品整理をしたら、タンスの奥から拳銃が出てきたのでびっくりして警察に届けた。思い返してみると、お爺ちゃんは戦後の一時期GHQで働いてた」とかたまにある話ですよ。支給した米軍も返却を忘れていたのでしょうね。

akemi777
質問者

お礼

確かに、相撲部屋のちゃんこ番は必要な人材ですね! 38にもなって最下級の地位では、相撲取りとしての出世は無理ですよね。しかし考えてみれば、稀勢の里のようなトップスター力士が料理当番なんてしそうにないし、そういうスターには戦闘能力をフルに活かしてガンガン稼いでもらい、ちゃんこ番は彼らがコンディションよく戦えるように手助けする、というわけですね。 前田高地は・・・まあ映画っていうのはあくまで娯楽のためのものであって、歴史のドキュメンタリーじゃないのですね。 戦後、支給品を返却しようにも、もう大日本帝国も軍隊もないから、返却のしようもなかったのでしょうかね。 祖父も、軍人として出世するための戦闘能力は劣っていたけれど、それはそれで必要なポジションがあって、それなりの貢献はできた、ということなのですね。安心しました。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

衛生兵というのは簡単な訓練を受けただけの「保険係」のようなものです。戦時中は医療行為をする必要があったのは事実ですが、本来は「応急処置」をするのが業務で、その程度の技術しか持ち合わせていません。沖縄の「ひめゆり部隊」なども同様です。

akemi777
質問者

お礼

なるほど、ひめゆり学徒隊の女の子たちは職業看護婦ではなく、あくまで看護の基礎をちょっと習っただけの学生ですからね。一応、前線から退いて保健室へ連れて行く程度の技能で良いのならば、素人を徴兵したあと訓練で身につけさせることができそうですね。

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