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なぜ勉強するのか??(現役の先生、ぜひお願いします。)
こんにちは。 将来教員になろうと思っています。先日教育実習を終えてきて、その思いは大きくなった気がします。 その反面、様々なことを考えさせられ教職の奥深さを知った気がします。特に、抽象的な質問をされたとき、どう答えたらいいのだろう…と考えたりします。 皆さんは、なぜ、勉強をするのだと思いますか? 私は「将来の夢を実現するため」と思っています。 また、「自分の興味を見つけるため」とも思っています。 そして、先生方は、生徒・児童にこう聞かれたら何といってあげますか? 私は上記のように考えますが、子どもたちはそれぞれ、考え方は違うと思うし、その考えの一つ一つも正しいと思うんです。どう、声掛けをしてあげるのが良いのでしょうか?
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“なぜ人は苦労して学び、知識を得ようとするのか。私は、それに対して『知恵』を身につけるためだ、と答えることにしている。学ぶという中には、知恵という、目に見えないが生きていく上に非常に大切なものがつくられていくと思うのである。この知恵がつくられる限り、学んだことを忘れるということは人間の非とならないのである。例えば、忘れたことをもう一度必要にせまられて取り戻そうととする時、一度も勉強したことのない、全然聞いたことも経験したこともない人と違って、最低、心の準備ぐらいはできるし、時間をかければさほど苦労しなくてもそのことを理解できることだってある。 知恵には、そういう側面がある。私はそれを知恵の「広さ」と呼んでいる。さらに、その「知恵」には、ものごとを深くみつめる「深さ」という側面がある。そして、ものごとの決断力を促す「強さ」という側面もある。 人は、なぜ、ものを学ばなければならないのかという問いに対して、私は、そういった「知恵」を身につけるためだということを回答にしている。” 【広中平祐著「学問の発見」佼成出版 昭和57 - はじめに、の一節から】 表現の違いこそあれ、他の方の回答と通ずる部分が多いと感じ、驚いています。これは数学者である広中先生のエッセイの一節で、私の座右の銘でもあり、永遠のテーマです。 「なぜ学ぶのか」というのは教師にとっても、自分自身に対するいちばん大切な問いかけではないでしょうか。教師になれば、今までになかったようなさまざまな「生きることに対する」疑問がわいてくると思います。頑張って!
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- keeps
- ベストアンサー率18% (25/132)
私は受験生ですが、以下のように思っています。 数学・理科に関しては、理学部・工学部・医学部・薬学部で学ぶ際に必要になるから勉強しなければならない。 英語に関しては、理系にすすむ場合、世界の論文は英語で書かれている可能性が高いので英語を勉強しなければならない。文系にすすむ場合は、海外の企業と取引をする際に必要になる。 政治学・経済学などを学ぶためは地理歴史公民に関する知識をもっていなければならない。 こんなところでしょうか。
お礼
私が中学、高校のときは、まだ将来のことを具体的に考えていなかったので、keepsさんのような考えを持って勉強していたように思います。 ありがとうございました。
- overtone
- ベストアンサー率22% (191/833)
民主主義を維持するためです。 日本は民主国家なので、それを成り立たせるために義務教育があるのだと思ってます。 字が読めなかったり、お金の計算ができなかったら 絶対に政治家や金持ちに騙されます。論理的に考えられ、周囲と的確なコミュニケーションが取れるように義務教育があるのだと思います。 私は 小学生のこどもにそう教えています。 「おとなになって、一生懸命働いても 騙されてお金を取られたり、お金をもらえなかったりしたら嫌じゃないか?訳のわからない理由で偉い人がいて、その人にお前は死んでしまえ と言われたら死ななきゃならない世界で良いか?嫌なら きちんと 勉強しよう!」って言ってます。(極端ですが) =============== 義務教育以上の高等教育(高等じゃないか?)は、知的な興味・研究などにも関係してきますよね。 教育に大事さを感じない大人が多く感じます。 結局 投票率も低いと言うことに・・・。
お礼
私は、義務教育は社会に出たときに最低限知っておきたいこと、知っておくべきことを学ぶのだと思いなす。「もし、~ではなかったら…」と考えさせるのは、子どもたちも危機感が沸く(!?)のかな、と思いました。 ありがとうございました。
- Syo-ya
- ベストアンサー率31% (558/1780)
教師ではありませんが、やはり、基本的な部分で「無知と貧困」が多くの不幸を産んできたのでそのためだと思います。個人も困るし、国家も困りますし、国際社会も困ります。 まあ、こういう豊かな時代で、みんな中流意識を持っているし、同じようなサービスが受けられたりしてますから、中々実感を得られないと思いますが、その理念は変わっていないと思います。 それは教師だって同じことで、教え方について、もっと学ぶべきだし、そのためには児童心理も、家庭問題にも見識を持つべきだと思います。 そうすると、それまでの自分達のやり方が、いかにまずいものだったかも見える時もあるかも知れませんし、「ああ、教師の私が一番無知だった・・・」なんてこともありうると思うので、やはり勉強は欠かせないと思います。 黒澤明監督の「赤ひげ」という映画も「無知と貧困」をテーマにしてますが、是非、ご覧ください。 人間の本性は必ずしも善とは限りませんから、自立のための勉強と、得た知識を世のため、人のために役立てるための勉強であると思います。
お礼
「無知と貧困」は、私は考え付きませんでした!!でも、Syo-yaさんの文章を読んで、「あぁ!」と思ったと同時に、現在の自分が「無知」であることを改めて感じた気がします。 ありがとうございました。
- jjjjjjjjjjj
- ベストアンサー率12% (4/33)
勉強というものはその教科を学ぶという考え方は捨てたほうがいいと思います。例えば、理論的思考を養うために数学を、肉体的、そして精神的な鍛錬をおこなうために体育を、国際的視野を磨くために言語を、という風に考えてみるべきだと思います。それによって人生の中で選択肢が増えることは勿論ですが、あくまでもそれは社会のためではなく、自分のためという考え方をしっかりと持つことが大切だと思います。
お礼
そうですよね。「自分のため」というのはやはり重要ですよね。それが、結果的に社会のためになることはあるけれど… ありがとうございました。
- michina
- ベストアンサー率37% (68/179)
私が以前書いた文章を紹介しておきます。 「勉強」について 「勉強」はなぜ何のためにやらないといけないのか! 私たちはみんな学校で勉強しているが、なぜ何のために勉強するのだろうか。今回はその事について説明することにしよう。 多くの人にとって、学校で習った分数や少数などが社会に出て直接役に立つことはほとんどない。それじゃ何のために勉強する必要があるのだろうか。 君たちは、体育の時間に野球をやったりバレーボールをやったりもする。でも野球やバレーボールは社会に出て直接役に立つことはほとんどない。しかし、スポーツをやると楽しいばかりでなく、身体の発育や健康に良い。私たちはスポーツを通して心と体を鍛(きた)えているのだ。 頭を鍛えるために勉強する 勉強すると頭を使う。頭は、使えば使うほど良くなる。頭は私たちの体の司令塔であり、私たちの健康、生き方、対人関係まで多くのことを決定してしまう。そして、頭は、勉強したりスポーツをしたりする事によって、いくらでも鍛え上げることができる。 芸を仕込まれた犬の平均寿命は、そうでない犬よりも長いことが分かっている。逆に、おいしい餌(えさ)だけ食べて何もしないでごろごろしている犬は、頭もぼけやすいし、成人病にもかかりやすく、長生きできないということだ。 情報化社会は、より頭を使う社会になる 20世紀は工業化社会であったが、21世紀は情報化社会(頭脳化社会)になる。工業化社会では、物を作る産業が栄えたが、情報化社会では、物よりも情報を作る産業の方が栄える。物と情報の違いは何だろう。例えば、鉛筆は物だ。鉛筆は1本より2本の方が価値がある。ところが、マンガ雑誌は1冊あれば十分だ。普通同じマンガ雑誌を自分のために2冊も買う人はいない。なぜなら雑誌は、その物ではなく中身、つまり情報に大きな価値があるからだ。また、普通3千円くらいする音楽CDもCDやケースなどの値段は数パーセントもしない。値段のほとんどが曲の値段なのだ。それから、物はロボットでも作ることができるが、情報はほとんど人間の頭でしか作ることができない。つまり、今からの社会では今までの社会よりも、頭を使う仕事の方が圧倒的に増えてくるし、価値もあるということだ。 先輩たちの得た知恵や知識を学ぶために勉強する 私たちは誰でも失敗をした経験がある。ひどい失敗をしたときは「もう2度とこんな失敗はしたくない」と思うものだ。そして、自分の友達や家族に話したり、将来の自分の子供たちのために書き残したりするかも知れない。その伝えることが教えることであり、伝えられることが勉強することなのだ。別に失敗したことだけでなく、発明したことや発見したことも教え学ぶことができる。もし私たちみんなが勉強することをやめたら、将来誰もコンピュータや車などを作れなくなるだけでなく、食べ物の作り方も、病気の直し方も分からなくなってしまう。大変なことになってしまうのだ。 自分自身を豊かにし社会のために役立てるためにやる 私たちの社会では、より多くの人々のために働ける人ほど経済的な収入も多いし、社会的にも尊敬される。自分のことしかできない人は収入を得ることはできない。また、自分のこともできない人は、他の人の助けなしには生きていけないことになる。だから、私たちは、自分自身のために、そして社会のために役立てるためにも勉強しないといけないのだ。 今勉強している物は、今後勉強する物の基礎になっている 確かに、分数や小数などは社会に出ても直接役立つことはほとんどないが、今後学ぶ数学の基礎になっている。そして数学は、論理的思考力を鍛えるとともに、高度な科学技術を学ぶためになくてはならないものなのだ。 だから私たちは、ただテストの点を取るために勉強するのではなく、本当に自分自身の身に付くように勉強すべきなのだ。 最後に付け加えておくが、テストの点を取るために勉強するよりも、本当に自分自身の身に付くように勉強した方が、高学力を身につけることができ、学校の成績も伸びるのである。
お礼
素敵な文章ありがとうございます。 「自分自身のために勉強する」これが出発点になり、そこで身になったことが、「その後の勉強」「他の人へ伝えていくこと」「社会に貢献すること」「自分自身の向上」へとつながっていくのかな、と感じました。読ませていただいて、むしろ、私自身がもっと勉強(世の中のざまざまな物に触れること)が必要なんじゃないかな、と感じました。 ありがとうございました。
- sandsoftime
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うむ。 益々目指すものが近くなった気がしている。 いま、非常にいい時期ですね。 ノルウェイの森、でしたっけ。 いい一文があるんですよ。うろ覚えなんですが。 「英語の仮定法現在と仮定法過去の違いをきちんと説明できる?」 「何かの役に立つということはあまりないね。 でもそういうのは物事をより系統的に捉えるための 訓練になるとは思ってるけど」 こんな会話。 いつも、勉強することの意義を考えるたびに、 これを思い出します。 世の中の物事で、動機や意味に近いものはほとんど、 本人に響く言葉でなければ…とは思うんですけど、ね。 ぼくは…そうですね。 大人と呼ばれる年代になって、思ったことなんですが、 勉強ということは、世の中を知ることじゃないか、って。 早く教員になれるといいですね。応援しています。
お礼
>世の中の物事で、動機や意味に近いものはほとんど、本人に響く言葉でなければ… そうなんですよね。ただ一般論を言うだけでは子どもたちには響かないと思うんです。その子が「あぁ!」と納得できるような(その場ではわからなくても、少しでも心に残るような)言葉を掛けてあげたいなぁと思います。 ありがとうございました!
お礼
私も、「広く」「深く」「強い」知恵は社会で生活していくには必要になると思います。この「知恵」が様々なことをやっていく上での基礎みたいになるのではないかな、と感じました。 ありがとうございました。