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人間は性悪、性悪説こそ正しい
法律・常識・慣習・礼儀作法、あらゆる物で人間を縛ってる。 ここの回答のように、匿名ならばどんだけひどい事でも平然と書ける。 人間なんて生まれながらにして悪に決まってますよね?
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- 山田 太郎(@f_a_007)
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Q、人間なんて生まれながらにして悪に決まってますよね? A、生まれた時は無垢。悪には染まっていない。 だから、性善説、性悪説ってのは、どっちとも観念的な独断と偏見。2説のどっちが正しいかの解釈なんてのは暇人がやること。一般人は、子供が性悪に育たないように腐心することで忙しい。また、社会に出てからは企業モラルの崩壊現象を是正することに微力を注いでいる。あるいは、崩壊した企業モラルへの抵抗に余念がない。「人間なんて生まれながらにして悪だ!」なんて敗北者の弁に耳を貸す暇なんてないのが現実だよ。
- 雪中庵(@psytex)
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善悪などというのは、相対的なものであり、それを 絶対化した「性~説」というもの自体、幻想である。 進化の産物としての生命において、生きる目的は生き る事であり、動物には善悪などない(弱肉強食)。 脳の属する個体=意識と、生きるルール(本能= 生存単位が個体だから)は一致しており、外的な 判断基準(社会的目的≒善悪)など無用だから。 しかし、人類は分業化&組織化して社会生命化した ために、個体的な本能や感情と、生きるための必要 (社会生命性=助け合い)が遊離したため、その 個人の意識の短絡性を社会的に補正するための他律性 =外的価値(善悪、法規、モラル)が派生したです。 その「他律性」は、たとえば「お金を稼ぐために嫌々 働かされる」といった具合に、本来生命にとって一番 の喜びであるはずの生きる事を、苦痛(他律的拘束) に変えてしまったのです。 環境認識の深まりによって、自己の社会生命性を 自覚化し、自律的生(愛による助け合い)において 自発的に社会行動をとる時、生きる事自体による喜び =最大充足は可能になるのです。 (精神的充足の追及としての生において最「善」)
お礼
ありがとうございました
現実と理想の対比とも。 理想通りにはいかない。という考え方もありですが。 現実は厳しい。自然も厳しい。 でも人は文化を築いている。理想や個人の善などもっている。 2軸がある世界かと。
お礼
ありがとうございました