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合唱曲としてAKB48より大地讃頌が優れる?
AKB48の新曲「願いごとの持ち腐れ」合唱関係者らが猛ブーイング https://dot.asahi.com/aera/2017041200037.html この記事なんですけど純粋に学問や芸術の一分野の音楽としてどうかより日本は資本主義だからお金になる音楽のほうが正しいというべきでは? 義務教育の小中学校も高等学校も大学も、学問で知識を得ることがただそれだけで価値があるとは言わず、世の役に立つか金儲けになるかにならねば学問の価値はないと普段言うのが日本の公教育なのに合唱コンクールの時だけ聖人君子のように綺麗ごとをいうのはおかしいです。 またそもそも音楽や合唱に詳しい人が正しい音楽を決める権利があると教育関係者や専門家らは当然のように考えている理由は何でしょう? なぜ大地讃頌がずっとうたわれ続けるのはよくてJPOPSはダメなのか理屈で説明をお願いします。
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- wy1
- ベストアンサー率23% (331/1391)
所謂JPOPSってなんですか? 合唱コンクールとは合唱曲のコンクールですよね。AKBの曲は合唱曲ではありませんし、教育現場で歌って競うような質/芸術性があるものでしょうか。金にならなければ価値がない、なんてほざいているのは 現在の内閣総理大臣だけで、公共の教育現場では、言われていないはずです。国語の時間に、与太話の週刊誌 など取り上げないでしょう。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
>なぜ大地讃頌がずっとうたわれ続けるのはよくてJPOPSはダメなのか理屈で説明をお願いします。 記事の中にこうあります。 「ユニゾンで完成している楽曲を無理に合唱曲へアレンジして約半年間、教育現場で取り組ませる必要があるのか」 その曲が合唱曲にアレンジが前提になっているような曲であったり、それが無理がないような曲であったり、それによって合唱隊の良し悪しが判定しやすくなるような曲なら問題視する人は少ないと思います。 AKBの楽曲は、歌の上手な子からヘタな子までが等しく歌えるように要するに「簡単なメロディー」にしてあります。そうなるとスキーの選手権大会を初心者コースでやるようなもので、技術の良し悪しが結果に反映しづらい。 だからもし、課題曲が「キラー・クイーン」や「愛に全てを」だったらどこからも文句はこなかったと思いますよ・笑。 https://youtu.be/2ZBtPf7FOoM https://youtu.be/cxbFLYa0_bw
- kifimi
- ベストアンサー率72% (425/586)
>世の役に立つか金儲けになるかにならねば学問の価値はないと普段言うのが日本の公教育なのに この前提には賛否両論あるかと思いますが、とりあえずそれは置いておくとして。 この問題は、コンクールの「課題曲である」というところが大きいでしょう。自由曲の選択肢の一つであれば、文句は出なかったでしょう。この曲を良いと思った学校は選べばよいし、良くないと思った学校は選ばなければ良い。そうやって消費者によって選別・淘汰されていくのも、質問者さんの言う、金儲け=資本主義の基本です。過去の課題曲でも、ずっと歌い継がれている名曲もあれば、ほとんど聴かれなくなった曲もあります。 ところが、課題曲だと、参加したければ必ず歌わなければならない。NHKの合唱コンクールは、合唱の世界では権威ですから、ボイコットができる学校はないでしょう。事実上、資本主義の原則である淘汰の余地もないわけです。 話題性先行・視聴率狙いの、合唱曲として不出来な曲でも、コンクールに参加したければ、歌うことを強制される。 NHKの視聴率稼ぎやAKBの宣伝に、課題曲を歌うコンクール参加者が利用されている、という気持ちもあるでしょう。参加者には何の見返りもなく、しかも音楽的に優れていると納得できる曲でもないのに、課題曲を練習する・披露することで、AKBの宣伝に利用されるわけです。 得するのはAKBとNHKだけで、コンクール参加者や指導者はそれに利用されるだけ。 そういった、音楽教育の観点からはもちろん、質問者さんの言う「資本主義」の観点から見てもいろいろおかしな点が露骨すぎるので、反発が出ているのです。 例えば、スポーツの大会で考えるなら、話題性先行・テレビ映りを意識して、ファッションリーダーとされる人気アイドルがデザインした「機能性に劣るが、視聴者ウケするデザインのウェア」の着用が大会参加者全員に義務づけられたとします。かわいくて見栄えはするけど、機能性は無視、選手の身体能力が発揮できるようにデザインされたウェアではなく、素材やデザインの関係で怪我もしやすい。しかもウェアにはデザインしたアイドルの大きなロゴ入り。そんな感じです。 当然、反発の声が出るでしょう。 コンクールの一番の当事者である参加者のことを考えない「金儲けになること」は、「世の中の役に立つ(=コンクール参加者・指導者の利益になる)」ことと相反するので、反発が出るのです。 合唱コンクールでは、声の善し悪しだけでなく、発声など、合唱の技法も競われます。その技法の善し悪しが発揮できる曲ならば、コンクール用の合唱曲として適切だと言えますが、今回のAKBの曲は、コンクールの課題曲として必要な要素を満たしているとは(専門家から見て)思えない、ということです。 普段の練習の成果や、合唱団としての良さが発揮できない課題曲は、迷惑でしかないわけです。音楽的にレベルの高い難曲ではなく、レベルが低いという意味での「困難曲」。音楽性の低さをいかに克服するか、という課題では、コンクールの目的が変わってしまいます。ゲームで言えば、クソゲーで高得点を争うようなものです。 しかも公共放送を標榜しているNHKが、伝統あるコンクールの課題曲に「儲け主義」を持ち込んだ、というところに問題もあるのでしょう。