追記・訂正
#1 では 「徳」 という語が目的語であるという想定が頭にあったのですが、考えてみると、「徳を下がる」 という表現もあり得ないではないという気がしてきました。
「徳」 という語が目的語としてではなく、ある位置もしくはある状況を指すものとみなせば、徳」 の下位にあるものに対して相対的な位置を示しているとも取れそうです。たとえば 「車を降りる」 という場合、「車を」 は 「車から」 ということと等価であると見ることができるようなものです (ただし、その場合は 「私は」 という主語が隠れているわけですが)。
「世間では他人に対して思いやりを持てだの何だのというが、思いやりとは 「仁」 であろう。「仁」 は 「徳」 を下がったものではないか」 といったふうな文脈の場合を考えてみると、あながちあり得ないとも断じられない気がします。「徳」 という語が抽象的なので、「車を降りる」 のような具象性がありませんが、仮に階段のようなものを想定して、その最上段に 「徳」 があるとした場合、下位の段に移行する行為を 「徳を下がる」 と表現しても良いように思えます。
以上のことは、本題と直接関係のないことかもしれませんが、文脈が不明で単一の文のみによる判断となるので、煩瑣に傾くかとは思いましたが、記してみた次第です。
ともかく、「徳を下がる」 という表現からは、老子の言ったようなことを前提にしての発言であるように思えるということは、#1 に書いたとおりです。
お礼
ありがとうございました。