- 締切済み
自分の価値を知る者、評価する者は、身を大事にする?
自分の価値を知る者、評価する者は、身を大事にする? 哲学カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
「自分の価値を知る」というが、そもそも『価値』とは 自分の発するものであって、他人に評価してもらうもの ではない。 全ての真の価値は、“自分にとって”でしかないのだ。 そうした自我の目覚めの不完全な未熟な自覚において、 他人による評価に依存して自覚しているに過ぎない。
- koosaka
- ベストアンサー率43% (78/179)
価値は、主観的であり、しかも相対的なものです。 ただ一つの物は価値はありません。 たとえば商品は一つだったら、価値はありません。 二つあるから、あるいは二つ以上あるから、その商品に価値があるので、一つしかなかったら、価値がなくても必要があったら買わざるを得ない。 二つ、あるいは、それ以上あるから、双方を比較して、こっちの方が有用性があるといって、選択する価値がある。 一つしかなく、選択の余地がなかったら、価値はない。 価値とは双方を比較していうものだから、一つの商品にとって、価値は相対的なものに過ぎない。 たとえば、お金は商品を買えるから価値があるけど、なにも買えなかったら、お金に価値はない。 労働も同じ。 労働者にとって、それで賃金を貰えなかったら労働は価値がないし、資本家にとって利益を生まなかったら、同じく労働に価値はない。 人が自分の価値を知るためには、自分だけではダメで、他人を必要とする。 他人が価値があるという評価があって初めて自分に価値があると言える。 自分だけだったら、ゴミクズと同じ、何の価値もない。 身を大事にするのは他人のため、自分の為ではない。 他人から見て、自分に価値があると思わせるために、自分の身を大切にする。 自分も、労働力という商品だから。 てか?
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
自分の価値を知る者、評価する者は、身を大事にする? ↑ そんなことはないでしょう。 1,自分の価値を取るに足らない、と考えれば 身を大事にしないかもしれません。 2,自分の価値を評価するが故に、国家のために 身を捨てる、なんてこともありえます。 本来のエリートとはこうしたモノです。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
何が疑問なんですか。 恩人からもらったものであれば、ハンカチ一枚でも大事にするでしょう。 それが価値があると思ったら大事にするのはごく普通の神経じゃないですか。 自分が価値があると思ったら、変なことで死なないようにかばって当然じゃないですか。 そもそも自分に価値がないと思って生きている人はいるんですか。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。