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自分の価値は他人が決めるもの。
自己卑下したり、自己嫌悪したりして自分には価値がないと決めても、 自分の価値は他人が見つけるもの、決めるものだと言います。 だとすれば、結局人に受け入れられていない今の自分には価値がなくて、 もっと人に気に入られるように生きなければならないのでしょうか? 嫌われようとして生きているつもりもありませんが、確かに他人にとって 自分はメリットのない人間であることは価値を認められていない現在、 価値のないことは事実であることを認めざるを得ないのですが・・・ 自分の価値は他人の評価にしかないのなら何が正しいのか分からなくなります。 しかし、それでも受け入れない自分に価値のないことは事実で・・・ 昔は苦もなくそういうこと(他人に気に入られようとすること)が 出来たはずなのに何故か歳を重ねる毎に上手く出来なくなります。 歳を重ねた分、上手く出来ないといけないはずなのに出来ない、やりたくない。 それでも自分の価値は他人の手の中。 自分の価値って何なんでしょうか・・・もう良く分からないです。
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自分の価値を認めるのは自分でもあって他人でもある 自分と他人の価値観が一緒なら同じなり 違うなら自分の価値は認められないかもしれない ただそれだけ 自分の価値観に間違いないと思えばそれは正しい それでいいんじゃないですか
- jsapp
- ベストアンサー率29% (55/184)
私にとって「自分の価値」とは 「誰かの道具/奴隷として自分を評価した場合につく値段」 のことです。 >自分の価値は他人が見つけるもの、決めるものだと言います。 道具/奴隷の利用価値は所有者が決めます。 私の考える最も価値ある人間とは、 滅私奉公を美徳とし、用済みになったと感じれば自分から辞表を書くような人間のことですが、 そんな人間になりたいとは思いません。 したがって、私は自分の価値に執着しないことにしています。 (というより、自分の価値に執着することに嫌気がさしました) 私には、貴方の葛藤は 俺はお前たちの道具/奴隷じゃない! 俺の所有者として俺のことを評価しようとするな! という心の叫びのようにも見えます。
- unenana
- ベストアンサー率34% (209/606)
自分の価値って、他人が決める部分と、自分が決める部分の両方が混在してると思うんですよ。 そのバランスに良し悪しがあったりするけど。 同じ仕事でも、「ここまでやりました!」って言うのと、「これだけしか出来ませんでした」って言うのとじゃ、相手に与える印象は違いますからね。 実際にこなした仕事量が同じだったとしても。 自己評価の低さが、他人からの評価を下げる結果になっている事例は沢山あります。 自分には価値があると思うことで、他人からも価値のある人間として扱われる場合も沢山あります。 他人からの評価は、人によっても時代によっても場所によっても自分の立場によっても変わるので、あまり当てにはなりません。 自分が自分を正しく評価しているかどうかの方が、個人的には大切だと思います。
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
なぜ他人が価値を決められると思うのでしょうか。 それは他人が金と権力を持っているからですね。 つまりあなたの言う価値とは金と権力でしかない。 じゃああなたはこの世界に金と権力しか価値がないと思うのでしょうか。 あなたがこの世界に価値を見出せば、 それでいいのではないですか。
- doitbangbang
- ベストアンサー率37% (35/94)
例えば、アニメやキャラクターの「フィギュア」の値段の高い物があるとしましょう。 そういうのに興味がある人は、高いお金を払ってでもそれ購入したくなります。 でも興味の無い人には全く無価値の物にしか見えません。 つまりそういう事です。 価値などという物は、その対象物に興味がある場合にしか発生しません。 ですからあなたが求める自分の価値は、あなたを必要としている人にだけ求めて下さい。 私は自分の一生に関係すると認識した人には、自分の価値を認めてもらえるよう努力はしますが、それ以外のどうでもいい人には逆に「別に嫌われてもいいや。」と思いながら対応しています。 万人に認められるような人間じゃないし、それぞれの価値観の違いがある事を考えると、全ての人にそれを求めるのは無駄な事だと思います。 まずはその対象を見極める事が大切です。 そうですね…、人間が自分の価値をアピールしなきゃいけない事項としては最低次の4点かな? (1)家族: これは間違いなく一生物ですから認めて欲しいですね。 まあ、一番ゆるく判断してくれる存在ですけど…。 (2)恋人(伴侶): やっぱり一番理解して欲しいし、自分を支え、応援してくれる存在です。 ここは一番努力するところかな! (3)仕事: 会社が見るあなたの価値はやっぱり仕事の能率です。 最低限与えられた仕事はこなしておけば価値は下がりません。 上げようと思うならプラスアルファを自分で率先して出来るようにする事が大事です。 (4)友人: ここが問題です。 おそらくあなたの感性でのランク付けがあると思います。 その中で「長く付き合える友人。」を見極め、その人達に対して価値を上げるように努力してみてはいかがでしょう。 それ以外の人は「どうせ、付き合っていくわけじゃないし。」と割り切るのも手です。 以上のような回答ですが、あなたの思う通り「価値」というのは他人が決める物です。 この世の中、万人に価値を認められる人なんてほとんどいません。 あの「イチロー」でさえ野球に興味が無い人には、普通の人間にしか見えませんよ。 ですから自分に関わる全ての人に認めてもらおうとせず、自分のありのままを評価して認めてくれる人を中心に、接して行くのがいいのではないでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 何というかとても分かりやすい回答でした(稚拙な表現ですいません) 社会人になってから「沢山の人に評価されるのが自分の価値」だという観念に追われていました。 その内に「他人に好かれるためにやりたくないことをしている自分」の存在に 無意識的に気付いていましたが、それは自分の甘えだ、何もせずに評価されよう等と 甘い、そんな風に思ってきたのですが、それが自分を苦しめる結果だったんじゃないかと 最近考えるようになり、自分の向いていないフィールドで勝負しようとしているような 違和感を感じ始めていましたので、無理しないでいいんだと回答を見て感じました。 社会人になりなまじ表面を評価された結果、自意識過剰になっていた自分の 肩の荷が降りそうで、自分が本当に評価されたい、受け入れられたい人に 評価されるようにすればよくて、それ以外の評価を気にしないように なれれば・・・と感じます(意識は出来ますが本質を変えるのに時間が掛かりそうです、 大多数に評価される=価値があるという概念がかなり根付いているので 少しずつ余計な荷物を捨てていくしかないのだと言い聞かせます)
>自己卑下したり、自己嫌悪したりして自分には価値がないと決めても、 自分の価値は他人が見つけるもの、決めるものだと言います。 なんで?誰がそんな事言ったの? 「自分の価値」って、色々あると思うんだけど、全部一色単にしてしまったら、そりゃ自分の価値が分からなくなっても当然だと思うよ? 他人の評価を気にしなくてはいけない所、他人の評価なんて気にしなくて良い所、あなたにはそれが分かっているのだろうか? 確かに、どんなに「自分頑張ってます」と言った所で、周りが評価してくれないと、それは理由にはならない場面もあるよ。 例えば、仕事とか「結果を残さないといけない」ような場所ではそういう傾向が強いよね。 でも、人から受け入れられない受け入れられるって言うのまで「結果を残さなくてはいけない」事になるのだろうか? そんな事まで他人から左右されていたら、自分を見失ってもおかしくないと思うよ。 「他人の評価」は「自分を評価する為の判断材料の一部」にしか過ぎないのではないかな。 あなたはきっと真面目過ぎるんだと思うよ。 わざと自分が結果的に苦になる方を選んでいるだけ。 でも、自分自身で評価を決めるよりは、他人に評価してもらった方が、ずっと簡単な事だろう? あなたが今、何歳であるかは分からないけど、今になって昔のように他人に気に入られようとする事が上手く出来なくなったのだとすれば、それは年を取ったせいではなく、経験を積んだからなのだと思う。 それが「本当の答えでは無い」ってね。 もっと楽に生きてみたら? 実際、他人から気に入られる事も、気に入られない事も、そんな大した問題じゃない。 自分の価値とかそんな事も、本当はどうでも良い事なんだ。 ただ「自分自身がそれに価値を見い出している」だけの話なんだよね。 あなたは理由があって動いている訳じゃないだろう? ならば、もっと好きなように動いて良いと思う。 この人に気に入られたいな、と思えばそうすればいいし、別に好かれないからと言って、それまでにした行動が無意味という訳でもない。 自分がそうしたいと思ったからしただけだと、そんな事で良いんじゃないかな。 どんな環境でも、どんな環境でも、他人の意見や評価を取り入れ、実行するのは自分なのだから、揺るぎない自分を確立する事が、価値のある事なんじゃないかな、と僭越ながら思う自分なのである。 頑張ってね。
お礼
ありがとうございます。 仕事で評価されるのは私も結果であると思います。 稀に過程を評価してもらえれば御の字くらいの認識です。 現在、29歳で来月には30歳になります。 元々根暗で対人恐怖症気質な人間でした、 社会人になって評価されるように頑張ってきたつもりで、 仕事ではそれなりの評価ももらえてきましたが、 やはりずっと無理をしているという気持ちもありました。 プライベートでは頑張れないと言いますか、 好かれようとすることが出来ないんです。 仕事は給料や評価という対象物があるのですが、 一個人としての人付合いにおいて、自分が誰になれば よいのか分からなくなり、30歳を前に自分を取り繕うことが 自分の本質的なものなのか辛くなってしまいました。 人から好かれる、慕われるというのも人の価値です。 自分にはそれがありません。 ないから欲しいと憧れるのですが、それは本心から 欲しいものなのか、世間体や劣っていると思われたくなくて 欲しいものなのか・・・分からなくなっています。 でもきっと、普通の人はこんな風に考えずに、 「自分が楽しいから」「人が喜ぶと嬉しいから」で動いているんでしょうね。 ねじ曲がってしまった自分なんかと比べてずっとシンプルです。 ただ、それも含めて価値だというならば、そうでない自分は やはり人から見れば(付き合う)価値のない人間なんだと思います。 本心で気に入られたいとは思ってなかったのが伝わるんでしょうね。 人付き合いを諦めるにしても、受け入れられないから諦めるという 後ろ向きな気持ちでなく、向いてなかったな、じゃあ、他の分野で 何か楽しい事、自分にとって価値のあることを見つけようと 前向きな気持ちで諦めていきたいなと感じています。 何だか分かり辛くなりました・・・すいません。
- chetdesign
- ベストアンサー率26% (9/34)
気に入られようとする事が価値を高める事なのか、仕事上ではそういう事もあるかもしれませんが、 意思を貫いたり、他人のために自分の事は後回しにしたり、 他人の事を自分ごとのように考えたり そういう人って誰が見ても評価される人だと思うんです。 それよりも信頼できる友達、家族が1人でもいるだけで その人に価値はある自分は思います。 どれだけの価値ある人間になりたいかによりますが、 それを望みすぎてるってことは結局、自分がだれよりも人に気に入られたいだけの 人間じゃないんでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 >意思を貫いたり、他人のために自分の事は後回しにしたり、 >他人の事を自分ごとのように考えたり >そういう人って誰が見ても評価される人だと思うんです。 凄く斜めな見方かと思うのですが、 「他人のため」という価値観に自分が違和感を覚えて始めています。 もし、その人が「自分よりも人のために何かをする」ことをやめたら その瞬間からその人の価値はなくなるんでしょうか。 「自分の為に~してくれる人だったから評価していたのに、 してくれないんだったら評価しない」のではないでしょうか(極論です) だから「他人に評価されるための誰か」になることに悩みます。 その反面で評価されることに憧れもしますが、 評価される人というのは、きっとそこで人から評価されようと思わずに 「やりたいからやった」と思える人なんだとも思います。 見返りを求める心がないから、好かれる、評価される。 自分が誰よりも評価されたい・・・とは思わないのですが、 (そんな状態はきっと心が安らぐことがないはずです) 最近は自信が前以上に落ちている状況なので、 誰かに認めて欲しい、受け入れて欲しいと思う弱い心の 現れなのかと感じています。 上手くまとまらなくて申し訳ありません、
お礼
ありがとうございます。 金と権力・・・は考えたことなかったです。 確かにそれも価値だと思うのですが、もっと人として認められたいというか・・・ (金も権力もそれはその人の人としての魅力であるとは思います) 誰かに好かれることで自分の存在に価値を見出だしたい、OKを出したいという 気持ちが強くて、万人受けしたい、でも出来ない!に悩んでいた気持ちです。 良く考えたら万人に受けなくても、別に良いのかなとは思うのですが、 長らく引きずってきた価値観をなかなか手放せないジレンマを感じます。 他人の評価を自信・・・というよりは存在してよい証と捉えて生きてきたので、 30歳を前にふと立ち止まって振り返ったら躓いてしまいました。 未だ他人に好かれない=価値がないという強迫観念が抜けないのですが、 自分を認めてくれる僅かな人に出会いたいという合理的かつ前向きな考えに シフトさせていくように頑張りたいと思います(既存の価値観を捨てる勇気)