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漫画「潔く柔く」の最後のセリフについて

いくえみ綾さんの漫画「潔く柔く」の本編最終話の最後で、 ハルタが「見つめることが、愛なのか」と言う場面があります。 私はこの真意がピンとこなくて、検索しても、ここでグッときたとか、よかったという意見はよくみかけますが、何故そう思うのか、詳しく説明しているものは見つけられませんでした。 また、「見つめることが」と言ってるのを「見守ること」と勘違いしていたり、意訳して解釈している方もいるようでしたが、「見つめる」と「見守る」では意味合いが違うと思っています。 ハルタが亡くなってしまっているので、カンナをこれから見守っていくんだ、というような解釈をしている方がいますが、ここはそういう意味ではないと思います。 ハルタが亡くなった時の高校生の姿ではなく中学生で描かれているということにも意味があると思います。ハルタの髪の長さ、カンナがハルタに普通に話しかけていること、カンナがマフラーをしている等から推測して、中3の冬、つまり、ハルタがキヨに「自信がない」という話をした後、じゃないかと思っています。 自信がないと言っていたハルタが「見つめることが愛なのか」と気付いた、みたいな感じの場面で、踏み出そうとしても足がすくむと言っていた時と、中3の終わりにカンナに初めてキスする時の間の時期なんだろうと思うんですが、見つめることが愛という言葉自体の意味はわかっても、ここで物語の最後でハルタがそれを言う意味、見つめることが愛だと気付いてどうなのか、というのがよくわかりません。 またその後に最終章で何度か出て来る「魂は~」の言葉が続くのも関係あると思うんですが、そこもどう関係あるのかピンときません。 何故最後にハルタに「見つめることが愛なのか」と言わせているんでしょうか?

みんなの回答

  • mshr1962
  • ベストアンサー率39% (7417/18945)
回答No.1

>何故最後にハルタに「見つめることが愛なのか」と言わせているんでしょうか? 原作見てないので、その言葉の前後のシーンは知らないので 言葉だけの私見ですけど。。。見つめることが→見つめるだけで告白しないことが ではないでしょうか? 好きな人に「死んでいく自分が愛してた」という記憶を残すことが 相手に対して、負担を残すことなのか、生きてゆく縁を残すことなのかを悩んでいたのではないかと思います。

whitia
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 言葉からだけでも解釈を書いていただいて、少し参考になりました。 でも、ハルタは病気で死ぬことがわかっていたとかではなく、突然の事故死なんです。 補足にあらすじと前後のシーンの説明を入れました。

whitia
質問者

補足

「潔く柔く」はカンナの救済を主軸にした群像劇なんですが、ハルタとカンナに絞って、ざっくり説明すると、カンナとハルタは幼馴染で、ハルタはカンナに恋を自覚していたし、他の男を牽制する等、カンナのことをすごく大事にしていた。でもカンナはハルタに仲の良い幼馴染以上の好きを自覚していなかったし、異性に対する恋愛自体にまだ鈍感だった。 カンナがハルタに自分と同じような恋愛感情を持ってないし、カンナがそういうことにまだ鈍いんだってわかってたから、ハルタはカンナに告白できなかった。 高校入学前にキスはしたけど告白はしていない。ハルタが死ぬまでの間に何度かキスはしているけど、それだけで、カンナもキスは受け入れているけど、ハルタが何も言わないので自分も何も言わないし、キスに恋愛感情としての好きがあるとは思っていない。 カンナは数年後に自分でもハルタの気持ちに気付いていたと回想するんだけど、当時はあまり深く考えてなかったし、受け身で流されがちだった。 だから、仲良しグループの他の男の子マヤが実はカンナのことが好きで、ハルタがカンナのことを好きなのは知っていたけど、出し抜こうとして、カンナと2人で花火を見に出かけて、告白してキスしている時に、ハルタが交通事故で死んでしまった。 マヤに対しても積極的に好きと思っていたわけではなく、嫌いじゃないし惹かれる部分もあったから受け入れたんだろうけど、受け身で流されがちだったから、という感じ。 カンナが本当は誰が好きだったのか、というのは、はっきり描かれないんですが、カンナは当時、ハルタやマヤのようにはっきりした恋愛感情は誰にも持っていなくて、相手からの好意に深く考えず受け入れて流されていただけだった。 おそらく本当はハルタのことをカンナも大事に思っていたし、好きだったのに、それを自覚する前にハルタが死んでしまって、ハルタの気持ちに答えられなかったという罪悪感と後悔を抱えたまま、他の男性とは付き合えず、大人になります。 カンナの恋愛感情は高1で止まったまま、22歳になり、ある男性と出会ってやっとハルタの死を乗り越えて、新しい恋を始められるというところで本編は終わります。 別の男性と新しい恋を始めるというところで終わり、その次に(正確には間に別の女の子のシーンが入り、猫が欲しいと言うのからつながります)中学時代のシーンが出てきて、登校時、カンナが猫を見つけて、かわいいけど飼えないと友だちとわいわい話しているのをハルタが見つめています。 次に下校時、ハルタが「まだいたのか、おまえ」と朝見かけた猫を見つけて懐に入れます。そこにカンナが通りかかり、「何してんの?」と聞きますが、後ろを向いたまま「べつに」と答え、カンナはそのまま帰っていき、その後姿を見つめ、猫も同じようにカンナの方を見ています。 「どうした、猫先生」とハルタは猫に話しかけ、ハルタと猫がじっとカンナの後ろ姿を見つめたまま、「見つめることが、愛なのか」と言い、次のページのコマで「つってね」、猫が懐を飛び出して行き、ハルタが「お」「バイバーイ」と手を振ります。 モノローグが入り「魂は、きっといろんなことを忘れないでいてくれるんだと思います、今つらくて忘れたいことも、思い出そうとして思い出せない大切なことも、思い出そうともせず忘れられていくことも」「等しく愛しく」で終わります。 「等しく愛しく」前の「魂は~」の言葉が出てくるのはたぶん3回目ぐらいです。 この中学校のシーンは今までに出てきてはなく、(中学時代は描かれているけど)実際にあった過去なのかわかりませんが、私はたぶん実際の過去なんだろうと思います。スピリチュアルな部分もちょっとある話なので、もしかしたら死んでいる天国にいるハルタが言っている風にも受け取れそうだし、そう思って「見守る」と解釈している人もたぶんいると思いますが、「見守る」だったら、死んだ時の高校生の姿で今の大人のカンナを見ている姿なんじゃないかと思うんです。 過去のハルタが実はこう思ってたんだよ、っていうのを物語の最後であえて見せている、んだと思うんですが、そこまではそう考えても、そこでこの「見つめることが愛なのか」が、私にはピンとこないのです。 ハルタは確かに告白しないままなので「見つめるだけで告白しないことが愛なのか」、「見つめること」を「告白しないこと」と解釈して「告白しないことが愛」と解釈すると納得がいく気はします。 でもハルタは見つめる「だけ」じゃなく、告白しないだけで、カンナとは仲良く接しています。 「告白しないことが愛」と言いたいのなら「言わないことが愛なのか」とか他の言い方もあるわけで、「言わない」はストレートすぎるから「見つめる」だとしたら、離れすぎているような気もして。 でもそういうのが、わかりにくから悩んでいるんですけども。 ざっくりじゃなく長々とした説明になりました。 できれば漫画を読んだ方からの方が望ましいですが、この説明から判断して、というのでも、心情の解釈を教えていただけるとありがたいです。