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「虐待」の起こる背景は
こんにちは。 「遺伝」とまでは、言えないでしょうけれども、 「成育歴」において、自分が虐待されていると、 自分も虐待を繰り返してしまう、ということもあるそうです。 「全ての攻撃は「SOS」である」という表現もあります。 「虐待の対象となるような(最)弱者相手にしか、SOSを発信出来ない」 とすれば、それは、どういうことでしょうか? 【訊きたいポイント】・・・♪「そんな社会に、誰がした」 宜しくお願い致します。
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さかなクンの話が参考になるかもです 《いじめられている君へ》「広い海へ出てみよう」 中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。 でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。 中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。 ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。(さかなくん=東京海洋大客員助教授)
- 畑 茂夫(@Flareon)
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ケラケラ。 承知していっているんだよね。 君はすぐに壊れる使い物にならないおもちゃだ。
お礼
Flareon様、ご回答ありがとうございます。 「虐待」の影響は、小さくないです。 「自らの育児が、成ってなかった」と泣く母親も少なくないです。
- 雪中庵(@psytex)
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伝統的日本文化は、労働集約的なジャポニカ米稲作 農耕民の協調性、いつも同じ顔触れな島国文化の 妥協性が重なった、世界でも稀な強力な集団主義で あった。 そこにあったイジメは、その集団からの排除=村八分 であった。 ところが、高度経済成長下での核家族化や地域コミュ ニティの希薄化などによって、先述のような伝統文化 の世代間伝承が阻害され、そうした人格形成まで学校 教育(詰め込み教育、点取り競争)に依存する一方、 社会では終身雇用の日本的家族的経営が崩壊して拝金 主義が蔓延し、自己チューな人間が量産された結果、 かつてのような集団の秩序のための「村八分」ではなく、 自己顕示や自己主張のための「イジメ」に変質してし まったのだ。 そんな自己チューな意識を、自己の生命を成立させて いる世界全体(分業・物流)の社会生命的自覚化により、 自律的に社会行動をとる事が必要だ(お金の奪い合い ではなく、愛による助け合い)。
お礼
psytex様、こんにちは。ご回答ありがとうございます。 >「伝統的日本文化は、労働集約的なジャポニカ米稲作 農耕民の協調性、いつも同じ顔触れな島国文化の 妥協性が重なった、世界でも稀な強力な集団主義で あった。 そこにあったイジメは、その集団からの排除=村八分 であった。 はい。 >「ところが、高度経済成長下での核家族化や地域コミュ ニティの希薄化などによって、先述のような伝統文化 の世代間伝承が阻害され、そうした人格形成まで学校 教育(詰め込み教育、点取り競争)に依存する一方、 社会では終身雇用の日本的家族的経営が崩壊して拝金 主義が蔓延し、自己チューな人間が量産された結果、 かつてのような集団の秩序のための「村八分」ではなく、 自己顕示や自己主張のための「イジメ」に変質してし まったのだ。」 それは、どうでしょう。 「全ての攻撃は、SOS」と申します。 「自己主張」のための葛藤が、イジメの原因ですか。 >「そんな自己チューな意識を、自己の生命を成立させて いる世界全体(分業・物流)の社会生命的自覚化により、 自律的に社会行動をとる事が必要だ(お金の奪い合い ではなく、愛による助け合い)。」 ここでは、「自己チュー」というのを、 まさに「自分一人だけ残ればいい」という、解釈をして、宜しいでしょうか 「活かさず、殺さず」という表現も、ありますね。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
「全ての攻撃は「SOS」である」という表現もあります。 「虐待の対象となるような(最)弱者相手にしか、SOSを発信出来ない」 とすれば、それは、どういうことでしょうか? ↑ 人間の情動は、環境によって大きく影響を 受けます。 環境と適合していれば、それは心地よさになり 不適合なら不快になります。 不適合が著しくなると、人間は自己解体作業を 行うようになります。 これは生物学的には、解体して種の役に立とうとする 本能的行動だそうです。 自傷行為とか自殺がその典型です。 自傷行為や自殺に到らない場合、その代償として 弱者攻撃行動を採るものと考えられます。
お礼
hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 >「人間の情動は、環境によって大きく影響を 受けます。」 環境は大事というのは、同意です。 >「環境と適合していれば、それは心地よさになり 不適合なら不快になります。」 「配慮」ということが、欠けていたかもしれません。 >「不適合が著しくなると、人間は自己解体作業を 行うようになります。 これは生物学的には、解体して種の役に立とうとする 本能的行動だそうです。 自傷行為とか自殺がその典型です。 自傷行為や自殺に到らない場合、その代償として 弱者攻撃行動を採るものと考えられます。」 ヒトラーの最期が自殺ですね。 三島由紀夫とか。 >「代償として弱者攻撃行動」 ♪「なんで、そんなに・・・」 「弱者」が弱者でなくなるためには、 「エンパワーメント」ということが、必要ではないでしょうか。
お礼
genrokubijin3、ご回答ありがとうございます。 >「さかなクンの話が参考になるかもです」 はあ。 >「《いじめられている君へ》「広い海へ出てみよう」 中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。 でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。 中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。 ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。(さかなくん=東京海洋大客員助教授)」 「無為自然」ということですか。