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プラトンのただの「イデア」と「善のイデア」

プラトンのただの「イデア」と「善のイデア」 この二つの違いはなんでしょうか? イデア=エピステーメー=真理=あるものをあるものたらしめるエッセンス、本質=恒常不変のもの 善のイデア=人間の行動の基準=真理 という図式であっているでしょうか? 「イデア」の中にある善いものが「善のイデア」なのか、 そもそも「イデア」=「善のイデア」であり、「イデア」という善いものそのものが「善のイデア」なのか 善のイデアとただのイデアの違いを教えてください、よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.1

「ただのイデア」って何ですか? ソクラテスの唱えたのが「善のイデア」、そのソクラテスの弟子のプラトンが唱えたのが「真のイデア」と「美のイデア」。 つまり、善(道徳)・真(真理)・美、それぞれに「イデア」がある。 問題は「イデア」というのが何であるか、ですが、私はそれを「理想」だと思っています。 数学でいうと完全な形とか、モデルのこと、あるいは数そのもの。 プラトンは南イタリアのシチリア島に滞在している時に、同じ南イタリアのクロトンのピタゴラス教団の「数こそ、世界の根源である」という神秘思想に触れ、それで「イデア」を思いついたと言われており、だから数学をモデルに「イデア」というものを考えた。 たとえば、三角形を作図しても、いずれも不完全ですが、理想形としての三角形があります。 それが「イデア]。 道徳には道徳の理想というものがあり、それが「善のイデア」。 また、真理にはこれが究極的な真理だという目標・理想がある、それが「真のイデア」。 同じく、美には、美としての理想形、というものがある。それが「美のイデア」。 この3つの「イデア」は並列してある、と私は思っています。 だから、最初に言ったように「ただのイデア」というようなものはない、と。

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