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何故満州で石油を見つけられなかった?
1959年に黒龍江省の大慶で大量の石油が噴出すわけですが ここはかつて満州だった場所です 日本が統治していた時代に石油が出ていればあの戦争の帰趨を根底から覆す結果となっていたと思いますが 何故当時日本はこの場所で石油を見つけられなかったのでしょうか?
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http://blog.livedoor.jp/sho_kotsu/archives/30461829.html この本を読んでみると、「足りないのは石油だけではなかった」というのがよくわかりますよ。戦争、もっというと国家を維持するために必要な金属を確保するためにも南方進出は逃れられなかったと思います。尤も、この本にも書かれているように確保した資源を戦略的に使うことができなかったわけですから「確保してもしなくてもたいした違いはないやん」といわれてしまえばそれまでですけど。 この本にも記載されていないことを加えるなら、天然ゴムの確保も必要だったと思います。そうじゃないと航空機のタイヤが不足しますからね。尤も、確保した資源を戦略的に(以下略)。 また大慶油田に関していえば、あそこは聞くところによるとほとんどが重油で質のいいガソリンがとれないということですから、仮に採掘できたとしても石油不足を解消することは非常に難しかったでしょうね。
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- jkpawapuro
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満州の油田って在来型油田では屈指の重質油、しかも水や砂が混じって品質極悪で知られたものです、もし発見しても当時の日本では採算絶望だったでしょう。 パイプライン輸送は難しいです。 鉄道を引いて原油を運び出し大連に製油所を作り・・・、低質のガソリンに軽油に重油ですか。莫大なコストがかかりますが航空ガソリン抜きで戦争の帰趨何か変わりますか?
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ありがとうございました
- nekosuke16
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中国がまだ国家の輪郭も無い当時、満鉄を拡大拡張させた関東軍が目指したものは、北からのロシア南下阻止やそこに王道楽土を建設することでもなく、権益の確保と拡大であった。 元々弱体の中華民国を尻目に、関東軍・河本大作らによる満州軍閥実力者・張作霖を爆殺、石原莞爾の謀略による柳条湖事件の勃発は満州事変から以降14年にも及ぶ日中戦争へと発展する。 また、清朝最後の皇帝・溥儀を満州国の皇帝に据え、傀儡政権、体裁を取り繕ったところで、時代は益々混迷を深めるに至る。 既に戦争状態に突入していたのだ。 こうした背景下で、果たして資源開発という発想自体があったのだろうか? また、満州事変以降は、関東軍の計画性や、東条英機とは水と油の石原莞爾の性格を思うとき、元々大日本帝国という国家の主導した策略とも思えない。 戦争の長期化を含めて、その時点では、蒋介石が念じて止まなかったアメリカによる援軍や、毛沢東の出現、全中国を挙げての抵抗というシナリオは見通せなかったのではという気がする。 石油資源開発以前に、日中戦争自体、初めから目的を見失った状況だったのではないかという気がしてならないが。 仮に、黒竜江省で石油が発見採掘されたところで、太平洋戦争に突入し、空中戦を幾ら優位に戦ったところで、そこにアメリカ大陸は無い。 さらに、アメリカの戦闘能力は年を追うごと増大し、零式戦闘機を研究し尽くし、その能力を遥かに超えるグラマンの継続的な研究開発を含め、終戦間際には日本の十数倍にも及ぶほどの攻撃能力に達しており、ドイツ、イタリアの両同盟国の降伏も相まって、日本は四面楚歌の丸裸状態。 いずれにしても、日本の降伏は免れなかったのではないですかね。
お礼
ありがとうございます゜
- ithi
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azuki-7 さん、こんばんは。 その当時の日本の技術ではとても探すことができないような場所だったんでしょう。あの当時の日本ってよくそんな感じだったようです。
お礼
ありがとうございました
- tzd78886
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メクラ滅法に探し回っても出てくるはずはないので、ある程度予測して出てきそうなところを当たるはずですから、当時の技術では「出てきそうな地域」に含まれていなかったのでしょう。
お礼
ありがとうございます゜
- shintaro-2
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所説あるようですが、 気合いを入れて探さなかったか 運が無かったのでしょう。
お礼
ありがとうございます
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ありがとうございました