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何で日本人は根性論・精神論が好きなの?

根性や精神じゃどうにもならない事なんていくらでもあるのに。

みんなの回答

  • kamichank
  • ベストアンサー率17% (14/79)
回答No.15

教養と自立心が低いからと考えられる。

  • m-karlee
  • ベストアンサー率24% (10/41)
回答No.14

まったく仰る通りだと思います。 頑張ったところでどうにもならない事など世の中には多々あると思います。 しかしながらそれが日本人の国民性なのですぐに変わるというのは無理だと思いますが昔と比べれば随分少なくなったとは感じます。

  • bn10000
  • ベストアンサー率7% (19/259)
回答No.13

そりゃそうだろう世の中努力しても報われない事も多々あるからね~ ま~根性も精神論の一つだけど・・・ そんな事を今時の馬鹿餓鬼に諭してる奴いるかい? 性根の腐った餓鬼に何言っても屁理屈で返されるぞ~www 無駄だから諦めてさっさと切り捨てた方が楽だってw ま~同じ能力の餓鬼なら諦めて逃げる忍耐力の無い馬鹿より、 根性で目標に到達しようとしている餓鬼の方が見込みはあるわな~w 無理だと思って諦める餓鬼は完全に0だけど根性で踏ん張った餓鬼は0では おわらないからね。 そー言えば車のcm(?)で1+1は1.5でも良いじゃないか~みたいな事を 言ってたけど。。。 今時の餓鬼に合わせて寄せてきやがったね~www馬鹿っかってwww 本来、仕事上での1+1は2じゃなくて3だったのだけどね。

回答No.12

NO.11です.スポーツの根性論・精神論についてはNO.11と違うところがあると思いました. 一つのプレーをやってる最中, たとえばサッカーでドリブルで突破してシュートしてゴールするというプレーで, ドリブルをはじめて敵が現れた瞬間(とられるんじゃないかな), シュートしようとして(ゴールに入らないんじゃないかな),(キーパーに取られるんじゃないかな) などいろいろ考えます. 楽な状況,苦しい状況,いろんな状況でボールを奪って,ボールを奪って,ドリブルして,シュートするという同じプレーを何度もすることによって 思考の筋道がそれなくなり,そのプレーの間になにも考えなくなってきます. 簡単にいうと自我を強化します. 客観的に見て有効なプレーだから採用して,練習して, 監督はそのプレーができる選手を試合で使って,持ち味のプレーを期待します. その選手がプレー中に(ヤバい.)と思って,ドリブルで突破しないでパスしたり,シュートしないでゴールの可能性の低いパスをしてしまったら, 監督はその選手を起用した意味がないです. つまり根性論・精神論によって,ヒトをある状況でいつもこうするようロボットのようにプログラムするのです. この観点で日本人が根性論・精神論が好きなならばその理由は, 日本人がヒトをロボットのように便利に使いたいからというのがオレの意見です.

回答No.11

根性論・精神論とはなにか?についていろんな意見があると思います. オレは根性論・精神論は「苦労した」という感情から生じているという意見です. 「苦労した」という感情は,過去に苦しみに耐えた記憶があり,その障害のない現在から過去を振り返ったときに生じる感情と思います. たとえば以下のような「苦労した」感情が生じる過程を考えました. ・オリンピックの金メダル達成コース 目的達成の過程で,苦しみを耐えて,目的を達成した. 目的を達成した瞬間だけ,苦しみが消えて,自他ともから認められる,または褒められるので,とてもいい気分になる. その感情が好きで,その感情を至高のものとして,何度でも味わいたいという欲を持つ. だから新たにより困難な目的を見つけて,より大きい苦しみに耐えて,目的を達成したいという欲を持つ. オレはパチンコはやらないですが,聞いた話では当たったとき得られる快感は似てるような気がしました. スポーツはわかりやすいですが,金メダルを取った日本人はとても少ないので,別の過程を考えました. ・苦しみの感情を伴う出来事をやり過ごすコース 「生きること」を目的にする.過去に起こったある出来事で苦しんだ. 苦しみを感じた出来事のあと,時間が経ち,だんだん思い出さなくなった.現在苦しみを感じていない. それは苦しみに耐えていたときと比較すると,いい気分だ. そこで,苦しみを感じない現在があるのは,苦しみに耐えた過去があるからという意見を持つ. つまり苦しみを感じない状態になるためには,まず苦しむことが前提であるという意見を持つ. だから苦しみたいという欲を持つ. ほかにもいろいろなコースがあると思うので,自由に作ってください. どちらもまず苦しみに耐えることが前提です. 導入は難しい目的の達成や苦しい出来事をやり過ごすことだったのですが, その快感を知って虜になった好きな人は,エッセンスだけ,ただ苦労がなくなったときのいい気分を味わうためだけに苦労しようとします. 目的の達成に,簡単な方法と難しい方法があれば,いい気分を味わいたいために,難しい方法を取ります. 目的を思いつかなければ,苦しみのない感情を味わうために,苦労することを目的にします. 素晴らしい感情なので,他人へも味あわせたいので,他人へも苦労を勧めます. つまり善意から他人を苦しませます. 苦しみになんら価値観を認めていない人が,目的地が同じで同じ道で行きついた先生や同じ道を歩む先輩と認めてない人から,快感を得る条件としての苦しみを勧められると,根性論・精神論という意見をもつのではないでしょうか. だから日本人が根性論・精神論が好きとすれば, その理由は日本人が「苦労した」という感情が好きだからというのがオレの意見です.

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.10

結果さえよければ総て良し、とう考えがあります。 手段が違法でもなんでも、結果が総て、という 考え方です。 米国などがこれに近い、と言われています。 これに対して、結果もだが、手段も大切だとする 考え方もあります。 例え結果が出なくても、頑張ったんだから認めよう とうい考え方で、日本が近いと言われています。 前者を結果主義、後者を行為主義といいます。 結果主義だと考え方が合理的になります。 どうやったら結果が出るかを考えるからです。 その代わり、モラルは落ち、犯罪が増えます。 行為主義だと、考え方が非合理的、情緒的に なります。 同じ過ちを何度も繰り返す、なんてことにも なります。 その代わり、モラルが保て犯罪が減ります。 311の整然たる行為などその典型です。 あれが米国だったら暴動略奪です。 で、どうして米国が結果主義なのか、といえば 米国は移民の国で、価値観が雑多ですから 誰でも判る結果に重点を置くようになります。 日本は同一民族的で考え方も同質的なので 評価の基準が違ってくるわけです。 言語学者の説ですが、日本人が情緒的なのは 日本語にも関係しているといいます。 日本語は、形容詞が多いのがその理由だとします。 良くも悪くも、日本人の国民性なんだと思います。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11082/34532)
回答No.9

今は学校の運動部なんかでもかなり減ってきたのではないでしょうかね。時々まだそういう部活動があることが報じられますが、しかし、「報じられるほどに数が減った」ともいえると思います。少なくとも80年代までは「練習中には水を飲むな」という精神論がまかり通っていたので、そういう話はネタにさえならなかったのです。 とはいえ、日本人が根性論や精神論に傾きがちなのは、「資源がない国だから」というのはあると思います。資源があればさ、その資源にモノをいわせればいいじゃないですか。アメリカみたいにね。しかし我が国には資源がない。災害も多い。そういう中で「どうやって資源がある国と戦うか」となるともうあとは精神力しか残っていないというのはあるかもしれませんね。

  • iwashi01
  • ベストアンサー率17% (187/1051)
回答No.8

単にすごいものをすごいと素直に言えない できないことをできないと率直に言えない そういう恥の文化みたいなものがありますね、日本には。 メンツの文化と言ったほうがいいのかな。 それが一方でおくゆかしさになったりもすると思いますが。 なんでかって・・・なんでですかねえ。 判官びいき、諸行無常あたりにつながってる気がするので、 仏教の影響かなあと思ったりしております。

回答No.7

根性や精神でどうにかなることと、どうにもならないことの区別がつかない人が多い気はします。なぜ好きなのかと聞かれれば、頑張りたがりやさんには魅力的なのでしょうね。

  • verify
  • ベストアンサー率15% (37/236)
回答No.6

知恵や技術、加えて精神力や気合、勢いが必要なときがあります。みんなが嫌だなー、やりたくないとおもってる仕事とか。 人間なので一番気持ちが大事なんですよね。 無理矢理にもやる気をださないと活気が出ないので。

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