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日本人は若いほど根性がなくなっているのでしょうか?

日本人は若いほど根性がなくなっているのでしょうか? よく 耳にする話で、今の若者を作ったのは大人と言って言い返す若者がいますが、 じゃ、自覚できているなら自分たちの子供へはきちんと教育できるんだよな?って思います。 恐らく100%無理でしょう。 で、結局誰も現状の責任を取らないのでしょうか。

みんなの回答

noname#188303
noname#188303
回答No.6

再び失礼します。  今、ご質問を読み返してみましたが、 ”今の若者を作ったのは大人と言って言い返す若者がいますが、 じゃ、自覚できているなら自分たちの子供へはきちんと教育できるんだよな?って思います。 恐らく100%無理でしょう。” こういったことは「教育」とは関係はある筈ですが、「根性」とは直接 結びつがないと思います。 「教育(問題)」には確かに”大人”は含まれますが、それは国の あり方や問題でもあり、特定の大人を対象とし、責任追及できるもの でもないでしょう。  日本の次世代を作り上げていくものは、根性の 有無で決定されるものではないと思うのですが。。  また、「責任をとる=根性」でもないと思います。

noname#188303
noname#188303
回答No.5

  私は’60年代の生まれで日本で教育を受けているものの、今は海外に 住んでいるせいか、「根性」という言葉自体ちょっと遠く感じてしまい ますね。 先の方も書かれているように、時代が移り変わるにつれ  文化や考え方、価値が変わってしまう。 それだけだと思います。 「根性」というと、”必勝”という文字の入ったねじりはちまきをしている 姿を思うというか、あるいは いかにも「肉食系」のようで 「草食系男子」が モテル現代日本の中では ともするとダサく映ってしまう危険もあります。 「今の若者」という言葉が出るというのは、残念ながら世代的にズレが 出ているサインだという気がしますが。。 実際わざわざストレスを受けるようなことをするのは馬鹿げている、 のように考える民族は多いです。 「根性」はそれが自分自身に向かっている 心がけとしては 価値を感じ ますが、それを他者に押し付けるとなると日本だったら「体育会系」 とか、どこか”右寄りの世界”に存在するものと感じます。 また、ある目的を達するために何か(たいてい自分の正直な気持ち)を 犠牲にしているようで、精神的ストレスにつながるような気がします。   鬱病(気分障害)の人に「ガンバッテ」という言葉は禁句といいますが、 「根性」という言葉も心理的に歓迎される響きではありません。 ”軟弱”と言われればそれまでですけど。。

回答No.4

その傾向少なからずアリだと思います ウチのいとこ(オス・30歳)、ある有名紳士服店に就職しました はるやまとかアオキとかあっち系 当然、大学に来る求人票には「転勤あり」なのに、いざ転勤を命じられ「イヤや」 あっけなく退職 それを婚礼の席上で聞かされ一同唖然... 「アホか!?」 罵詈雑言の嵐

noname#194660
noname#194660
回答No.3

そもそも、根性が無いの「根性」をどう定義しているかが年代に因って違うと思います。一昔前の日本は、歯を食い縛って何でも耐えることが美徳とされてきました。周りもそういう風潮があり、それが当たり前でした。但し、仕事は周りと協力し合い、現在の社会のように競争が厳しく、叩き落とし合いをするような社会ではありませんでした。今は、昔の「根性」で頑張ると過労死する恐れがあります。時代が変わったという表現が正しいような気がします。

  • snow_3939
  • ベストアンサー率36% (8/22)
回答No.2

1つ目のご質問の「日本人は若いほど根性がないかどうか」ですが、 調べたところこれを直接的に調査した統計結果は見つかりませんでした。 そもそも、何を以て根性があると判断する(定義する)かが明確でないのですが… 仮に、「自発的な離職率」を根拠とするならば、これは次のサイトで疑問視されています。 http://blog.goo.ne.jp/posse_blog/e/decc813aaa306aa8ee2bda40dd561925 したがって、1つ目のご質問に対する回答としては、 客観的な量的データが見当たらないのでどちらとも言えません、すみません。 2つ目に、 >自覚できているなら自分たちの子供へはきちんと教育できるんだよな?って思います。 とのことですが、 若者が根性のないこと及びその原因(大人)を自覚していることと、自覚している彼らが自らの子にきちんとした教育を為せることは別の話です。 したがって、自覚できる⇒自分たちの子供へはきちんと教育できる は論理的に成り立ちません。 もしこれが成り立つとすれば、 自分たちの子供へきちんと教育できない⇒自覚できていない も成り立つことになり、若者は(若いほど)根性がないという仮説は破綻します。 ここで、2つ目の誰も現状の責任を取らないのか?ですが、 そもそも若者が根性がないというのは定量化されていない情報であり、(客観性がない) 思う、思わないの世界になってしまいますので、誰が何の責任をどのようにとるべきか、定かにできないということになります。 長々と失礼しました。

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11790)
回答No.1

それは自分の、社会における「立ち位置」が分からなくなっているからだと思います。 その立ち位置は、自覚と責任において培っていくものですが、その土台が揺らいでいます。 確かに大人の責任(特に親)もあるかも知れませんが、それが分かっているならば「反面教師」となるべきなのに、迎合したりぬるい環境のまま何となく身を置いていたり・・・それはもう個人の問題です。 時々このQ&Aで、「バイトや仕事をバックれる云々」という質問が寄せられますが、これなどはもう社会のルールや規範に耐えることができない弱い人間を表しています。 根性というのは、「自分の弱い内面以上に、耐える力を備えることができるか」だと思いますが、それによって得られる世界よりも、辞退する安楽さに有益性を見出している限りにおいては、救いようはないと思います。