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「正常」とは?

こんばんは。 「正常」とは、どういうことなのでしょうか。 【訊きたいポイント】 「正常」とは、何でしょう? 宜しくお願いします。

みんなの回答

回答No.13

設計した者の意図どおりに動くこと

kurinal
質問者

お礼

nanashisan_様、ご回答ありがとうございます。 Ano.10様のご回答の、 >「他者と共有して「正常」を使う場合は、例としてチームで正常系を決めておいてそのフィールド居続けていることを指します。」 と、いうことかと思います。

回答No.12

全体 - 異常 = 正常、です。

kurinal
質問者

お礼

Mokuzo100nenn様、ご回答ありがとうございます。 なるほど「全体」ですね。 沖縄戦で、日本兵から「スパイだな!」と睨まれた人が、 ・・・よくこれだけ残忍なことが出来たものだ、という殺され方をしたとか。 それでも、件の日本兵は、自分こそ正常と思っていたでしょうか

回答No.11

人間の場合、継続的に社会を成立させている 考え方や制度、状況の事です。 どんなに筋が通っていようと、自分たちの 状態と環境の間の相互作用(淘汰)において 持続性がなければ消える。 逆にどんな狂気であれ、それによって社会が うまく回るならば、「正常」となる。

kurinal
質問者

お礼

psytex様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 まあ、「古典」の価値ということも聞いたことがありますが、 持続性ということでは、例えば「公式」などは、 まず間違いないということになりますか。 「若者の投票率が低いから、高齢者ばかり優遇される」というのも、見たことがあり、 (高齢者の思惑によって?)高齢者に都合の良い政治が行われる、ということでしょうか。 「社会がうまく回る」ということの、意味内容は、どういうことになるのでしょうか。 「ほんの一握りの人たちに富が集中する傾向にある」とも聞くのですけれど。

  • tkmn_001
  • ベストアンサー率16% (45/268)
回答No.10

当事者にとって変わることのない様、を指します。 他者と共有して「正常」を使う場合は、例としてチームで正常系を決めておいてそのフィールド居続けていることを指します。

kurinal
質問者

お礼

tkmn_001様、ご回答ありがとうございます。 >「当事者にとって変わることのない様、を指します。」 まずは、「個」から、出発するわけですね。 >「他者と共有して「正常」を使う場合は、例としてチームで正常系を決めておいてそのフィールド居続けていることを指します。」 なるほど、「チームで正常系を決めておく」ですか。 現状では、一人ひとりの利用者にマネジャーが付くなど、 それまでの?十把一絡げな対応ではない、 本当に個人に寄り添った、サービスの提供ということも、 (カンタンではないかもしれないが)可能になっていると思います。 ISO規格に、「フィードバック」ということがあったと思うのですが、 そういう「見直し」ということも、あるほうが正常、になるのでしょうか。

  • oyatsuya
  • ベストアンサー率21% (111/517)
回答No.9

つつがない状態。   語源辞典よりhttp://gogen-allguide.com/tu/tsutsuganai.html   つつがない・つつがなく.   【意味】 無事である。問題が無い。障害が無い 。

kurinal
質問者

お礼

oyatsuya様、ご回答ありがとうございます。 どうも少し、「事なかれ」という感じがします。 例えば「障害が無い」ですが、 不治の障害を抱えている人にとっては、 日常が「正常」かもしれません。 「問題」についても、 「問題を乗り越える」ということが成長を促す、とか。 あるいは、「問題があるのに、「無いということにしておく」」というのも、 かなり問題ということと思います。 自分一人が「つつがない」で満足なのか、 あるいは他者に対して「つつがないですか?」と 思いやることまで出来るのかどうか、 という問題も、あるのでしょうか。 (先生は仰いました「他者のことを、本当に理解するというのは、 それほど生易しいことではないのです」)

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.8

辞書を引くと、「正常」とは、「異常の反対」と書いてあります。 では「異常」を辞書で引くと、「正常の反対」となっています。 右と左と同じです。 「右」を辞書で引くと、「左の反対」「左手の反対の方向」とあり、「左」を辞書で引くと「右の反対」「右手の反対の方向」とあります。 堂々めぐり、循環。 要するに、その時代の人たちが「異常」と見做すものの反対が「正常」ということです。 何が「異常」かは、その時代の状況・コンテクストによります。 それによって、正常と異常の境界線は動きます。 フーコーの「狂気の歴史」で書いている通りです。

kurinal
質問者

お礼

koosaka様、ご回答ありがとうございます。 ・・・まずは、最近、愚拙が、 先生の最近の二つのご質問に、 「ご回答」とは到底言い得ないものを、投稿してしまいました。 以後、気を付けて改めますので、今回はお許しくださいませ。 この場をお借りして、陳謝致します。 質問へのご回答へのお礼に移らせて頂きます。 「右」と「左」の辞書での説明が、 そういう内容なのは、(勿論)知りませんでした。 「真正面から見て、右(左)」といった表現では、 「右」や「左」は説明し得ない、ですか。 「真正面から見て、右」が右、では、右とは何やら判りませんね。 「正常」と「異常」も、同じような関係にある、とすれば、 「相対的なものだ」と言いたくなるのは、判る気がします。 ああ、それから「見做す」という、、、 これも法律用語で、有るのですが、 「これこれの場合は、~と見做す」 おかしな法律を正すのは、国会で改正するだけでなく、 「違憲立法審査権」という裁判所の機能で、 国会で改正させることが出来るはずですが、 そもそも憲法がおかしくなってしまっては、 「違憲」という基準が、違ってしまうわけですね。 「公務員は、全体の奉仕者」とか、 「自由」や「平等」といったことまで、 これまでと違ってしまうかもしれない? ということを、危惧致します。 (先生は、「そう簡単に、見做されては、かなわない」とも、仰いました。)

回答No.7

一般的に正しいと思われる事情。

kurinal
質問者

お礼

sirosuketin様、ご回答ありがとうございます。 これまでのご回答から考えますと、 それがなかなか難しく、 結局は「個別具体的に」考えざるを得ない、 ということに、なるのかなと思います。

回答No.6

明示又は暗黙の基準でのまともであること。 一定の社会と文化がまともだと認めること。 明示又は暗黙の基準や社会と文化がことなれば正常も異なる。 グスタフ・フォン・ラートブルッフ ピレネーを越えれば悪が正となり正が悪となる。

kurinal
質問者

お礼

krya1998様、ご回答ありがとうございます。 なるほど。 原理主義の人たちというのは、 そうした「基準」が変わり得るのだ、 違う場合もあるのだ、ということは、 殆ど考えられないのでしょう。

  • tknkk7
  • ベストアンサー率11% (378/3310)
回答No.5

一概には、解説等出来ない。”人それぞれの立場で、変化する。利害得失による場合多し。

kurinal
質問者

お礼

tknkk7様、ご回答ありがとうございます。 そうですね。 私が感じるのは、人にはそれぞれ「事情」というか、 それなりの「理由」があって、(現状)そういうことになっているのに、 おそらく、そうした(個人に特有の)因果関係は、 よく判らないよ、なんでそうなんだ?という人のほうが、 多いのではないか、ということです。 刑法では、「構成要件に該当し、違法で有責だから、 (残虐ではない)刑罰を科し得る」 というのが通説と思いますけれど、 「有責」ということを、過去に遡って考えていくと、 本当にその人の責任なのか?と思ってしまうことも あるかもしれないと思います。 (先生は、「「一人の人を、本当に理解する」というのは、 そんなに簡単なことではない」と仰いました。)

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

正しい状態、という意味です。 何を持って正しい、間違っているというのかについては 二つの考え方があります。 一つは、永久普遍の正しさがある、という考え方です。 一つは、そんな正しさは無い。正しさというのは 人間関係によって決まるもので、時と場所により 変化するものである、 という考え方です。 欧米キリスト教文化圏では前者を、日本では後者の 考え方が強いのです。 キリスト教には全知全能の創造神がおります。 善悪も神が創ったことになります。 全能の神が創った概念ですから、永久普遍でなければ なりません。 だから、欧米では正義論が盛んで、何百年も延々と 議論を繰り広げているわけです。 イエズス会の神父と日本の庶民が問答した記録が 残っています。 「善だ悪だ、というが、善悪など時代や立ち位置に  よって変わるものではないのか?」 という質問に、イエズス会の神父は答えられなかったと しています。 異教徒に説明できるだけのモノをまだ持っていなかった のでしょう。

kurinal
質問者

お礼

hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 例えば、OSが、日々アップデートされるのは、 「過ちを改めることを憚って」居ては、出来ないでしょう。 (「過ち」の発見ではなく、 新しい技術や状況に適応するためだったり、 するかもしれないですが) 「最新のアップデート」をしても、それで「正常」か?というと、 まあ、一時的には胸を張って「正常だ!」と言い得るとしても、 アップデートを怠っていては、直ぐに言えなくなってしまうでしょう。 (といえ、アップデートすら、常に「正しい」とも言い切れない かもしれません) 「新しい技術」は、どこで生まれたか?というよりも、 それを使いこなし、メリットを享受出来たかどうか、 ということのほうが重要、というのも見たことがあります。

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