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短歌や俳句に比喩の表現が多いのはなぜですか
表現の仕方にも内容にも比喩が多いと思います。これはかなり本質的なことなのでは、と思うのですが、思考そのものが比喩であるという人もいるので詩の場合でも同じなのかなとも思います。しかし本当のところはわかりません。ご教示お願い申し上げます。
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まず、直接的な表現、というものは奥ゆかしさとは対局にあるので、こと芸術においてはあまり好まれません。 短歌や俳句が生まれた時代においてもそうだったのでしょう。 下記では近代以降の短歌界での比喩表現に関するトレンドに触れられています。 http://toutankakai.com/magazine/post/372/ 比喩を使う、ということにはテクニカルな楽しみ、という側面もあったようですね。様式美というか。それを壊そうという一派もあったようですね。 余談ですが 最近のJ-POPの歌詞においても、比喩的なものよりも直接的な表現が評価されるようになってきましたが、それでも、その良いとされる歌詞に「ストレートな」とか「直球」という評価がされるように、ストレートでベタな表現は基本的には回避されるし、高くは評価されない傾向があります。
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- SPS700
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二つほど 1。分かりやすくする 時間の長さなどは、分かり難いものですが「さざれ石>巌>苔のむす」まで、と比喩にすれば分かりやすいという利点がある。 2。いろいろ連想の幅を広げる 「われこそは告(の)らめ 家こそ名をも」まあ告白してメアドを聞いてナンパしてる状況を「名前を教えて」に託する。
お礼
むしろあり得ない比喩を行って的確に伝える、あるいはぼやかすことによってかえって本体を鮮やかに示す、というようなきわめて逆説的な効用が比喩にはあるのかなと思いました。
- bgm38489
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美しいものを見て、美しいと感じることは誰にでもできること。しかし、それを見て、何かのようだ、と比喩的な表現をするのは、凡人にはできないこと。それが、普通の人は考えつかないけど、言われてみたらそうだ、と唸らせるものだったら、名作とされる。そんなとこでしょうね。もっとも、先に誰かの使った比喩を用いては、いけませんがね。 現代詩ですが、小学生の時国語の時間に習った詩に、こんなのがありました。 土 三好達治 アリが 蝶の羽を引いていく ああ、ヨットのようだ 言われてみたら・・・そうでしょ?
お礼
比喩を用いると、その人の感じたことを的確に伝えられるということでしょうか。ちょっと逆説的な事実であるように思いました。
- fujic-1990
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少ない字数で、いろいろな意味、情景、感動などを伝えることができるからです。 小説的な散文は、ものごとを誤解がないように伝えることができますが、逆な言い方をすると、それだけです。「なるほど、了解した」、それだけ。 受取手が誰であっても、著者が意図した1つの、同じ意味、情景・感動などを伝えることしかできません。おもしろくも何ともない。 比喩は、受け手自身の感動経験や知識量、年齢などによって、いろいろな、受け手ごとに異なったものを受け取らせることができます。 場合によっては、詠み手が意図したものと違う感動をあたえ、詠み手が驚くことさえありえます。 また和歌などでは、現実にはないイメージを重ねて詠み込むことで、「本歌」のイメージをも吸収して、感動の深さや巾を広げることもできます。 短い文章で、そのように人毎に、さまざまな思いを受け取れるような状態にする手段の1つが「比喩」の多用だと言っていいと思います。
お礼
現実からにじみ出るバーチャルリアリティとでも言えるものでしょうか。
お礼
頭の中の世界は外の世界と違うということでしょうか。