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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:戦艦大和の主砲って意外と不良品じゃないですか?)

戦艦大和の主砲は不良品?タイムロスが多い仕組みに疑問

このQ&Aのポイント
  • 戦艦大和の主砲は驚くほどの不良品ではないが、タイムロスが多い仕組みがあることが明らかになった。
  • 大和の主砲は砲身を水平に戻さなければ次の弾を装填できず、さらに複雑な動作が個別の機構で行われるため、撃つまでに時間がかかる。
  • 大きなものを加工する技術はさすがだが、主砲の機構には疑問が残る。ただし、大和にはロマンがあり、製作者の熱意も感じられる。

質問者が選んだベストアンサー

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  • mm058114
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回答No.5

予想戦場における使用目的用途を決め、要目要求を軍令部が発し、予算を海軍省と商議、艦政本部が詳細を具体化。 同じく航空機の場合は、軍令部要求を海軍省が予算化し、航空本部が民間会社に競争試作させる。 零戦は他社が辞退して三菱にご指名。 『結局、米英に速度も性能も越されました』 は、結果論であって、後世の評論。 本質は、予想戦場が実際では異なり、使用用途が変わってしまった。 予想を外してしまった。 予想と違うのに戦争を初めてしまった。 大和も零戦も、これが全てです。 また、大和の主砲の装填 これは、日本に限らず、どこの国でも同じです。 やっと、高角砲等の小口径砲に仰角をかけたままで、 次弾装填ができる技術が開発されたところです。 故障が多かったというのは聞いたことありません。 砲位盤の故障はあったようですが、 砲塔、砲自体は故障は、なかったのではないでしょうか。 精密機械ですから、 砲撃、雷爆撃による損害、微妙なズレで使用不能になることはあるかもしれませんが、 それは故障ではなくて、損害損傷ではないでしょうか。 もちろん、損害によって砲撃不能になりやすいというのはあるでしょうが、 故障というのは、何事も事故がなく平常な状態で突然使用不能になることでは? また発射速度は、3連装砲塔であるけれども、 3発いっぺんに撃つことは、砲塔リングが破損する可能性があるので、できません。 1発づつ撃つことによって、1砲塔あたりの発射速度は仕様を満たしています。 これは特に、排水量のわりに多くの砲塔装備している、 大和型、伊勢型、山城型には破損の危険性があったので、1発づつの発射です。 資料がなくて不確かですが、長門型、金剛型、重巡なんかも、同様だと思います。 個々のパーツの仕様を見てゆくと、アイオア型の方が優れているようです。 大和型は、当時の日本海軍が現状でできる技術を詰めこんだ、最先端の艦であることは確か。 どこの国も敵国の大雑把な要目は手に入りますが、詳細までは手に入りません。 結局のところは、自己流、独りよがりです。 やってみなければ、分らない。 零戦 『軍部の無茶振りに追い詰められ』 製作の三菱は、航空本部の指定要目の航空機を試作して、 ただ、それが採用されただけです。 要求項目に、将来のバージョンアップに備えて余裕をもたせる要求がなかったので、 切り詰めたギリギリの設計で要求満たしただけです。 本来は後継機が開発され、主力の座を交代しなければならない時期であったが、 後継機開発の為のチームが、太平洋戦争開戦により、目の前の零戦バージョンアップに動員され、 本来の後継機開発が全くできなくなってしまい、 ズルズルと、旧式化している零戦を使い続けなくてはならなくなった。 これが全てです。 設計チームという人的資源がなかったから、悪循環が生まれ、 零戦に後世から良い評価を得られないのです。

morizumu634
質問者

お礼

いろんな話が聞けて良かったです。

その他の回答 (5)

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (817/3047)
回答No.6

零戦に関して言えばどう見ても傑作機ですよ? 同世代の戦闘機で無敵じゃないですか。 単に相手が零戦より後継の新型機用意して、日本が用意できなかっただけじゃないですか。 80年代のカローラと80年代のマーチを比較してどっちが傑作でどっちが駄作かは議論できますが、80年代のカローラと現代のマーチ比較するような行為はナンセンスですよ。

morizumu634
質問者

お礼

世代の問題だったんですね。

noname#230414
noname#230414
回答No.4

大和の大砲。 砲塔の操作は、自動装填式・水圧式駆動装置・発射筒制御装置・光学式距離測定装置。 自艦の揺れを電気機械式計算機で判断して砲身の角度と砲身の旋回角を決める。 当時の日本で作りうるハイテクノロジーの塊である。 これらの装置は「日本光学」(現在のニコン)が開発したもの。 着弾率が悪いと言う馬鹿がいる、計算すると分かる事である。 大和の射程距離は、41.000mで着弾まで90秒掛かるので、相手が20N/Tの速度でしたら 926m移動する事になり命中する訳がない。

morizumu634
質問者

お礼

そうなんですね。地上や密集した航空機ならなんとか使えるんですかね。対艦用には使えそうに無いですね。

  • eroero4649
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回答No.3

戦艦として最後の世代になるアメリカのアイオワ級も、撃ったらいちいち砲身を水平に戻さないと装填はできません。当たり前です。斜めのままに次の弾を込めたら、うっかり転げ落ちたら危ないだろ!暴発事故を起こさないためにも水平位置に戻して弾込めするのは常識です。それにアイオワも2番砲塔が吹っ飛ぶ事故を起こしています。砲塔が吹っ飛んだのに船はなんともなかったのですから、さすが戦艦ですね。 それにね、新しいことをやろうとしたら想定外の不具合が起きるのは機械モノでは当然のことです。46センチ砲は前代未聞だったので、そんなのをぶっ放せばものすごい共振があちこちで起きるのは当然のことです。大和にとりつけたレーダーは、46センチ砲の発射の振動で壊れてしまいました。当時の日本の技術では、その振動に耐えられるレーダーが作れなかったのです。大和は一番艦ですから、実験の意味合いが強いというのもあります。 それは現代の海上自衛隊にも引き継がれていて、例えば日本最初のイージス艦である「こんごう」は自衛隊は本気で作っていません。まず実験艦として作って、そのノウハウを注ぎこんだ「きりしま」からが本気モードなのです。今話題の空母・・・いえ、ヘリコプター護衛艦「いずも」もそうです。本気モードで作ったのは「かが」からになるそうで、その証拠に「こんごう」も「いずも」も初代艦長は防衛大学出身の人ではないのです。中の人に聞いたら「一番艦はいろいろ不具合が出るもので、防大出身の人に恥をかかせるわけにはいかないから」だそうです。 ちなみに大和型二番艦「武蔵」は例のレイテ海戦で、魚雷20本に耐えるという軍艦史上空前絶後の耐魚雷記録を持っています。これが破られることは永遠にないでしょう。ちなみにこの対抗力に驚いた米軍は、沖縄作戦のときの大和に対しては「左舷からの魚雷攻撃禁止」にして右舷からの魚雷攻撃に徹し、9本で大和を沈没に至らせています。 またゼロ戦についてですけどね。当時の欧米の戦闘機の主力エンジンは、1200馬力の時代だったのです。しかし、ゼロ戦に積む予定の栄エンジンは1000馬力しか出せなかったのです。戦闘機ってのは、レーシングカーに似ています。貴君がレーシングカーデザイナーだとしたら、ライバルチームより20%も馬力が少ないエンジンで同じ程度に戦えるようにしろっていわれたらどうしますよ?車重を軽くするしかないじゃないか。他に方法があるのか、ええ?(この話題になると私は冷静ではいられなくなります) しかも堀越技師が「上昇性能」と「格闘性能」の矛盾する性能を要求されて(これは車でいうと直線性能を優先するかコーナーリングの安定性を優先するかになるので、コーナーリングを優先すれば直線の加速は鈍くなり、直線の加速を優先すればコーナーリングの安定性はピーキーになります)、「これ、どっちを優先したらいいでしょうか?」と聞いたら目の前で「上昇性能だ!」「いいや、格闘性能だ!」「なんだとコノヤロー!」「やんのかコノヤロー!」と目の前で取っ組み合んばかりのケンカをおっぱじめられて「こりゃ、どっちも優先しなきゃいけないんだ」と思わされたわけですよ。 んで、マニアでも結構知られていないのですが、見た目がよく似ている陸軍の一式戦闘機「隼」は格闘性能のほうを優先したので設計に無理がなく、操縦しやすくてパイロットには好評だったそうです。一方のゼロ戦は無理に無理を重ねて日本人が何より愛するカタログスペックを追い求めたので、操縦がピーキーでした。マイクロソフトフライトシミュレーターはそこも忠実に再現されているそうで、日本人はみんなゼロ戦を操縦したがるのですが、すごく難しくて挫折する人が多いんですって。 元々鋼鉄の質でアメリカやイギリスどころか、ソ連にさえも品質で劣っていたのですから、いい製品なんて作れるわけないだろ。 日本が使っていたチハたんこと九七式中戦車とほぼ同サイズのドイツの3号戦車が300馬力、イギリスのクルセーダー戦車が340馬力、ソ連のBT-7戦車が450馬力のエンジンを持っていたのに対して、我らがチハたんは180馬力です。なんでそんなに出力が低かったのかというと、鉄の質が悪いから。もっと薄くすると強度が足りなくなって、厚くすると熱がこもるから高出力が出せないのです。 航空機エンジンでは、欧米諸国が2000馬力級エンジンを出してきてるのに、日本は1500馬力級の火星エンジンが無駄にバカでかくて雷電はあんなにずんぐりむっくりになっちゃって、2000馬力級の誉エンジンともなるともう故障なしで動かすことも困難になったのです。 ご存知ですかね。当時の日本はネジとネジ穴の大きさも品質のバラつきが大きくてね。例えばエンジンを組み上げるときにはネジの山の中からサイズがちょうど合うネジを探さないといけなかったんですよ。いや同じ口径のはずなんですよ。だけど微妙に合わないから、合うやつを「これ合わない、これも合わない、あ、これが合った」という感じですり合わせをしないといけなかったのです。当時の日本の工業品の品質ってそういうレベルだったのです。三八式歩兵銃はよく当たることで有名ですが、そりゃそうです、1丁1丁を職人さんが丁寧に調整していますから。工場から完成した直後は品質のバラツキが大きすぎて、職人さんが調整しないととても使えなかったんですよ。もうね、それは工業品じゃなくて、工芸品ですよね。そういう国だったのです、我が国は。

morizumu634
質問者

お礼

2位の方ではありませんか!大和の魚雷の話は逆です。左舷からの攻撃に集中させて、右舷の横っ腹が出てきたところを最後にがーん!とやったんですよ。 お詳しいお話を聞けて光栄です。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1973/9604)
回答No.2

morizumu634 さん、こんばんは。 大和の主砲に関しては発射の機会が少なく、よくわかりません。ただし、レイテ海戦では故障がなく、射撃できたということですから、他のレイテで故障を起こしたアメリカの古い戦艦よりはまともに稼働したと思います。射撃速度はどこももとに方針を戻す必要から実質大体毎分1発だそうです。 ただゼロ戦の場合は、最初から制約が多かったです。艦上戦闘機にしろ、航続距離は2000km以上にしろ、格闘戦が得意にしろ、火力は20mm云々、エンジンの問題がありました。最初からエンジンは三菱製のエンジンはサイズに合わず、中島製の栄エンジンを使わざるを得ませんでした。これでも1000馬力ですから、設計上改良ののりしろはもうほとんど使い切ってしまいました。  戦争も後半になって防御面に欠陥を直そうという考えがありましたが、あまりに不十分でした。大体、ゼロ戦自体はもう日米開戦時点で、開発が4年は経っていましたから、そろそろ後継機が出てきてもおかしくはなかったのです。 詳細は下記のURLを参照ください。 ゼロ戦 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E5%BC%8F%E8%89%A6%E4%B8%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F 46CM砲 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9E%8B%E6%88%A6%E8%89%A6

morizumu634
質問者

お礼

なるほど!

  • bardfish
  • ベストアンサー率28% (5029/17766)
回答No.1

まず、基本的なところを… そういうのは「不良品」とは呼びません。 一応、要求仕様通りにはなっていれば性能を満たしているとされているはずです。 そもそも、当時の基礎工業力は今とは比べ物にならない位低く、電線一本をとってもアメリカではビニール被覆で十分な絶縁が確保できるのに対して、日本では紙がベースの被覆だったために漏電や短絡が頻繁だったと聞いています。 その最たるものが、零戦の無線機。エンジンから出るノイズ(だと思うんですが)で母艦どころか僚機との通信にも不自由していたそうです。だから零戦パイロットは無線機をあまり使わずに、身振り手振りや機体の挙動で僚機と意思疎通をしていたという話は有名ですよね。 だとすると、戦艦の主砲の動作も、今の技術レベルからするとかなりの苦労があったはず。 今ならモーターで殆どの物を動かせるでしょうが、当時のモーターはそこまでの能力はなかったはずですから、すべての動作は油圧だったと思います。 砲弾も約1.5トンの重さがあるわけですから、油圧だけでは迅速な装填が難しかったはず。 軍事技術というのは、その時のその国の最先端技術の結晶のはずですから、戦艦大和建造時の日本の技術力というのはそういうものだったのです。 基礎技術力、基礎工業力の限界を超えたものは作れないし、作れたとしてもそれこそ不良品と呼びたくなる粗悪品しか出来ません。 だから、戦艦大和というのは、当時の技術力で建造可能な最高傑作だったんでしょう。 建造費も馬鹿になりませんからね。 ソレこそ、質問者様が思っているような「欠陥」を解消するような技術の開発をするためには更に数年の歳月と、国家予算の数倍の研究費が必要になったことでしょう。 そうなったら、元々戦争には間に合わなかった無用の長物が更に間に合わなくなり、建造中止になっていたかもしれません。 建造が中止されていれば、今の我々が知っている大和は存在しなくなります。

morizumu634
質問者

お礼

とってもわかりやすかったです。