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非情な戦闘ゲームがあふれているのと表現の自由

戦闘ゲームなどヴァーチャルな表現物で、暴力的などのものをやっているとだんだん荒くなるんではって思います。 非情なものなどです。 表現の自由かもしれないですが、有害図書と同じではとも思うのですけど、こういうのは自主規制がせいぜいなものなんでしょうか?

みんなの回答

  • efwz1488
  • ベストアンサー率16% (36/224)
回答No.4

>>戦闘ゲームなどヴァーチャルな表現物で、暴力的などのものをやっているとだんだん荒くなるんではって思います。 特に根拠がありませんので、規制はできないと思います。 ただ、業界での自主規制で○歳以上対象ということはしています。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

戦闘ゲームなどヴァーチャルな表現物で、暴力的などのものをやっていると だんだん荒くなるんではって思います。    ↑ これはね、科学的にはまだ良く判っていません。 エロも同じです。 誘発して犯罪などを増やすのか、それとも 発散させて、犯罪を減らすのか、実証研究が 難しいのです。 一般には、発散効果の方が強いので、とされて います。 その根拠ですが、誘発されるような奴は どこかオカシイ奴で、マトモな連中は発散 されるだけである。 そして、世間にはマトモな連中の方がはるかに 多い。 表現の自由かもしれないですが、有害図書と同じではとも思うのですけど、 こういうのは自主規制がせいぜいなものなんでしょうか?    ↑ 有害図書については、誘発効果が実証されておりません ので、これは水掛け論です。 ただ、有害図書は、歴史的に、性は秘匿すべきもの、と いう倫理があるので、それに従っているだけ という面が強いですね。 非情なモノは、秘匿すべきという倫理がエロよりも 弱いのでしょう。

noname#226503
noname#226503
回答No.2

確かに、人を傷つける、物を破壊する、攻撃等のゲームは、架空であれ痛みのわからない子供が育っていくと私は思っています。 痛みのわからない子供は、限度がわりませんから、相手のダメージが理解できませんね。 私は、目を酷使し空想の世界とは言え、道徳的にも問題ありと今でも思っています。 但、法律として規制するには反対意見が多いと思いますね。 かなり過去の話になりますが、あるゲームソフトの開発部門でこの影響が議論されたと聞いた事がありますが、結果的に販売された現実があります。

  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (658/1172)
回答No.1

R指定されていることが多いです。16歳未満はダメとか、18歳未満はダメとか、程度により規制(指定)の対象はいろいろ。 日本は銃社会ではない(拳銃などを一般人が頻繁に目にする事がない or 一般人が許可なしに購入する事はできない)ので規制はゆるいですが、アメリカなどでは拳銃を打ち合うようなスタイルのゲームは、それほど残酷な描写がなかったとしてもかなり厳しく規制されたりします。 どちらかといえば心が荒んでくるということより、たとえば殴ってみたい、銃を撃ってみたい、殺してみたい、という暴力への好奇心が強まってしまうことの方が問題だと思います。 心が荒むのは、暴力描写よりもゲームなどのストーリーや世界観などの影響の方が強いと思いますね。ただ、そういった具体的に目に見える暴力への規制は多少ありますが、世界観などへの規制は、性的なイメージが強いものでない限りは規制されてはいないのが現状だと思います。 ただし、最重要なのは、そういったものが世の中に存在しているのではなく、それらを見たり体験したりする人の考え方が問題です。 善や悪そのものが純粋に世の中に存在しているのではなく、物事を見る人々の目や思考の中に善悪が存在するのであって、暴力的なものの是非というより、暴力的な行為や物事に対してどのように考えるのか、という「考える機会」がちゃんとあったかどうか、ということが大事だと思います。 これは表現の自由にも似ていて、多くの人は「表現の自由」として、性的なわいせつ物を扱うとか暴力的なビジュアル、はたまた政治的なメッセージ性のことなどと考えがちですが、「表現の自由」はそのものをそのまま表すことの自由ではなく、「『解釈の自由』が作者にも鑑賞者にもある」ということです。 つまりそれは「考える機会」があったかどうか、ということと同じで、「あなたはこのようなビジュアルを暴力的だと思う?思わない?その理由はなぜ?」と聞いたり考えたりして、その答えをどちらか一方多数決的に決めてしまわないことです。 法的なものでない限り、この「解釈の自由」が保持されれば、他者の考えに想像を及ばせることもでき、自分とは異なる考え方と遭遇してもそれを理解することができるようになると思うので、心が荒まないように思います。 まあ単純に、暴力的なビジュアルのゲームなどをやっていても、そういったゲームやビジュアルを怖がる人もいる、ということを認識していれば、そのユーザーやプレイヤーは社会に害をもたらすような存在にはならないでしょう。

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